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バグの語源、ダイ・ハード、編集室から(月刊ASCII 1989年1月号9) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

Hortense Endoh氏の連載記事「近代プログラムの夕ゆうべ」が面白いのでスクラップする。
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“バグ”の語源をめぐる考察
いったい誰がそう呼んだのか?
 プログラマの天敵といえば,なんといってもバグである.バグが天敵なのだから,プログラマもなんらかのバグということになるのか?解釈はいろいろと可能だ。
 あるいはまた,バグは“発見”されることで,いくばくかの“可愛らしさ”を持っている場合がある.最初は,“悪戯”の痕跡が発見され,次にバグの本人(?)が発見されることが多い.発見されたときに食事中であったり、セッセと活動中に「おいおい」と声を掛けると,ヒッと肩をすくめながら振り返ることもある.
 見方によっては,プログラミングはプログラムをめぐってのプログラマとバグのゲームのようでもある
 さて,どうしてこんな話を始めたのかというと,この「バグ」という,普段なにげなく使っている言葉の語源について知りたかったからだ。なんとなれば,その語源について「チップに組み込め!」(草思社刊,T.R.Reid著,鈴木主税/石川渉訳)という本に次のようなくだりがあるからだ。
…また真空管の熱とほのかな光にひかれて蝶の群が集まってきた.これが「エニアック」の内部を飛びまわっては回路をショートさせた。それ以来,コンピュータ・プログラムの誤りを取り除くことを「デバッギング(=虫とり)」と言うようになったのである.  お分かりのとおり,これは最初の汎用デジタルコンピュータとされるペンシルベニア大学のENIAC注1)の動作状況を説明したものだ.「なーんだ,これは面白いや」ということもできると思うが,本物のENIACが動作しているところを見たという人には滅多にお目にかかれないし,これは少々できすぎた話ではないかというのが,私の見解だ.
注1)“Scientific American"(日本版は「日経サイエンス」)誌に先頃掲載された記事によると,最初のデジタルコンピュータは,JohnV. AtanasoffのABC(Atanasoff-Berry Computer)であるという.もっとも,1930~1940年代にかけては,多くのグループがコンピュータの研究開発をすすめており,戦火で消失したドイツのKonrad Zuseのマシンなども含めて混沌としている.ABCは,多元連立方程式を解くためのマシンであり,プログラム可能な汎用マシンという点では,依然としてENIACやイギリスのColossusと解釈できるようだ.
 だいたい,この「チップに組み込め!」という本は,集積回路の発案/開発者(ジャック・キルビーとロバート・ノイス)についてのノンフィクションであり,このくだりはモノシリック・アイデアと呼ばれる現在の集積回路の基盤となる思想がインスピレーションされるまでの説明の部分であり,1万8000本の真空管を擁したENIACには分が悪い.アメリカ陸軍がENIACを借りて弾道計算に使ったというのは,あまりにも有名な話だし,その真空管が次から次へと切れてしまい往生したというのも伝説的となっている.しかし、だからといって,戦が寄ってきてそれを取るのがデバッグだなんて聞いたことないぞっ!そんなことなら,直径1mの巨大な誘蛾灯なり,大量の殺虫剤散布なりで十分対応できたはずではないかっ。
 こういうのもなんだが,この種のアメリカ製の「よくできた話」には,えてしてガセネタが多いということが,経験上明らかとなっているのだ.

グレムリンとバグ
 とはいったものの,これといった見当があるわけでもない.まずは,辞書をひいてみることにする.「総合コンピュータ辞典」(共立出版),「コンピュータ用語辞典」(講談社ブルーバックス)など,ひととおり紐解いてみたのだが,その語源までとなると,あまりピリッとした解答は得られない.アメリカのコンピュータ事典では,“Computer Dictionary"(Howard W.Sams & Co.,Inc),“Barnes & Noble Thesaurus of Computer Science"(Barnes & Noble Books)といったところを調べてみたのだが,どれも日本のコンピュータ事典と同様,実に真面目にバグとはどのようなものかを説明してくれているだけだ.
 やはり,辞書でそこまで知ろうというのが虫のいい話なのか?と思ったところが,Encyclopedia of Computer Science and Engineering” (Van Nostrand Reinhold Company)に面白い記述を発見した.次の部分だ.

 The term arose during World War II, in connection with electronic testing, as an outgrowth of "debug" which was a synonym for “troubleshoot.” The earliest computer programmers, who were frequently the designers and builders of computers, transferred the term to its present usage.

 たしかに,第2次大戦中,つまり,ENIACの時代なのだが,真空管に集まる蛾を捕ることからきたというのとは少々異なっている.本来電子機器のテストなんかで使われる用語が,初期のコンピュータのプログラマはハードウェアの担当者でもあったために,同じように使われるようになったというニュアンスだ.コンピュータ用語という限られた範疇のものではないということなのか.もっぱら,コンピュータしか触っていない私などには弱いところだ.
 そこで,「新英和大辞典」(研究社)を引いてみることにした。すると,もちろん「虫」という意味もあるし,ほかのいろんな意味に混じって「コンピュータのプログラムの誤り」というのがある.そして,ちゃんとアメリカの口語として「機械の欠陥,不良箇所」というのがあるではないか!用例は,

a bug in a television

 となっている.コンピュータだけではなくて,テレビの中にもバグはいたということなのだ.これと,先ほどの“Encyclopedia of Computer Science and Engineering"の説明,つまり電子機器で使われていた言葉がプログラムについても使われるようになったというのとで,符節が合ってしまう.
 さて,そこでもう一歩,ここはしつこく,オリジナル(機械の欠陥,不良箇所)としての語源を追求してみることにしよう.いろいろひっくり返してみたところ,“I Hear America Talking" (A Touchstone Books)というこの種の話題にめっぽう強い本に,核心的ともいえる記述を見つけたのである!それは,第2次大戦頃に軍隊で使われだした言葉として,グレムリン(gremlin)という単語についての説明で登場する.つまり,

gremlin : an imaginary imp causing mechanical problems in an airplane. Bug later came to mean a defect or cause of trouble, especially in a new plane, ship, tank, etc. After the war the word gremlin diappeared but bug remained very much a part of language.

 バグは,新しい飛行機や艦艇,戦車などの故障の原因,つまり,欠陥,不良箇所のことだったということである.そして,コンピュータに限らず,現在でも機械の故障などで使われるということなのだ.
 こうなると,「チップに組み込め!」のあのくだりは,やはり真空管に対するいわれのない偏見ではないかと思えてくる.いやそれとも単なるユーモアなのか?いま手元に原著がないので,微妙なニュアンスまでは確認できないのだけれど.あるいは,弾道計算という非常に特殊な任務に就いていた人たちの口から,アメリカ陸軍全般にこんな言葉が広がるというようなことが,ひょっとしたらあったのか?バグヤロー!というほどではないが,そうとは思えないでしょう.
 本誌野口によると“AMIGA World"誌などを読んでいると,バギー(buggy)という言葉なども使われるらしい.いうまでもなく、バグが多いという意味だ.一方,Borland International社のテクニカルレポートである“TURBO TECHNIC"などを見ると,バグ捕りの意味で,デバッグ(debug)よりもハント(hunt)という言葉が使われていたりする.なお,バグハンター(Bughunter)では、昆虫学者の意味があるらしい.
 「バギーなプログラム」という言い方もノリがいいし,「もう少しバグハントしてみます」というのも上品だあるいはまた,「そのプログラムって,グレムリンがいるんじゃない?」というのも雰囲気ではないでしょうか?

(Hortense Endoh)

こういう豆知識が重要だと思う。何かの役に立つかもしれないのでスクラップしておくべきだと思う。

映画の紹介は「ダイ・ハード」だった。
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33年前の映画だが、古臭く感じない。この号の1989年なら33年前は1959年だからもう古典だといってもいいくらいだ。今ある「リコリスリコイル」というアニメで「ダイ・ハード」を模した「ガイ・ハード」が出てきた。古典というべき映画がこうして若い者たちに影響を与えている。
 1989年からの33年はコンピュータだけではなく映画も大して変化なかった。コンピュータは画期的新発明は無く、ただ速度と容量が物凄く大きくなったことによる量的変化が質的変化をもたらしたと言える。映画も画期的な新手法はなく、CGを使った特撮が凄くなっただけだ。技術ではなく内容で33年前と大きく違うものなどない。毎年生まれる昔を知らない者たちが新たに体験したものを凄いと感動するだけだ。おじさんから見ると手垢のついたものばかりだ。過去を探ると似たものを見つけることができる。

ワンダーフィルムもスクラップしておく。
ASCII1989(01)h04ワンダーフィルム_W520.jpg

最後に編集室からをスクラップする。
ASCII1989(01)h05編集室から_W520.jpg
変化の予感
▲1月号ではゲーム特集が恒例であった本誌であるが,今年は少々趣向を変えて,業界をリードする6名の方に,今後のパーソナルコンピュータ環境について語っていただいた.32ビットマシン,OS/2,ネットワーク,ラップトップなどなど,さまざまなキーワードの氾濫する中で,ユーザーはどのような判断を下すべきなのか―それを読者の方々に読みとっていただきたい,というのが今回の趣旨である.業界トレンド,ユーザー環境動向,ホームアミューズメントの3つのテーマで語っていただいた内容には、示唆に富んだ多くの言葉が含まれている.タイトルの「見えてくる」というフレーズは、この特集を読んだ一人一人が,それぞれのパーソナルコンピュータの未来像をイメージする,というつもりで付けたのだが,いかがだったろうか?
▲昨年の新年号のこのコーナーでは,「やはりパソコンの楽しみは,技術の変化を身をもって体験できることにあるのではないだろうか」と、書いた.そういう視点で'88年を振り返ってみると,変化はそれほど急激には起こらなかったと言えるだろう.OS/2,Windowsなどのソフトウェア環境は,秋頃からようやく姿を見せ始めているが,結局この1年は,そのための準備期間であったかのようである.ハードウェアの動向では,日電のPC-9801RAの登場などにより80386マシンも身近になったが,やはりハードだけではユーザー環境は大きく変化しない。そうした意味では,'88年は、どちらかというとハードディスク定着の年と位置付けられるのかもしれない.
▲こうした展開を考えると,'89年こそは大きな変化が一般のユーザーにまで広がる年とも考えられる先に挙げたOS/2やWindowsはもちろんのこと,ジャストシステムのAAC構想なども気になるところだ。
▲とはいえ、今回この特集を作る過程で感じたのは、MS-DOSでのユーザー環境がまだまだ整備されていないということだ.村瀬,林両氏の対談に出てきた「大衆の時代」とは,多くの人がそれなりにパーソナルコンピュータを活用している時代を指すものと思う.ところが現状では、ハードディスク上で複数のアプリケーションを利用しようとすると,多少慣れた人間でも煩雑に思うことが多すぎる.
▲変化は確実にやってくる.それを多くの人が自然に受け入れられるようになるための地ならしとなるような年が'89年であればと,かすかな予感とともに思っている.(土田米一)

特集の対談の意義が書かれている。ソフトウエアについて「結局この1年は,そのための準備期間」だとあるが、OS/2はポシャリ、Windowsは95になってやっと広まり、AAC構想もポシャリだった。つまりは、準備期間はまだ何年も続いたということだ。


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PC-9801LS,PC-286LE,FMR-10LT,MAXLINK(月刊ASCII 1989年1月号8) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

PRODUCTS SHOWCASEをスクラップする。
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まずはPC-9801LS。
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表1を抜粋してスクラップする。
表1 PC-9801LSの主な仕様
CPU 80386SX(16MHz),V30(8MHz)
ROM N88-BASIC(86)およびBIOS 96Kbytes
RAM 1.6Mbytes標準実装
VRAM テキストVRAM 12Kbytes
グラフィックVRAM 256Kbytes
表示素子 8/15階調表示のプラズマディスプレイ(640×400ドット)
グラフィックス カラー指定時
 640×400ドット 8/15階調 2画面
 640×200ドット 8/15階調 4画面
ディスプレイ接続時は4096色中16色を表示可
モノクロ指定時
 640×400ドット 2階調 8画面
 640×200ドット 2階調 16画面
外寸 339(W)×380(D)×103(H)mm
重量 LS2 8.1kg, LS5 8.8kg
価格 LS2 62万8000円, LS5 86万6000円

評価(まとめ)の部分をスクラップする。
 CPUのグレードなどの基本設計とは逆に,価格が安いほどバッテリで動作する時間が長いというのはなかなか面白い.完全に電源のない所で使うという,バッテリ駆動時間が命の仕事ではLTを選ぶことになり,LSは電源のある所でしか利用できない.そういう意味では、省スペース型デスクトップ機ということもできる.
 LVとLS2との価格差は,28万3000円だその差は、3倍の速度とプラズマディスプレイ,1Mbytesのメモリ,増設メモリや演算コプロセッサの拡張性とともに,WINDOWSやOS/2が利用できるかどうかまで,かなり大きい.そのため,価格と電源のことを考えると,RAにするか,LSにするか迷う人が多いだろう.286CPUを搭載した,ラップトップ型「普及機」の登場が待たれるところだ.

たとえ表示能力が貧弱でも持ち運び使いたいということがあったのでラップトップを持っている人はいた。また、バッテリ駆動できなくても客先で使いたいというプロの人はプラズマディスプレイのLS2を使ったと思われる。私の知人は東芝のプラズマディスプレイのラップトップを使っていたが客先でのインパクトがあり仕事しやすかったと言っていた。
 最後の「286CPUを搭載した,ラップトップ型「普及機」の登場が待たれる」は、日電の機種展開が他社より遅れ気味だったことを示している。

次はPC-286LE。
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上海は当時流行った。ワープロまで移植されていた。職場でも仕事をしているかと思えば、ワープロで上海をしていた人がいた。
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評価(まとめ)の部分をスクラップする。
 さて、PC-286LEは,PC-9801UVシリーズの互換マシンだが,その互換度については,PC-286U/Lである程度実績を上げてきたといってよさそうである.しかし,特定のアプリケーションを使用したいのであれば,あらかじめセイコーエプソンがショップなどで配布している小冊子を参照されるのがよいだろう.
 PC-286LEは,もともとラップトップマシンと呼ぶよりは,可搬型の省スペースデスクトップといった趣のマシンである.8階調表示によるカラーソフトへの対応やハードウェアオプションの充実によって,この方向での独特の利用環境を育てつつあるといってよさそうである.

無難なまとめだ。互換性については一般ユーザの私たちは文句がなかった。趣味で動かないソフトを探していたが、動かないソフトがあってもそれは必須なのかといえば何もラップトップで動かす必要はなかった。とにかくこうした互換機メーカが展開する機械はユーザが求めるものであったので日電も追随するしかなかった。もう、日電は殿様商売が鼻につき嫌だった。

次は、FMR-10LT。
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表1 FMR-10LTシリーズの主な仕様
FMR-10LT1 FMR-10LT2 FMR-10LT3
CPU 80C186F(10MHz,ノーウェイト)
RAM 448Kbytes(最大640Kbytesまで本体内に拡張可能)
表示部 反射型液晶ディスプレイ バックライトつき
液晶ディスプレイ
グラフィック表示 640×400ドット
外形寸法
(W×D×H)mm
310×335×80
重量 約5kg
バッテリでの
使用時間
連続4時間
(8時間充電後)
連続1時間(同左)
価格 19万8000円 22万8000円 24万8000円

反射型液晶ディスプレイは見にくかった。でも価格は安く、バッテリの持ちも良かったので使われていた。
評価(まとめ)の部分をスクラップする。
 ひとことで評するなら,頻繁に持ち運ぶためのパソコンとして,必要な機能を絞り込んだ,というのが妥当なところだろうか.高速化と軽量化を同時に実現するために,周辺回路を複雑化する80286を使わずCPUクロックを上げて対処しているし,バッテリを消耗するディスクアクセスを減らすために,ポータブルワープロ的なROMカードも取り入れた.
 ただ,せっかく思い切ったことをするのであれば,軽さと大きさでももうひとがんばりしてほしいというのは,多くを望みすぎるだろうか(PC-98LTは3.9kgなのであるから).また,ソフトウェアのラインナップが今後どう展開されるかも気がかりではある.とはいえ,MS-DOSの動くポータブルワープロとして,あるいは実際に持ち運んで使えそうなラップトップパソコンとして,興味をそそられる製品である.

最後の「実際に持ち運んで使えそうなラップトップパソコンとして,興味をそそられる製品である.」の「そうな」とか「興味をそそられる」は微妙な製品だと評価していたと言える。たしかに約5kgは重い。鞄に詰めて出張、通勤はしたくない。

次はMAXLINK。
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評価(まとめ)の部分を抜粋しつつスクラップする。
 今までは,増設ドライブがない時は,通信ソフトを利用して転送していたのだから,それが仮想ドライブとして扱えるようになっただけでも非常に便利になったと言えるのだが,MAXLINKの真価はその転送スピードの速さにある.なんと最高120000bpsから最低でも40000bpsで通信を行う.通常の98用通信ソフトは最高9600bpsだから,その4~12倍の速度だ.
 このように転送スピードに幅があるのは転送時にデータを圧縮したり,またRS-232Cをコントロールするコンピュータの処理能力によって差があるからである.すなわちCPUが80386や80286などであれば最高速に近い値の転送スピードになる(ここで,「近い」と表現したのは転送する内容によっては先に説明したデータの圧縮率が変わってくるためである)が,V30や8086などをCPUとしたコンピュータ同士の転送では40000bps位にまで転送スピードが落ちてしまうのである.こういった場合にはデバイスドライバとしてMAXLINK.DRVの代わりにMAXLINKS.DRVを利用する.両者の違いは、MAXLINK.DRVが非同期通信での接続だったのに対し,MAXLINKS.DRVは同期通信による接続となる.ユーザー側の利用形態は同じだ.
 この同期通信を使用すれば,CPUの性能にかかわらず76800bpsという転送スピードを実現できる.ただしこのモードではIBM PC/ATとの接続はできないとのことである。
 また,MAXLINKではデータの転送に際して,CRCによるチェックを行っているので,信号で化けたりといったことはない.
 付属のケーブルがもう少し長ければ,離れたコンピュータの遠隔操作などと,いろいろその用途は広がるとも思われるが,残念ながら付属のケーブルはそういったことをするには若干短い.ただし,試験的にRS-232Cの延長ケーブル(約2mのフラットケーブル)を接続してみたが,問題なく利用できた.
 価格もそれほど高価ではないので,メディアの異なるデータ転送の必要なユーザーには、まず必携のアイテムと言える.また,同一メディアのマシンが複数台ある場合でも,ハードディスク内のファイル転送のやりとりなどが,簡単に行える.さらに,PC/ATやコンパチ機がある場合は,98では書き込めないディスク(5インチ2Dや3.5インチ2HC)へのコンバートができるようになる.

私はダイナブックを買ってMAXLINKを買ってダイナブックを職場でも手放せないようになった。発売当初に添付された専用バッグ(ダイナバッグ)と呼び通勤時等持ち運ぶようになった。MAXLINK様様だった。
マニュアル(上段左から2番目)を長い間とっておいた。
取説を捨てる(PC本体関係他)

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MS-DOSユーザーズ・ワークベンチ(月刊ASCII 1989年1月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

すらぞうじ氏のMS-DOSの解説漫画の第2回をスクラップする。
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まずは、図をスクラップする。
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登場したコマンド等を羅列する。
con(画面)
con(キーボード)
prn(プリンタ)
nul(無)
aux(RS-232C)
clock(特殊ファイル)
dir
type
echo
more.com

A>copy con con
A>copy con prn
A>copy con syohei
A>copy syohei con
A>type syohei | more
A>grep "^From:" mbox | sort | uniq -c | sort -nr
A>dir >file
A>more <file
A>type file | more
A>less <file
A>type file | less
A>less file

注があったのでそれをスクラップする。
 原理的には磁性体にヘッドが接触しないといわれるハードディスクでも,実際の動作では,微妙な接触もあり,劣化はあるらしい.
注1) ロジテック株の技術部門に尋ねてみた.ハードディスクの通常動作時には、ヘッドは記録面には接触しないが,アクセス中に強い衝撃を与えたりすると接触し,トラブルのもとになる.また,チリやホコリの多い利用環境も望ましくないとのことだ。

当たり前のことだが、知らずに使っている人が結構いた。職場に動作中のハードディスクをコンコンと叩いたおじさんがいたのでびっくり仰天した。

 ファイルは、データの入れ物に名前をつけたもので,中身が空っぽでも名前さえあればそれはファイルだ.また,たった1個のファイルでも,ディスク容量のある限り、いくらでもデータを詰め込むことができる.MS-DOSの場合,ファイル名は8文字以下で,漢字やひらがななどの全角文字は,2文字として数えられる.また,必要に応じて拡張子と呼ばれる3文字以下の補助名をくっつけることができる.
注2) ファイル名に漢字を使用すると,ファイル一覧を見るような場合に分かりやすい.ただし,MS-DOSのバージョンやコマンドによっては,トラブルの元になることもあるので注意が必要だ問題になるのは,①MS漢字コードで5Chを含む文字を使ったり,②1byte目がE5hとなる文字をファイル名の1文字目に使ったケースだ.PC-9801シリーズ用のMS-DOSでは,Ver.3.1で②のケースにひっかかることがある.これは、JIS第2水準に限られるので,あまり難しい文字を使わないことだ。先頭の1byteがE5hの文字としては,蟲などがある。

「1個のファイルでも,ディスク容量のある限り、いくらでもデータを詰め込むことができる」はちょっと違う。ファイルサイズには上限があった。
 テキストファイルでも拡張子を自由に付けることができるのは常識だと思っていたが、2010年頃、若手がそれを知らなかったことに時代の変化を感じた。
 漢字のファイル名のトラブルは経験した。ファイル名にはアルファベットしか使わなかった。

・con(画面)
・con(キーボード)
・prn(プリンタ)
・nul(無)
・aux(RS-232C)
・clock(特殊ファイル)
注3) これらのファイルをディスク上のファイルと区別して,デバイスファイルとも呼ぶ.また,MS-DOSでは,これら標準のデバイスのほかに,ユーザーが新たにデバイスを定義することもできる(config.sysファイルに,相当するデバイスドライバを登録することで行う)


また,auxやprnは,現在のMS-DOSでは,システム起動時にdeviceとして,config.sysファイル内で登録しておかないと使えない.auxは,auxiliary(補助装置)の意味であり,通信やイメージスキャナなどの入出力に使用する.
注4) auxとprnのデバイスをconfig.sysファイルで指定する必要があるようになったのは,MS-DOS Ver.3.1のauxがPS98-127以降,prnがPS98-011以降のバージョンである.システムディスクに,auxとprnのデバイスドライバである,rsdrv.sys,print.sysというファイルが入っているバージョンは,これに該当すると考えてよい。「プリンタが使えないというトラブルの原因はprint.sysを登録していないためだった」という話もよく聞く.


 nulというファイル名は,もともと無効とか無を意味する単語で,本来は「ナル」と読むべきところだが「ヌル」と発音する人が多い.
ヴァン・ヴォークトの「非(ナル)Aの世界」を読んでいたので私も最初はナルと言っていた。

conは,通常「コン」と読むが,コンソールという意味であり,ミニコンなどの操作卓(operator console)からきたものだ.
これは勘違いしていた。コンソールを操作卓ではなくてモニタのことだと思っていた。MS-DOSを使って覚えた用語なので画面である思ってしまってもしょうがない。

A>copy con con
なんて荒業ができたりもする.
 このコマンドラインは何をするのかというと,キーボードというファイルの内容を画面にコピーする.具体的には,キーボードから入力した文字が,そっくりそのまま画面に表示されていき,ファイルの終わりを見つけると、いま入力した文字をもう1度表示し,例の“1個のファイルをコピーしました."というメッセージを表示して,プロンプトに戻る.
 最初に表示されるのは、入力のエコーバックで、2度目に表示されたのが,実際に画面へのコピーが行われた結果だ.
注5) エコーバックとは,conからの入力内容を目で確認できるように逐一画面に表示するものだ画面出力というよりも,入力操作の痕跡と解釈したほうがよいだろう.
 MS-DOSがファイルの終わりを知るには,サイズまたはEOF(End Of File)を目印にする.ところが,キーボードというファイルにはサイズがない、人間の体力と時間のある限り入力を続けることができるだろう.そこでEOFを入力するというワケの分からないことをして,これで終わりだよということをMS-DOSに知らせてやらなくてはならない.EOFは,ここで終わりという合図に使われる特殊な文字で,入力するには,CTRLキーを押しながらZのキーを押せばいい.すると画面には^Zとエコーバックされ,EOFが入力されたことになり、続けてリターンキーを押せばファイルが終わりとなる.
 ファイルの終わりのくせに、そのあとでリターンキーを叩かなければならず,それでいてリターンに相当するコードは捨てられてしまうのはズルイと思うのだが,それが仕様らしい.
注6) EOFは,パソコンの文字コードとして使われているASCIIコードの16進数で1Ahの値を持つ。

市販のEditorのない環境で、copy con foo.bat は良く使った。エディタとしてedlinは付いていたが、面倒くさくて使わなかった。

以下マンガをスクラップする。
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ASCII1989(01)d02MS-DOS漫画02_W457.jpg
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ASCII1989(01)d02MS-DOS漫画05_W470.jpg
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ASCII1989(01)d03MS-DOS漫画07_W424.jpg
ASCII1989(01)d03MS-DOS漫画08_W466.jpg
ASCII1989(01)d03MS-DOS漫画09_W520.jpg
ASCII1989(01)d04MS-DOS漫画10_W459.jpg
ASCII1989(01)d04MS-DOS漫画11_W149.jpg
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ASCII1989(01)d04MS-DOS漫画13_W328.jpg
ASCII1989(01)d04MS-DOS漫画14_W315.jpg
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ASCII1989(01)d05MS-DOS漫画16_W518.jpg
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対談:堀井雄二、安田均(月刊ASCII 1989年1月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集記事の3番目は「ホームコンピューティングとゲームは双方向メディアに向かう」と題した堀井雄二氏と安田均氏の対談だった。
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ゲームはほとんどせず趣味のプログラミングがメインだったのでこの記事をスクラップするかどうか迷ったが一応しておく。
ホームコンピューティングとゲームは双方向メディアに向かう
アドベンチャーやロールプレイングにショックを受けた
安田 堀井さんはどんなところからゲームを始められたのですか.
堀井 僕は最初はアクションゲームなんです.パソコンを買ってすぐの頃で,自分用に遊びで作った.アドベンチャーゲームを知ったのは,たぶん月刊ASCIIの記事だったと思うんです.
安田 何年くらいですかね.3~4年くらい前ですか?
堀井 もっと以前でしょうね.LOGiNが創刊される前ですよ.5~6年前かな.「南青山アドベンチャー」というのもありましたね.
安田 テキストタイプのやつでしょう。文字ばっかりの
堀井 それのちょっと前に,タイトルはよく覚えていないんですが,殺人とか推理もののコマンドを入れて遊ぶアドベンチャーゲームというのが,アメリカで流行っているという記事があった.たぶん,「デッドライン」か「ミステリーハウス」なんかの紹介だったと思うんですが。 安田さんがゲームに馴染んだのは,いつなんですか?
安田 ボードのファミリーゲームとか,そういったほうから入っているんです.だから学生の頃.
堀井 「モノポリー」とか...
安田 そうです。「モノポリー」の類のゲームをやってる人は少なかった.友人に教えられて、もう病みつき.面白いので止められなくて,マージャンのメンツでお金も賭けずに徹夜でやった(笑).
堀井 僕も「バンカース」っぽいゲームが好きで,学生時代「野方ゲーム」というやつを作った.そして,都立家政に住んでから「都立家政ゲーム」も作って...(笑).商店街があって,店を開店させて...なんてね。
安田 ゲームに熱くなると,自分で作りたくなるもんなんですね.僕なんかもいろいろ作りたいなと思っていた頃に「モノポリー」に出会っちゃって,海外に興味がいっちゃった.あの頃,自分で作っていたら,堀井さんのようになれたかもしれない(笑)。
堀井 じゃあ,ファンタジーもの,いわゆるD&D(ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)みたいなのは?
安田 あれは全然知らなかったんですよ。SFが好きで,シミュレーションゲームとかもやっていたんですけど、突然そういうものがあるとSFの雑誌に広告が載ったんで、何だろうと思って取り寄せてみたら全然分からない.それで,ゲームに強い友人とか外人さんに聞きながらやったら,サイコロを振って確率で,ストーリーを遊んでいくものだと.すごいことを考えるなと……あれが'80年ちょっと前すか。
堀井 それは古い!
安田 実は,コンピュータにそういうものがあるというのも知らなかった.もう堀井さんなんかはやられてたんでしょう。
堀井 僕はコンピュータから入っちゃっているんで,ロールプレイングは「ウィザードリィ」から、当時は全然普及してなくて、とっかかりは悩みました.
安田 最初に画面が出て,その後何をしていいか分からない(笑).
堀井 マニュアルの和訳が多少付いてるんだけど、すごい訳だったんですよ.“聖なる空白”って何だろうって、後でブランクディスケットのことだと分かった(笑)
安田 キャラクターを作るのに聖なる空白を用意する.
堀井 名訳ですね(笑).
安田 最初にやったときはトレードの,キャラクターからキャラクターへアイテムを移すのも分からなかった.戦士はいっぱいお金使うけど,魔法使いはいっぱいお金が余っちゃう(笑).
堀井 あの頃ってロールプレイングという言葉自体がいまほど定着していないし,「役割を演じる……」とか雑誌に書いてあった.
安田 実は僕なんかもそう書いていたんですけど(笑).でもそれはいまでも説明できないですよ.
 確かにロールプレイングもショックでしたけど、アドベンチャーもショックでしたね.僕なんか小説とかSFが好きでしたから,読んで感動するものだとばかり思ってた.ところが,自分でそれにストーリーを打ち込んで進めていくという.これはショックを受けました.
堀井 自分で“OPEN DOOR”とかやると,メッセージが返ってきて,どんどんストーリーが進んでいく.これは画期的だと思いましたね.
安田 コンピュータゲームというのは,最初に見たとき,すごいショックがあるんですよね。

本当のロールプレイングはネットワークの中に
安田 最近,このあたりでまったく斬新なゲームが出てこないかなと思ったりしているんですけど……
堀井 そうですね.僕もまだいっぱいできることがあると思いますね.
――環境ゲームのようなものはどうですか。
安田 「リトルコンピュータピープル」とかですよね、確かに発想はすごいと思いますよ.ただ,ゲームとして見た場合には,ちょっと飽きちゃうんですよ.
堀井 あれは3~4年ぐらい前ですかね.
安田 面白いのは,コンピュータゲームにしても何でも,ときどきアッと驚かすようなものが出ると,それ以前に萌芽みたいなものが絶対に出てるんですね.そういう意味では,「リトルコンピュータピープル」なんていうのは,通信なんかに入ったらものすごいものになるんですよね.ルーカスフィルムでやっている「ハビタット」なんかも,ひょっとしたら「リトルコンピュータピープル」を通信でやったのと同じようなものになるんでしょうか?
堀井 なるんでしょうね.僕も「リトルコンピュータピープル」のファミコン版の「アップルタウン物語」はやったんですよやってて思ったのは、部屋の中に女の子がいる.いろいろできるんだけど,自分がこの家に遊びに行けたらいいのにとか……(笑).ネットワークに関しては,すごい可能性があると思うんですよね.
安田 通信でゲームをやるようになれば,こういうものに慣れていない人でも楽しめるでしょうね.
堀井 さんがそういうのを作っているというウワサを聞いたんですけど(笑).
堀井 「ログタット」もありますが,「電脳空間RPG」という本格的なものを,実は進めています.
安田 あまり企画まで言っちゃうとまずいのかもしれないですけれど……
――「ハビタット」もまだリリースされてはいないですよね。 安田 リリースはまだですね.
「ハビタット」でないにしても,こんなのができるんじゃないかなとかありますよね.だから通信なら役割を自分で演じられる.女性みたいなキャラクターにもなれるようにすれば,その中で恋が芽生えたりして……(笑).それこそ本当のロールプレイングじゃないかな.
堀井 だいたい、「ドラゴンクエスト」みたいな世界を通信でやっちゃって,それでたくさんの街なり世界を共有して,いろんな人間が入ってきて遊んでれば,女の子になりすましちゃう人も出てくるでしょうね。
安田 実際,「ドラゴンクエストⅢ」は,男の子として育てられたという,リボンの騎士タイプで始まるでしょう.
――いまのネットワークだと現実世界と繋がってる部分が非常に大きいけど,その中で独立した価値観が生まれれば,女の子ってことでやっても何もおかしくはない。
安田 遊びの世界ながら,別の世界を構築できるということになるわけだ。本当に生まれ変わったというぐらいのリアリティがあれば、全然おかしくないですね.ロールプレイングなんか,1つには,望充足の部分がありますからね.映画だってみんなそういうふうにして感情移入して,楽しんでいるんだから.

より人間的なものがコンピュータの向こうにある
堀井 僕が割とネットワークやってて不思議なのは、知らない人でも平気で話ができるんですよね.現実社会だといまは人が増えすぎて,道で知らない人に会って「こんにちは」って言うとあいつ何だろうということになりますよね.それが,ネットだと知らない人でも「ハロー」ってすぐに言えちゃう.
 きっと大昔,人間がもっと少なかったときには、知らない人間同士で平気で話してたと思うんですよそういった原始社会みたいなものがネット上に再現できているんじゃないかという気がするんです.
安田 やっぱり煩わしいものだらけの現実社会の中に,1つの手段としてルールで認められた,気軽に話せる場があるというのは貴重ですね.それは,人間がいちばん面白いということを,コンピュータで感じるからでしょうね.
 そうでないと,僕は昔SFを読んでてコンピュータが怖かったんですよ.なぜかというと,コンピュータが結局人間になっていく,自分と同じものに進化するものはやっぱり,非常に恐ろしい感じがした.昔映画でやりましたけど,「博士の異常な愛情」なんていって,「私はいかにして原爆を恐れるのをやめて愛するようになったか」というんじゃないけど、なぜ「コンピュータを愛するようになったか」というと,コンピュータというものがやっぱり知能的に、いまの段階だと人間そのものにまだ遠くて、かえって人間を補う形で、一種の増幅器みたいな形で発展している部分というのが,すごくいいし,面白いと思うからなんです.
――そういうメンタルな部分で言うと,だいぶ話が違うんですが,アメリカのほうでメディテーションとか,精神統一みたいな形で,ニューヨークなんかでは,1つの部屋に別々に入ってきて,ヘッドバンド付けて、あれはブレインウェイブかなんか知らないけど、注目されはじめていますよね.
堀井 そのシステムは詳しく知らないんですけど,どういうやつですか.
安田 一種,バンドみたいなのを巻いて心筋の変化が画面に出て,ショックを受けたりしたときは速くなったりとか,そういうのを精神集中の訓練に使ったりするとかあるんです.
――アルファー波を持続的に高めて出すような訓練をするようになって,そういうところから始まっているらしいんですけど、画面にパターンが表示されるわけですけど,最初はグルグル動いていて,だんだん穏やかに,動きに従って自分の気持ちを落ち着けていくというようなものなんです.
堀井 精神分析なんかに使うんですか?
安田 それはそれだけでやるんですよ.いまのものはまだ,面白いなぁの段階ですけど、これからいろいろ使えるという部分で,可能性はありますよね.
――人間的という意味で,もう少し引いて見ると,音声認識による会話型のソフトなんかも,今後は生まれてくるでしょうね.
安田 聴覚の問題ですが,気分がいいで「しょうね.女性の声で聴こえてきたりとか,しゃべったりとか.
堀井 その辺は兼ね合いですね.たとえば,PC-EngineのCD-ROMのソフトで,ゲームが全部しゃべるのがあるんですよ.実際に声で最初はすごく驚いた.
安田 いまCD-ROMの話が出ましたけど,ソフトウェアのために用意できるデータやプログラムの容量は,まだまだ増えていくでしょうね。
堀井 CD-ROMはすごい.540Mbytesなら「ドラゴンクエストⅢ」が2000本くらい入る.
安田 1本作れば一生楽しめる(笑).
堀井 あれをフルに使えるソフトを作っちゃうとすると「ドラゴンクエストⅢ」1本作るのにだいたい1年かかるから,すべて埋めるのに2000年かかる(笑).解くほうは普通1カ月.540Mbytesなら2000カ月…….何年だろう(笑).
――CD-ROMだと画像データとかは贅沢に使えますね。もっと柔軟な絵とか,もっと自然な色とか,いろんなことができてくる.
堀井 そうですね.CD-ROMになると,それを全部プログラムで埋めることは無理ですよね。やはりリアルな絵を出したりとか,リアルな音を出したりとか,それから選択肢の多さとか.
安田 あと,「カーメン・サンディエゴを探せ」みたいなのを,あれは,“The World Almanac"という百科全書みたいな実際のペーパーバックを使ってゲームを進めるわけですけど、そういうのをそっくりCD-ROM上でやるとか….

新しいエンターテインメントはどこからやってくるか
堀井 CD-ROMを使ってラクターみたいなのを作れば,いろんな反応するでしょうね.(笑)本当の会話みたいにできるんじゃないかなって。
――一時期ネットワークでも,「人工無能」というのが流行っていましたが…
安田 ああいうのすごく好きなんですよ.突然,とっぴょうしもない反応したり,不完全なものでも使い方によってはものすごく面白いものになるっていう…
堀井 僕もあれを見て触発されて「人工無能」みたいなのを作ったんですよ.自分で打ち込んでは知らない単語は自動的に聞いてきて,その育てるのが面白いんですね。
安田 実際の人工知能のほうはどうなんですか.
堀井 コンピュータに感情を分からせるようなプログラムも研究されているみたいですね.論理というんじゃなくて.
安田 感情のほう?
堀井 人間的にするにはそれが必要だということでしょうね.
安田 だけど感情なんて本当に分かったら気持ち悪いですねやっぱり人工知能ってSFから尾を曳いているんですけど,気持ち悪いところがありますよね.機械が人間そのものを真似することをフランケンシュタインコンプレックスっていうんですけど…
堀井 「ドラクエ」が流行り始めた頃,飲み屋に行ったんですけど,飲み屋の女の子が,次はお話できるゲームを作ってくれと言うわけですよね.どういうやつかと聞いてみると、自分とそっくりの性格のキャラクターにしてほしいとか言うんですよね.その子がどう言うかというと,1日その子と話していて楽しいとか言うんですよ、僕はね、自分そっくりのやつと話すと気持ち悪いんじゃないかと思うんだけど(笑)。
 それは男と女の違いかなと思ったんですけど、男って自分にそっくりなやつと会う気ないですよね.(笑)女の子だと,それが楽しいって言うんですよ.
安田 鏡を見るような気持ちでお人形さん遊びの延長なのかもしれないですね.自分の対象に感情移入するみたいな.
堀井 そういうゲームができるのにあと何年かかるか分かりませんね.できるのかどうかってところもありますけど.SFだと結構ありますが。
安田 たいてい悲劇に終りますけどね.
堀井 SFにもいろいろあって,映画の「2001年宇宙の旅」とか見ると,テレビ電話とかあって,現実はそれに近付いているんですよね.コンピュータ,ファミコンでもいいんだけど,これだけ普及しちやって,逆にSFを抜いちゃってると思うんですよね。
安田 それはものすごく実感する.悲しいことにSFが割とコンピュータを後追いしているような形になってるのが….ただね,もちろん時代を先取りしている部分もあって,僕は昔,レイ・ブラッドベリの「華氏451」という作品が好きだったんですけど、あれがトリュフォーによって映画化されたんですけど、あの中で未来の人が新聞を読んだりするときに,漫画だらけになっていたり,耳の中にトランジスタを埋め込んだり,その中で,画面にでっかいテレビがあって、ホームドラマをやってるんですね.そのうち,その中の1人がパッと出てきて「リンダ,あなたはどうする」と言う.これインターラクティブムービーじゃないかといまになって思う。だからもうすでに20年くらい前にそれをやっているわけですよね.
堀井 そういう意味では先取りしている.
――今度のICOT(新世代コンピュータ技術開発機構)主催の国際会議では,大きなテーマが2つあって、1つが並列推論マシンなんですけど、もう1つは文章の意味を理解するシステムということです。
安田 論理解析するわけですね.
――そうです。小学6年生の国語の教科書くらいは理解できるということで,そのあと,ちょうど生徒と先生のような形で内容についてやりとりできるものらしいです。
安田 先生は何するんでしょうね(笑)。
――先生に使うわけじゃないですよ.小学6年生くらいの国語能力を持ったシステムができたと.
安田 生徒ができたと.じゃあ先生のシミュレーションができるわけですね.教える(笑)。
堀井 ゲームというのは,真面目な建設的なところからちょっと外れたところに、面白いものができるんじゃないかなという気がすごくするんですよね.たしかにいまの話を聞いていると、先生がシミュレーションゲームしたら面白いんじゃないかとか,思ったりするんですけれども.
―――なるほど…….そういう意味も含めて,コンピュータゲームは今後どういうふうに展開していくでしょうか.
安田 ゲームというのは、一対一というのが最初にあって.次に,多人数で競争するものが出てきたわけです.独り遊びとか,複雑なロールプレイとか出てくるのは後になってからです.それが,次にネットワークに行くんじゃないかということですよね.CD-ROMなんかも入ってくると,もうほとんど映画を作るのと同じ手法だから,プロデューサーが必要というようなものにもなるでしょう.
堀井 ある意味で集団作業が必要な,それだけ総合的なものになってくるということでしょうね.
安田 そこまでくると,1人では予想もしなかったようなものが出てくる可能性もあるわけですね.
堀井 それはやりたい.ネットワークやCD-ROMでは,いままでできなかった部分ができてくる。ある程度,環境や性格付けだけしてやって,あとはお任せみたいな.そういったことも可能かもしれない.僕としては、コンピュータというメディアを使って,その中に別の世界を作れたら最高だと思うんですよね.遊びでもいいし、なんかいろんなものができるけど、実際自分たちがいま暮らしている世界と違う世界を体験できる.
安田 ネットワークとかもありますが,ゲーム全般から見ると,いろんな形のゲームとコンピュータをクロスして,その中から面白いものがまだ出てくるんじゃないかと思いますね.ボードのほうも面白いのがまだまだ残ってますし,それと,人工知能などが発達してきたら,もっと賢いコンピュータゲームができるでしょ.細かいことはやってくれて,もう少し楽にできるゲームということにもなるでしょうね.


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リトルコンピュータピープルはたまごっち等の育成ゲームの原型だと思う。

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コロニストはのちのセカンドライフやメタバースの原型だろう。現在新たなアイデアが全然発生していないということの根拠となるべき画像だ。古い記事を探してそれを現在のハードに実装すると画期的と勘違いされるソフト(メタバース)ができる。
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スクラップするまでは懐疑的だったが、流石にこの人たちは未来を的確に予測している。スクラップして良かった。それと比べASCIIとかのパソコン雑誌の未来予測の適当なこと。この号の特集で対談記事の良さがわかる。

「最近,このあたりでまったく斬新なゲームが出てこないかなと思ったりしているんですけど……」は33年後経っても同じ状況だ。すでに33年前にアイデアは出尽くしているということで、それを綺麗な画面、大規模なシナリオ、NPCだけだったのを他の人間のプレイヤーを加える、新たなハードに実装するだけだ。新たな画期的なアイデアというものはなかなか出てこない。探せば、過去に類似のものがあるに違いない。

ラクターは感動した。Macのソフトだったからショップで何回か触らせてもらったが凄かった。ただ感想の方向がMacは凄いの方に斜め上の方向に向いてしまった。なんせSmoothTalkerがあるからしゃぺるんだ。英語が致命的に苦手なのでほとんど進めなかったが、日本と米国ではこんなにレベルが違うんだからやっぱり8086はくそだに感情が行ってしまった。
ググってみると「Old Macintoshと "RACTER" に見る白昼夢」があった。

堀井雄二氏と安田均氏は両氏ともに的確な未来を予測する人だった。やはりトップで活躍する人はレベルが違うと感じられた対談だった。

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対談:林晴比古、村瀬康治(月刊ASCII 1989年1月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集記事の2番目は「32ビット,OS/2の出現によりパソコンの歴史は第3のステージを迎える」と題して林晴比古氏と村瀬康治氏の対談があった。
林晴比古氏は特集 「32bitマイクロプロセッサ最新レポート」(月刊ASCII 1988年9月号4)
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を紹介したが、林晴比古氏のBASCIプログラミングの心得というべき連載が雑誌にあり(Oh!PCかな)大変参考にさせてもらった。趣味のプログラミングであり、誰も教えてくれる人がいなかったので林晴比古氏の記事は勉強になった。

村瀬康治氏は「入門CP/M」、「実用CP/M」、「応用CP/M」や「入門MS-DOS」、「実用MS-DOS」、「応用MS-DOS」の3部作シリーズで知っていた。ただ買ったのは「入門CP/M」、「実用CP/M」だけだった。「応用CP/M」は歯が立たず、MS-DOSについては他の本で勉強した。

この対談はスクラップの価値がある。
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32ビット、OS/2の出現によりパソコンの歴史は第3のステージを迎える
情報はアメリカも日本も一緒に走っている
村瀬 アメリカのパソコンショー“COMDEX"からお帰りになったばかりとか.いかがでした?
参加企業は1,700社,入場者数は11万人,規模は世界最大,かつ史上最大です.だけど今年のCOMDEXには目玉商品はありませんでした。いままで情報としてすでに知っていたものが,現実的商品として並んでいただけでしたね
村瀬 特に目新しいものはなかった,と.
ソフトウェアではOS/2とプレゼンテーションマネージャ,ATTのUNIXとかそれなりの役者が揃ってました。ハードウェアでもラップトップとか32ビットマシン,周辺機器ではレーザープリンタとか.でも,すべて予測がつくものばかりで.そういう意味では,情報はアメリカも日本も一緒に走っているということを皮膚感覚で感じられたことが成果ですね.本来,COMDEXというのは,我々みたいなジャーナリストが行くのではなく,商売人が見に行く商談の場なんですよね.
村瀬 流れというか,これを紹介しなければ,というものはまったく無い,と.
特にないんですが,ハードで力強いと思ったのはやはりラップトップ.かつてアメリカは,コンパックなどでもデスクトップからポータブルがせいぜいでした.アメリカのオフィスは広いからラップトップなんて必要ないと、ところが東芝やNECが成功したので,ラップトップもやらねば,と思ったんでしょうね.
村瀬 なるほど、それじゃ,ラップトップの話から始めましょうか.僕は決してラップトップはデスクトップの代わりに使うものではないと思いますね.ラップトップはあくまでも小型軽量が原則,使う所を選ばないという積極的な目的がないなら,デスクトップを選ぶべき.そうでないと、後で後悔することになると思いますね。
私も同感.ホントの意味のポータブルマシンとして使いたいものですね.そういう意味では,本体だけがラップトップで,プリンタなどの付属品をいろいろ繋げるのは本来の姿ではない.最近NECが海外市場で発表したUltraLiteは,専門誌でも“Incredible Laptop"と書かれていて,V30のDOSマシンで重さは4ポンド,1.8kgしかない.これは驚異的だし,本来の姿じゃないかな.
村瀬 ラップトップの本来の姿は、どこへでも持ち運べて,しかも電池で4,5時間は使えることだと思うんですよね.ところがラップトップの流れは,本来のラップトップと,機能をいっぱい詰め込んだ重いラップトップがありますね.しかも後者にどんどん流れている.
そう,そのふたつを私は、「ポータブル・ラップトップ」と「デスクトップ・ラップトップ」と呼んでます(笑).
村瀬 それは適切な表現ですね.僕が,その「デスクトップ・ラップトップ」のような使い方をする場合,致命的だと思うのはディスプレイです.オフィスでかなりの時間の仕事をするわけですからね.現段階ではまだまだCRTディスプレイの性能に遠くおよばない.
機能性を考えると,ラップトップの表示器は何でもいいと思いますね.必要なときは,CRTを繋げて、それで見ればいい.ラップトップに高度な機能を求め出したら,ラップトップとは何だったのか,という疑問が湧きますね.
村瀬 ほどほどでいい.デスクトップで使おうなんて考えるから,おかしくなっちゃった。やはりメーカーには,本来のラップトップの目的をもう一度思い出していただきたいですね.

「パソコンSE」の時代にASCII読者の責任は重い!
ところで,書籍で実績のある村瀬さんが,いままで雑誌の連載はされなかった.それが,最近創刊された「ASAhIパソコン」で連載を始めましたね.それは,なぜなんですか?
村瀬 鋭い質問ですね(笑).思うところはいくつかありますが,ひとつはあの新聞社が出したということ、嫌が上にもパソコンが文化になったわけですね.つまりいまはパソコンの転換期であり,エポックだと、そして新たなユーザーにパソコンを使ってもらいたい,使わなくちゃならない時代が来たと思うんです.地に足がついたユーザーを開拓したいというのが,私の願いです.
あの雑誌で,さまざまなメッセージがエッセイなどの形で堂々と出てきたことは評価すべきですね.というのは,いままでのパソコン誌というのは,こんなコマンドの使い方があるのか,と読んだら得をした.そうでないものが出てきたというのは,初めてパソコンが文化として認められた,ということですね.
村瀬 そうなんですよ、僕は、ああゆうエッセイなどの形で,ユーザーからのメッセージがもっとメーカーにフィードバックされるべきだと思います.
それと,村瀬さんの連載は「みなさん,パソコンは易しいですよ」という記事ではなく,「パソコンはむずかしいんですよ,勉強してください」ということをきちんと書いてある.それが大切ですね.
村瀬 それは林さんがお書きの『32ビット・パソコン入門』(講談社ブルーバックス)の中で,「マニュアルが難しいと言う前に,もっとよく読みなさい」と言われたのとほぼ同じですよね.
 さて,もう少し一般的に考えてみましょうか.林さんは,現在のパソコンについて,どのように思っていますか.
パソコンの歴史はそれほど長くはないんですが,現在は第3ステージに入ってるというのが私の持論なんです.第1ステージは黎明期で「マニアの時代.TRSとかPETとか,あの頃は秋葉原にパソコンを見にいっても,なぜか後ろめたかった.マニアでないと,ほとんどパソコン"の情報は得ることができませんでした.その後,多くのメーカーがいろんな機種を出して、誰もがやり始めた.現実にソフトウェアがたくさん出て,パソコンの花が咲いた.これは第2ステージで,「大衆の時代」、そしてこれからの時代.32ビットパソコンが出てきて,アプリケーシキョンでもDTP(デスクトップ・パブリッシング)とか非常に高度なものが出てきた.これが第3のステージで,再びマニアの時代に入ると思います.しかも,ただのマニアではなく,「ニューマニアの時代」と呼びたい.
村瀬 ニューマニアというのは?
以前は情報がなくて、マニアにしか情報が入りませんでした.いまは情報が溢れている.知りたい情報はさまざまなメディアから吸収できる.ところが普通の人はそれを見て、何がポイントなのか,何が重要なのか,何が役立つのかが分からない.そこでこれからは,自分に役立つ情報をセレクトできるマニアが主導権を得ていくんじゃないでしょうか.そして、ごく普通に使うだけの人は相対的に後退していく、努力する人だけがパソコンで利益を得る,というのが,私が考えるニューマニアの時代ですね.
村瀬 まさしく同意見です.ただし,ちょっと定義は異なります.第3ステージを僕は「パソコンSE」の時代だと思っているんです.これは本格的な大型コンピュータのSEという意味ではなくて,システムの管理ができる人が主導権を握っていくという意味.シスオペといってもいいでしょう.これからは32ビットマシンが出てきますから、MS-DOSのようにはいかない.となると,職場に誰かひとりはパソコンのシステムの面倒を見る人が絶対必要になるわけです.ASCIIの読者の責任は重い(笑).
 それとね,「ASAhIパソコン」の連載を引き受けたのも,その前の「大衆の時代」をもっと充実したものにしたいという気持ちからなんですよ.
アメリカのユーザーサポートは,基本的なところを電話で聞こうとすると、「それはマニュアルを読みなさい.マニュアルを読むのはあなたの責任です」のひとこと.日本のように親切じゃない.使う努力をして,高度な質問を発するようになったら,徹底的にサポートするんですよ向こうの人は、誰にでも使えるソフトなんて初めから信じていない.その結果,使える人はどんどん高度な使い方ができるようになる,使えない人は単純な使い方に徹してくる.そういった二極分化が起きるんじゃないですか.
村瀬 使うからにはそれなりの努力をしろ,というわけですよね.

ユーザーインターフェイスの本来あるべき姿を実現できる時代になってきた
―― 32ビットパソコンについては、どうお考えですか.
私は、パソコンはMS-DOSでやる,その上を考えたい人はUNIXでやりなさい,という考えを持っているんです.MS-DOSでもかなりのところまで使えますし.OS/2が出現しましたが,OS/2じゃなきゃダメだという必然性は弱いと思う.もちろん、いまのUNIXはむずかしすぎますから徹底的に初心者対策の行われたポップアップ・メニューを付けて、必要ならXWindow的なものも組み込んで,あとは、子プロセスとしてMS-DOSが走るようにすれば,パソコンユーザーでも使えます。でも実際には、OS/2がそこにあるからOS/2を使う,ということになるんでしょうね.
村瀬 僕はわりとOS/2を容認してますね.MS-DOSでほとんど間に合うというのは同感だけど,OS/2の環境ならいままでできなかったソフトが作れるんじゃないかという期待があるんです.MS-DOSではメモリの制限とか,マルチタスクが動かないという制限があったわけですからね.たとえば,OS/2ではもっとダイナミックなデバッグができるデバッガが作れますしね.デバッガがよくなれば,開発環境に基礎体力がついて,新しいアプリが生まれる可能性も高くなりますよ
新しいOSが生まれたんだから,新しいアプリが生まれて当然でしょうね.だけど,自分の経験から言うと,マルチタスクに楽観的な見方をする人が多すぎると思いますね.マルチタスクができれば,コンパイルして,その裏でエディタでソースを修正,コンパイルが終わったら,そちらを実行させて、またコンパイルする.だけどそれはとんでもない話.コンパイルしている間にソースコードをまたいじるなんていう人は,解読する能力がない人ですねほんとに能力がある人は、そのコードをじーっと見て、間違いないと思ったらコンパイルして,その間に頭を休めさせるものです。ではマルチタスクは何に使うのかというと,マルチタスクがエンドユーザーの便宜のためになる,みたいな巧みなアプリを作っていけば効果がある.それはユーザーフレンドリーだと思うし、ユーザーインターフェイスの改善にもなるでしょうがね.
村瀬 僕自身,マルチタスクに関しての利用上のメリットはそれほど期待はしていません.ただ,マルチタスクができるようになったら何が一番助かるか,といえば,多分通信ですね.ワープロやってて、どこかから通信の電話がかかってきたら,自動的に取り込めますからね.
 OS/2に関して言えば,32ビットパソコンになればマシンパワーはかなり上がります.でもここで言いたいのは,それを全部,直接実行するパフォーマンスだけに使ってほしくはないということですね.パワーが上がった分,少なくとも半分はユーザーインターフェイスに割いてほしい.たとえば日本語入力にしても,MS-DOSを立ち上げたら,頭から日本語入力でもいいと思うんですよそれに,半角文字と全角文字の本質的な違いなんかも,これからパソコンを始める人に理解してもらうのはむずかしい.全角の数字の1と半角の数字の1は、字の大きさが違うだけで1は1なんですよね.半角の1しか受け付けないようでは,これからは通用しない.まあ,それ以外にも,細かいことでマルチタスク以前にやることはいっぱいあると思うんですよ.
いままでは,ソフトを作る側に資源がなかったからできなかったんですね.10のプログラムを作ったとしても,初心者対策をすれば2倍のプログラムが必要になるし、プロ対策をすれば,さらに2倍になる.そういうことがあるから,やりたくてもできない.これからはマシン自体の能力がアップするから,初心者対策みたいなことをやっても,スピードやサイズがネックにならない環境になってくるはずです.私はそちらのほうに32ビットの能力を使ってほしいと思いますね.メモリもふんだんに使えますから,プログラマーが多少下手なプログラムを作ってもいいし、長くなっても安全であれば結構.あとはマシンが助けてくれる.そんな環境が出てきましたね.本来ユーザーインターフェイスとしてあるべきプログラムのプログラミングをやれる時代になった,ということでしょう.
村瀬 もう一つ、1本のプログラムに見えるんだけれど実は10本のプログラムに分かれていて,その10本が同時に動いているプログラムも作れるわけですよね.
エンドユーザーにはそういったプログラムを提供しなくてはならないと思います.そういった意味で使うんであればマルチタスクは非常に有効だと思うんですよね.ユーザーにタスクを10本使いなさいというようなプログラムは,僕は失敗だと思うんです.
村瀬 ユーザーインターフェイスとしていまは、1本しかプログラムは動きませんから,サイドキックみたいなことをやりますよね.そうすると,たたき起こされるプログラムがメモリのどっかに常駐しているはず.ところが今度はそれが動いていていい、ということはより柔軟な機能を持たせられるということになりますね.そういう意味でOS/2というのは,ユーザーインターフェイスを考えると,いままでやろうとしてやれなかったことができる可能性がある.
パーソナル・ユーザーがマルチタスクを使うのは歴史上初めてのことですから,まだ我々の知らない活用方法もこれから出てくるでしょうね.だけど,OS/2はやっぱり重い.実際自宅でOS/2を調べていますが,MS-DOSならフロッピ-1枚と標準のメモリで使える.OS/2だと標準メモリ1.6メガのRA2ですら動きません.動かすためには2.6メガに,十分に利用するには3.6メガにしなさいと書いてある.そうするとやはり,OS/2とMS-DOSは別物なんですね.今後の主流がMS-DOSなのか,OS/2になるのかという議論がありますが,MS-DOSはずーっと残っていく。さらに上をほしい人は,メモリを増強してOS/2にすればいい.
村瀬 OS/2には可能性はあるが,僕ももちろんMS-DOSはずーっと残り続けると主張しています.MS-DOSが7割,OS/2が3割くらいのバランスでしょうか.
なぜか,多くのマスコミの論調の中に,OS/2に移っていくというような誤解がありますが,その誤解は解いていかねばなりませんね.

データ取得手段としてのパソコン通信,そしてCD-ROM
村瀬 林さんは日頃パソコン通信はしているんですか
私は日経MIXに入っているんですけど、いまのパソコン通信の使い方には疑問がありますね.ボードに書き込んで会議をして「どうだ,こうだ」って果てしなく議論するというのは,本来の姿じゃないと思いますね.それより,ある人が「これについて分からないから,どなたか教えてください」とこう出したら誰かが教えてくれる.そういう形なら僕はいいと思うんです.
村瀬 でも,まったく違ったタイプの人との出会いの場ともなるでしょう.
もちろんそうですね.だからパソコン通信というのは,距離ネックを解消するという意味と,それから匿名性が大きな要素だと思いますよその人は誰かということを知っては話ができなくなる.相手に「私は東大教授の誰々です」なんて名乗られたら、やっぱり気楽に通信ができなくなっちゃいますよね.
村瀬 いま,みんながやっているBBSというのは、アマチュア無線と似た意識のものだと思うんです.アマチュア無線となく議論するというのは,本来の姿じゃないと思いますね.それより,ある人が「これについて分からないから、どなたか-教えてください」とこう出したら誰かが-教えてくれる.そういう形なら僕はいいと思うんです.村瀬 でも,まったく違ったタイプの人との出会いの場ともなるでしょう.もちろんそうですね.だからパソコン通信というのは,距離ネックを解消するという意味と,それから匿名性が大きな要素だと思いますよ、その人は誰かということを知っては話ができなくなる.相手に「私は東大教授の誰々です」なんて名乗られたら,やっぱり気楽に通信ができなくなっちゃいますよね.
村瀬 いま、みんながやっているBBSというのは、アマチュア無線と似た意識のものだと思うんです.アマチュア無線というのは,トップ・オブ・ホビーと言われている.アマチュア無線でみんなが楽しんでいる楽しみ方と,チャットなり,ボードなりのパソコン通信での楽しみ方とは一脈通じるところがあると思うんですよね.だからあれは、趣味の一種です.
 それと,パソコン通信のメリットは,もうひとつあるんです.というのは,初心者がパソコンを使うには,まずそのキーボードをいじらないといけないわけです.日本語を入力しなくちゃいけない.BBSに興味を持って,それでパソコンを買って,それでキーボードを打ち始めるという過程は,僕はいいことだと思うんですよ.たとえそれがほんのお遊びであっても,そういう人たちが増えて,キーボードを使える人たちが増えてくれば,やはりコンピュータ人口全体が増えていきますからね。
確かにそういうメリットもありますが,本来何のために通信があるかというと,データを取得するためにあるんです.
村瀬そうですね.
データを取得しなきゃ意味がないんです.データというものが,価値のない中味の薄いデータだったら,何の意味もない。だからそういう意味で,単なるお遊び的なパソコン通信であれば,それはそういう通信っていう本来の目的からすれば意味がないですね.ところがそれが楽しいんだと,そういう趣味なんだといえば,これは何も言えないです(笑い).
 やはり僕がパソコン通信に期待するのは、「この本の著者を知りませんか」というような質問を発したら、誰か知らない人が答えてくれるようなそういうデータベ-ス機能ですね.日本には1億2000万人もいるんだから,それだけのデータベースがあるわけですよ.誰かが知っているんです.それを通信で募ると,ちゃんと教えてくれる.そういう実用性のある通信っていうものは,これから出てくるんじゃないですか
村瀬 確かにそういう利用の仕方が理想だと思いますね.しかし,パソコン通信人口が増えなければ,データベースにならない.そういう意味では、パソコン通信のとっかかりは趣味でもいいわけです。
そうですね。それと,もうひとつ.データを取得するという意味では、CD-ROMの関係も私は非常に期待しているんですよ、自分自身だけのことかもしれないけど,たとえば新聞社が1カ月ごとに全記事の入ったCD-ROMを販売してくれたら,私はとにかくほしいんですね.日経産業新聞とか電波新聞とかそのテのデータさえ入ってくれれば,いろんな検索に使えるんです.これがあると私の仕事の可能性というのは、飛躍的に向上するでしょうね.もっといい仕事ができると思っているんですけど(笑).
 そういう事情は,実は,いろんな世界のビジネスマンたちも多かれ少なかれ持っていると思うんです.そういう要望があって情報を切り売りしていけば,ものすごいマーケットが存在すると思いますね.
村瀬 僕もCD-ROMそのものはすごい市場性が出てくると思うんですけど,現状ではCD-ROMの呼び出しは遅い.ハードディスクに比べるとめちゃくちゃ遅い.だから,CD-ROMの呼び出しスピードは少なくともいまのハードディスク並にならないといけない、ならないなら,別の方法を考えたほうがいいんじゃないかと思うんですよ.たとえばハードディスクもどんどん容量が増えてきますから,1000メガバイトとかいうのもそのうち実現するでしょう.そうなったら,CD-ROMの内容を必要なときにハードディスクにコピーして使う.いまのスピードが改善されない限り,CD-ROMはデータやソフトを販売するためのメディアに徹しちゃったほうがいいかもしれない.大量のデータから好きなところを検索するためにも、
実用的なスピードまで上げてもらうということは大切ですよね.

普通の人が容易に使えるデータベースの問い合わせ手段を提唱したい
――現実的なところで,パソコンに対する要望みたいなものはありませんか. 村瀬 そうですね.先ほど言った全角・半角の区別の問題もそうですが,たとえばMS-DOSのファイル名は8文字です。で、漢字だと4文字になります.これも困ると思うんですよ、一昔前までは漢字を使うということがもうめちゃくちゃ特殊なことで,異常なことだった.ところがいまは漢字を使うことが当たり前で、半角文字を使うこと自体がおかしなことなんです。ところが旧態依然,もうファイル名なんて何文字入れたってかまわないと思うんです.そういうことひとつを取ってみても,まだ林さんのいう「大衆の時代」にはちょっとほど遠いんじゃないかな,とも思うんです.やはり相手はパソコンですから,もっと身近なユーザーインターフェイスの問題をひとつひとつ解決していかなければ,みんなが使えるコンピュータにはなっていかないんじゃないかと思うんです.
そのファイルが8文字というのは,アメリカから来たわけです.アメリカでは8文字で十分なんですよ.すると,そこで日本人のためのOSを作ればいい,みたいな発想が出るんだけど、やっぱりそういう地域性というのを持ったら,日本というのは取り残されると思うんですよね.全世界で通用するものという価値の上に成り立って,ソフトとかOSとかを作らなきゃいけないと思うんです.だから,いまは8文字しか入らないOSで,僕はかまわないと思ってます.
 もし,一方的にエンドユーザーの立場から30文字のファイル名でもいいようにしろっていうと,それは現在では簡単にできますよ.
村瀬 それはそうですよね.
だから余りにも技術的な可能性というのを無視した,100パーセント初心者発想みたいなものは,それはそれで重要なんだけど,その通りにはいきませんよ,ということはあまり話されてないですね.たとえば,エラーメッセージなんかにしても「これじゃ意味が分からないじゃないか,ちゃんと説明するようにしよう」というと,画面いっぱいにわたるようなメッセージを出さなくちゃいけないだから,そこまでシステム側に要求するというのは,僕はおかしいと思うんですよ.
村瀬 もちろんバランスが大切ですけどね、だけどそれをやるためには,OS設計者のほんのちょっとした心遣いですむ話も多いと思うのですが,それが十分でないから言っているんですよ.
だから私の言いたいのは、初心者としては要求,これは当然要求すべきだというものと,これは初心者側の努力で解決することですよという,両方あるということですね.
村瀬 ところでさん,いい機会だからご意見を伺おうと思いますが,僕はパソコンというのはデータベースが基本だと思うんです.データベースが使えるようになって、初めてパソコンで仕事ができると、だから,みんなにデータベースを使ってもらわなくちゃいけないと思うんです。ところがデータベースを使いこなせる人は少ない.それはなぜかというと,やはりユーザーインターフェイスが10年古いんじゃないかと思うんですよ.
 そこで,普通の人が容易に使えるデータベースの問い合わせ手段を提唱したいんです.具体的には,リレーショナルデータベースInformixでの問い合わせで,日本語で「林晴比古さんの電話番号は」と入力すると,それで答えが出てくるというものです.そういうユーザーインターフェイスをデータベースに載せたいんです。実現しませんか.
自分は技術者から降りてきた立場だから,ある程度技術者の辛さとか悩みを知っています。言われるままにやると本当に便利なのか,アドバイスしなければならないこともある.データベースというのはリレーショナル理論だけでやるととても処理速度が遅くなるんです。だからデータベースがあって,それにアドインというか,そういう形でユーザーイン.ターフェイスというモジュールを作っていく形がいいように思いますね.
村瀬 僕が考えているのはそれなんです-が,Informixを核に,Mindをうまく処理したものをアドインする.InformixはSQLできますから,そのSQLに準じた問い合わせ形式で,表面的には日本語なんですけど、実はSQLに置き代わって問い合わせしているという方法でいけるんじゃないかと思うんですよ.
 というようなことで,パソコン界全体を見ていま一番思っていることは,32ビットパソコンより何より,データベースを一般の人が使えるようにしてほしい,ということなんです.
なるほど、私も32ビットパソコンがなければ,世の中何も起きないというのはおかしいと思っています.要は,我々は「よいパソコン」を求めているんであって,ある場面,ある人にとっては,たまたまそれが32ビットパソコンとOS/2であったと考えるべきだと思いますね.8ビットのパソコンでも十分だというようなことが,この世界にはまだまだたくさんあるのではないでしょうか.


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やはり、林晴比古氏と村瀬康治氏の対談は33年前のパソコン市場の状況とパソコンのあるべき姿を的確に捉えている。私たち一般ユーザと同じ考えだった。ASCIIは雑誌を売るために提灯記事というか、あおり記事を書いていたと当時も今も判断する。

そうだった。パソコンに詳しい人間は職場で小間使いをさせられた。酷くなると他の課からもお呼びがかかった。で、私たちのように8bit時代からプログラミングをしてきたようなマニアはその小間使いされることが楽しかった。しかし、それもWindows95以降は辛くなり、転勤を機にパソコンに詳しくないふりをして、「新しいソフトは分かりません。新人に聞いてみてください。」となった。事実新人らは私たちよりWindowsマシンとそのソフトについて詳しかった。段々彼らに教わるようになり、歳をとったものだと実感した。

OS/2の予測についても両氏は的確に立てている。それに比べパソコン雑誌ときたらもう全然ダメだった。ユーザが欲しいものを作らねば。メーカーが作りたいものを作ってもだめだ。

パソコン通信にしても両氏の意見が私たち一般ユーザの意見だった。大学の先生と中学生が議論するなんて匿名性がなければできなかった。まあ、議論が喧嘩のようになったときには「高い電話代をかけて喧嘩しているね。」と外から揶揄したこともあった。

33年たった今インターネットによりデータベースが皆の手にある時代になった。死ぬまでにこのような環境に存在できたこと嬉しく思う。

林晴比古氏と村瀬康治氏の対談は33年後でも十分読む価値のあるものだった。

新しいものは何もない。すでに33年前に求められていたものが使い物になるようになっただけだ。33年前の延長線上にあるだけだ。








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’89年のパーソナルコンピュータ市場(月刊ASCII 1989年1月号4) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集記事「見えてくる90年代のパーソナルコンピュータ」
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から当時の状況が解説されている部分をスクラップする。
'89年のパーソナルコンピュータ市場
CPUと周辺機器、OS

 4年ごとに到来すると言われるシリコインサイクルの当たり年だった'88年は,空前の半導体ブームだった.この好景気を「引っ張ったのは,もちろんパーソナルコンピュータ市場である.80386や68020を搭載した32bitマシンが低価格路線を打ち出し始め、IBM PC/AT互換のAXマシンが市場に姿を現し,HDD内蔵の高級ラップトップが一堂に会した。同時に,DRAMの主流は256Kbitから1Mbitへと順調に移行しつつあり,メモリ大量消費時代を迎えた.
 90年代にあと1年と迫った'89年は,本,格的な32bit時代の幕開けの年である.CPUはもちろん,メモリ,周辺機器,オペレーティングシステム,アプリケーションなどが,32bit環境に突入する元年として位置付けられよう.本特集では,パーソナルコンピュータ全般における'89年のトレンドを、2大対談,2大インタビューを交えて概観する.

'89年の286/386マシンの出荷台数は約116万台
 '89年には1年間で,過去5年間に出荷した総計と等しい80286/80386マシンが国内で出荷される.内訳は,80286マシンが84万3000台,80386マシンが31万5000一台で,合計115万8000台.
 この予測数値は,OSベンダーのマイクロソフトが明らかにしたもので,誤差は非常に低いと思われる.世界的に見ると,80386CPUの台頭が顕著だ.米国Intel社は,ニューメキシコ,オレゴンの両工場を合わせた生産規模を年間350~400万個に拡大しており,90年までには32bitCPUの市場規模は年間1000万個になると見ている.これにともなって,現在,16MHzの80386は1個3万円台と30%近く価格が下落している.16MHzの80286にいたっっては1個7000円台まで落ちている.'89年中に,80386は1~2万円台に落ちることが確実視されており、32bitCPUが高いという常識は,わずか1年で崩れ去ってしょまったことになる.
 メモリ大量消費時代を迎えたDRAMは,256Kbitから1Mbitへの過渡期にある.'87年に256Kbitが深刻な品不足になった一時期が幸いして,1Mbitの先取り導入が目立つ.
 CPUとメモリの安定供給が実現しつつある状況下では,16~32bitマシンの低価格路線がさらに進むことになるだろう.

HDDの装着率が躍進する
 3.5インチFDDの世界市場は日本メー,カーが独占しているが,'89年は新製品に搭載される割合が急増しそうだ.これには,ラップトップ型マシンの躍進が無視できない.3.5インチFDDを標準搭載したPS/2シリーズの出荷台数が全世界で300万台を越えており,米国では'90年には全パーソナルコンピュータにおける3.5インチFDDの搭載率が75%を越えるという予測もある.一方の日本国内では,PC-9800シリーズなどのデスクトップ型が5インチFDDを標準にしていることもあって普及率は米国の約半分とも言われている.しかし,'89年後半に,3.5インチFDDへの移行をスムーズにする中核マシンが"登場するかもしれない.ただし,FDメディアは、HDDの低価格化によってマシンに占める比重が相対的に低下してきており,外付けの低価格3.5インチFDDも好調なことから,移行はもっとスローテンポになる可能性が高い.
 一方,外付けHDDの主流になっている20Mbytesタイプは、実勢価格が'88年に10万円を切って,現在は40Mbytesタイプが10万円台を切る勢いだ。
 HDDの生産量は,ここ2~3年間で見ると30~40%増のペースで推移しており,今年は300万台の大台に乗ることが期待されている.価格は,逆に30~40%安になっており,80Mbytesタイプが10万円台になるのも時間の問題だろう.20~40MbytesHDDを標準で内蔵した低価格マシンは,'88年後半から出荷台数が著しく伸びている.'89年はHDDの標準デバイス化に拍車がかかりそうだ.
 これに関連して,書き換え可能な光磁気ディスクやDAT(デジタル・オーディオ・テープ)を利用したストリーマなど,HDDのバックアップ機器も本格的な立ち上がりが予想される.特に,DATは,'88年に数社がすでに商品化しており,ソニーと米国Hewlett-Packard社の統一規格に歩調を合わせた製品の登場が期待される.価格は,量産段階で30万円台といったところで,現行のカセットストリーマに比べると割安だ.

ページプリンタ元年になる
 '88年は,日電が日本語PostScriptプリンタ「PC-PR602PS」を発売したのを始-め,各社がページプリンタを一斉に発表したアップルコンピュータジャパンも「LaserWriter II NTX-J」を発表して,ドキュメント処理の中核としてページプ・リンタが急浮上している。焦点は,どの程度の低価格化が図れるかという一点にある.PostScriptに代表されるページ記述言語(PDL)搭載プリンタは90~120万円の価格レンジから出発しており,急激な低価格化は望めそうにない.一方,PDLを搭載していないページプリンタは20~30万円台が期待される.普及の鍵を握るアプリケーション側の対応は,ワープロソフトを中心に'88年後半から進んでいるため,グラフィックス系ソフトの展開がポイントになるだろう.'88年のDTPブームは持続すると見られるが,本格的な市場の立ち上がりにはもう少し時間がかかりそうだ.
OSはもちろんMS-DOSが主流
 オペレーティングシステムは,OS/2が普及への第一歩を踏み出している.'89年の普及率は116万台の286/386マシンのうち1%程度だろう、動作するアプリケーションの出荷は'90年に入ってから本格化すると見るのが一般的で,プレゼンテーションマネージャ対応となると,さらに普及時期は後退するというのが妥当だ.したがって,'89年は、OS/2のさらなる周知期間として位置付けることができるだろう。とは言っても,米国では400以上のアプリケーションがリリース予定になっており,秋以降にOS/2のプレブームが到来する可能性は否めない.
 マイクロソフトのWindowsやジャスト・システムのAAC構想が市場に及ぼす影響については未知数である.ただし,一太郎Ver.4については、ワープロ中心のアプリケーション市場を考慮すると,ある程度の予測が立つ,AAC構想という正面からの捉え方よりは,一太郎のバージョンアップというユーザーサイドに立った視点で捉えると,普及に際しての足かせはあまり見あたらないのではないだろうか.

1989年の記憶を探ると職場はもちろんのこと一般ユーザでもHDDの装着、メモリの増強は当たり前の状態になっていた。3.5インチFDDの増設もしていた。なにしろPC-9801は5インチFDDのマシンが全盛だったのでそれらのうちの一部に3.5インチFDDを増設した方が合理的だった。PostScriptプリンタの導入は職場でも進んでいなかった。ドットインパクトプリンタがメインだった。
 OSの動向が「OSはもちろんMS-DOSが主流」と「もちろん」がついているところが良い。大多数のユーザがそう思っていたはずだ。OS/2を使っているとか使おうと思っている人を知らなかった。雑誌等のOS/2推しは33年後の未来からみると滑稽というか読んでいて恥ずかしくなる。

CD-ROM市場はまだ黎明期
 CD-ROMは、ハードウェアとソフトウェアを合わせた市場規模が'88年度で約12億円と小幅の展開だった.'89年は、出荷台数が1万台程度と見込まれており,市場規模は約25億円と倍増しそうだ。本格的な展開は,やはり90年代前半からだろう。
表 CD-ROMの市場規模予測(日電HEほか調べ)
年度 出荷台数 金額 ソフト市場
'88年 4000台 6億円 6億円
'89年 1万台 10億円 15億円
'91年 10万台 70億円 120億円
'96年 120万台 600億円 1000億円
このころはCD-ROM搭載のパソコンはまだだった。CD-ROMを意識しだしたのはFM-TOWNSの登場からか。外付けでCD-ROMドライブを買うことの検討はまだしてなかった。キラーコンテンツがないのにドライブを買ってもしょうがない。
 この表はどの程度予測があったたか確かめるためにスクラップしておく。

IBMのシェアは低下の傾向?
 米国IBM社のPS/2シリーズのジリ貧傾向は'89年も続くのだろうか.全米最大のコンピュータディーラーであるComputerland社では、PS/2関連で年間4億ドル以上を販売しているが,Compaq社やApple社の健闘が目立つという.Solomon Brothers社のアナリストによると,IBM社は2年前に40%のシェアを確保していたが,ここにきて10ポイント以上も落ちているという.
 IBM社のエントリーシステムズ事業部のウィリアム・ロウ社長は,「MCA(マイクロ・チャネル・アーキテクチャ)を使っていないモデル30の需要が供給に追い付いていない」と述べて,MCAベースのPS/2の不振を暗に示唆している。
 一方では、MCAに対して新たな業界標準を打ち出したCompaq社やIntel社,ASTResearch社など主要メーカー9社が推進するATバスの32bit拡張仕様「EISA」に基づいたマシンが登場してくる.Del社やTandy社が,MCA互換機路線を一部修正するなど,PC/AT見直し機運も根強い。'89年の米国パーソナルコンピュータ市場は波乱含みで推移しそうだ。

IBMのMCAは確かポシャッタという記憶がある。OS/2とともにMCAがどうしてダメになったのかスクラップして確かめる。

続いて古川 享氏の予測をスクラップする。
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軽量・コンパクトなラップトップとフロッピーベースの統合ソフトが目玉
マイクロソフト(株) 古川 享氏
 第1に,軽量・コンパクトなラップトップマシンが市場に出てくる.現在の重装備ラップトップマシンの対極にくるようなスペックが求められるだろう.その先鞭を付けるものとして,日電が'88年秋のCOMDEX'88に出品した「UltraLite」や,最近の電子手帳型ワープロ(写真1)のような軽量・コンパクトのマシンがあげられる。
 これらのマシンに必要なのは,コンパクトなアプリケーション.占有するメモリサイズが小さくて,機能やスペックをある程度絞り込んだソフトが注目されるだろう.たとえば,MS-Works(写真2)やPC-Worksのような既存の統合ソフトを進化させたようなアプリケーションが考えられる.ワープロ,表計算,作図,通信などがそれぞれ単体でも使用でき,ユーザーが必要に応じて各ソフトを選択・統合できるような環境が求められるだろう.ワープロを中心にして,ニーズに適した機能をフロッピーベースで使えることが,キーポイントになる.そのためには,アプリケーションのROM化といった手法も積極的に採用されるだろう.
 OS/2やWindowsが大きいメモリスペースを必要とする環境に向かっているのに対して,コンパクトなラップトップマシンと統合ソフトの組み合わせは,データエントリーマシンとして,デスクトップ環境を側面からサポートすることになる.日本語ワープロ専用機が200万台,パーソナルコンピュータが150万台という市場では,その境界線を埋める位置付けを持ったマシンの存在意義が出てくる.これまで蓄積してきた高機能ワープロ専用機の開発技術も要請されることになるだろう.
 統合ソフトの具体的な内容は、ワープロ専用機を例にとると、MS-Worksからワープロ機能だけを抜いたようなもので,表計算はMultiplan Ver.2クラスの機能が必要だ.オーディオを例にとると,従来の統合ソフトがコンポーネントステレオだとすると,新しい統合ソフトはラジカセのような感じかもしれない.コンポーネントステレオほどの音質は求められないが,コンパクトディスクを内蔵した可搬性が魅力になるようなコンセプト.仕事で使いたい人が求めるようなパーソナルコンピュータは,本来,そうした機能を持っていなければいけないと思う.
 マイクロソフトでは,5月から秋にかけて,このようなコンセプトに基づいた統合ソフトの製品化を考えたい.
 第2に,ネットワーク環境の整備が進むだろう.Ethernetでもツイストペアでも,ケーブルやプロトコルを気にせずに接続して,各サーバを自由にアクセスできるような通信システムを作る元年が,'89年になるのではないかたとえば,サーバとしてデータを提供しつつ,クライアントとして他のサーバのデータを共有できるような環境.OS/2上のバックグラウンドのアプリケーションが,MS-DOS互換ボックス上のデータを吸い上げて処理したり,それをさらにLANマネージャを使って他のクライアントがアクセスしたり,1つのサーバ上で並列に動作している複数のデータベースをネットワークで共有したり,といった並列分散の環境作りが始まる年になる.
 第3に,テキストベースからビットマップベースへの展開が本格化するだろう.電報やテレックスなどのテキスト系コミュニケーションがファクスのようなグラフィックス系に変遷したように,MS-DOSにはWindows,OS/2にはプレゼンテーションマネージャといったビジュアル環境が定着する.それにともなって,ドットプリンタの代わりにレーザービームプリンタが本格的な普及段階を迎える.こうしたイメージデータ主導によって,ワープロやデータベース,表計算などがグラフィックスベースで処理されるだろう.ネットワーク環境と考え合わせると,グラフィックスによるイメージ通信が浮上することも考えられる.


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「日本語ワープロ専用機が200万台,パーソナルコンピュータが150万台」そうだった。33年前はパソコンは難しいがワープロなら使えるという世代がいた。まだまだパソコンユーザは変わった人という認識を持たれていた。
「ネットワーク環境の整備が進むだろう」とはいってもLAN環境はまだまだ先の話だった。フロッピーを手渡しするような環境が続いていた。
 全体として古川 享氏の予想より市場の進みは遅かったということだった。パソコンはドッグイヤーと言われるように進歩が速かったが、古川 享氏の予想はそれより速すぎた。

続いて西 和彦氏の予測。
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HDDを内蔵していないマシンは売れなくなる
(株)アスキー 西 和彦氏
 第1に,外部20MbytesHDDが10万円を切るようになったのを受けて,HDDを内蔵しているパーソナルコンピュータが標準的なスペックになるだろう.かつて,FDDを搭載していないマシンが使いものにならなかったように,HDDを内蔵して|いないマシンは売れなくなるかもしれない.極端な言い方のようだが,ユーザーの意識はそこまで来ていると思う.これに関連した外部記憶装置として,光磁気|ディスク(写真3)に注目する人もいるが,価格がまだ一般化していないし,規格統一の問題も残っている.'89年中に有望な外部記憶は,DAT(デジタル・オーディオ・テープ)を用いたストリーマドライブ(写真4)だろう.これは,標準で内蔵されるHDDのバックアップデバイスとして浮上してくる.DATは,アクセススピードが現在のストリーマに比べて格段に速く,コンパクトなカセットテープにGbytesオーダーのデータが記憶できる点が魅力だ.OS/2が本格的に導入される環境では,重要なデバイスとして位置付けられるだろう.
 第2に,ネットワーク環境を標準で搭載するようなパーソナルコンピュータが登場するだろう.たとえば,Ethernetのトランシーバを内蔵したようなマシンが考えられる.OS/2の普及が本格化すれば,コーポレートユーザーにとっては,LAN(ローカル・エリア・ネットワーク)の機能をサポートしたマシンが不可欠になる.UNIXの普及を唱える人もいるが,ビジネスユースではOS/2が確実に主導権を握る.コンピュータのすう勢は,グラフィックスに向かっている。OS/2にはプレゼンテーションマネージャがあるが,UNIXには統一的なビジュアル環境がない.X Windowは,操作が複雑でビジネスユースで主流を占めることは当分ないだろう.期待されるのは,開発中の80386ベースのOS/2だ.現在の80286ベースのOS/2ももちろん有望だが,プレゼンテーションマネージャとその上で動くアプリケーションが市場に出てくるまでは一般化しないだろう.つまり,当分はMS-DOSベースで推移するということだ.32bitCPUはRISCを有望視する向きもあるが,やはり80386SXや80386が市場をリードすることは確実だ.
 ホームユースマシンは難しい局面を迎えると思う.特に,高価格の8bitマシンは,先頃発表されたスーパーファミコンなどに相当食われるだろう当分の間は混沌とした状態が続くだろうが,先行きが明るいとは言えない.
 第3は,これまでにない分野だが,「パソコン放送」と呼べるようなもの.つまり,JCSAT1のような放送衛星が持っている高速・大容量のデータ伝送能力を,パーソナルコンピュータとドッキングした環境だ。JCSAT1を使って6Mbit/秒という高速データを実現するプロジェクトがある。これに対応するアダプタをパーソナルコンピュータに接続すれば,あたかもHDDを増設したかのような大容量外部記憶の環境が得られる。
 また,ISDN対応のモデムを内蔵したパーソナルコンピュータとスキャナ,LBPといった構成も有望だ。前述のLAN環境と合わせて考えると,画像中心の通信環境が浮上してくると思う。


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「HDDを内蔵しているパーソナルコンピュータが標準的なスペック」’89年はこうなるではなかったのか。90年代のことを語っているのか。HDDが標準搭載なのは1995年のWindows95のころか。そんな未来のことを語っていたのか。ピンボケではないか。33年前まだまだHDDは外付けするのが普通だった。内蔵のマシンより外付けの方が良かった。HDDを追加購入して容量を拡張するのが普通だった。
 DATも職場では数年後に導入したがそんなに普及はしなかった。一般ユーザには必要のない装置だった。だいたいOS/2が普及するとなんて考えているから予想が外れるんだ。OS/2は普及しないと誰も言わなかったのか。
 8bit機については「スーパーファミコンなどに相当食われるだろう」そうかスーファミはこの頃か。8bitパソコンによるゲームはグラフィックが美麗な恋愛ゲーム等しか生き残れなかった。
 総じて90年代後半、氏はこの記事の10年近く未来に実現するようなことを想像していた。もっと身近な未来を予想してほしかった。まあ、OS/2しか考えていないようでは仕方がないことだ。

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ハードウエア等(月刊ASCII 1989年1月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESS からハードウエアその他の記事をスクラップする。

日本電気,16Mbit DRAMの試作ラインを建設
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この当時は16Mbit DRAMは次々世代だった。半導体回路は0.6ミクロン,超クリーンルームを設ける。投資額は約200億円。試作工場でこの投資額だった。さて業界最大手をいつまで維持したのだろうか。いつ韓国に負けたのだろうか記憶にない。

ICMが容量80Mbytesの98用HDDを発売
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SR-80の価格は19万8000円

富士通,182M bytesの3.5インチHDDをOEM供給開始
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M2611S(45Mbytes)が9万円
M2612S(90Mbytes)が18万円
M2613S(136Mbytes)が25万円
M2614S(182Mbytes)が34万円
この当時のHDDは高かった。

松下電器産業,追記型光磁気ディスクドライブを発売
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どんなタイプだったのか。CD-Rか?
LF-5100Aが48万8000円、200Mbytesの光磁気ディスクLM-D510が9800円、400MのLM-D510Wが1万6800円。

ソニーとフィリップス,8cm CD-ROM規格を提案
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これがどうなったのかアスキーに記事があることを期待する。

日電,UNIX標準化でAT&Tグループに参加
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AT&TグループにはSun Microsystems,日電,富士通,東芝,沖電気など
米IBM社のOSFにはDEC,HPなどで日立が参加した。

この号のASCII EXPRESSにはスクラップすべき記事が少なかった。

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コンピュータ・ワープロ(月刊ASCII 1989年1月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESS からコンピュータ、ワープロ関係の記事をスクラップする。

精工舎がPC-9800とPC/AT互換のパーソナルコンピュータを開発
ASCII1989(01)b05精工舎PC-9800PC/AT互換機_W520.jpg
CPUが80386SX(16MHz)
RAMが1M
価格は50万円を切る予定
一般ユーザには購入意欲がわかない機械だった。

東芝がJ-3100シリーズに新機種を投入
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J-3100SL021
CPUが80C86(10MHz)
RAMが640K
HDDが20M
価格は44万8000円
この当時のマシンは高い。

日立がカラー液晶ディスプレイを採用したラップトップを開発
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HL400モデル021C
 カラー液晶
 CPU 80286(12MHz)
 価格約70万円
HL400モデル0321
 青液晶
 価格約52万円

マイクロシステムズがA4サイズのPC/XT互換ラップトップマシンを発売
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The BOOK
CPU 80C86(8MHz)
RAM 640K
価格 25万円

キヤノンがNAVIの普及タイプを発売
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NAVI SP
価格 39万8000円
ゲームソフト「上海」を発売。懐かしい、この当時ワープロには上海がバンドルされているものが複数あった。もしかすると販売促進のためメーカーではなく販売者が添付したのかもしれない。

日本IBM,ディスプレイ一体型のマシンを開発
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CPUは 80286(10MHz)
RAMは 1M
PS/55モデル5530Z02の価格は49万8000円
PS/55モデル5530Z09の価格は 63万円

日本IBMがPS/55シリーズを機能強化
ASCII1989(01)b13日本IBMがPS/55_W520.jpg
パーソナルシステム/55モデル5540
CPUが80286(10MHz)
RAMが1M
M12が60万円、M19が74万円、P12が74万5000円、P19が88万5000円

ATARIがIBM PC互換の超小型ポケットコンピュータを開発
ASCII1989(01)b02ATARIポケットコンピュータ.jpg
pocket-PC
CPU 80C88(4.9MHz)でRAMが256K
日本ならカシオかシャープが出しそうなマシンだった。

ソード,32bitパーソナルコンピュータを発売
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Future32
CPUが68020(16MHz)でRAMが2M
モデル12が119万8000円、モデル14が169万8000円、モデル15が139万8000円
CPUが68020なら高くなる。

リコーがラップトップタイプの日本語ワープロを発売
ASCII1989(01)b07リコーワープロ_W520.jpg
マイリポートP-1の価格は9万9800円

富士通がOASYS30シリーズに新機種を投入
ASCII1989(01)b07富士通OASYS_W520.jpg
OASYS30msの価格が16万8000円

日電が文豪mini5シリーズに新機種を投入
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文豪mini5HGの価格は14万8000円、同HSが12万8000円
この時期でもワープロの新機種は各社から投入されていた。

東芝がワープロ通信ネットワークサービスを開始
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Rupo-Netの入会金が1000円、年会費が6000円
パソコン通信がワープロまで広がった。ただ年会費が6000円とはこんな会費をとっていたのか。
この当時はパソコン通信等をしようとするとお金がかかっていた。
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パソコン広告(月刊ASCII 1989年1月号1) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

もう一度読み返し、スクラップする。

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裏表紙は前号と同じFM77AV40SXだった。

表紙見返しの広告はこの年もNECが独占した。
ASCII1989(01)見開_W520.jpg
PC-9801RX2,/RX4, PC-9801LS2,LS5だった。

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PC-8801FEの広告。斉藤由貴の写真が変わった。

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小沢なつきを前面に押し出している日電のモデムとプリンタの広告。前号の使いまわし。

ASCII1989(01)a03小沢なつきタブレット_W520.jpg
左側の日電のペンタブは前号の使いまわし。

ASCII1989(01)a04シャープAX_W520.jpg
シャープのAX286LとAX386。

ASCII1989(01)a05X68000_W520.jpg
シャープのX68000は前号の使いまわし。

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シャープの新製品X1turboZIII。8bit機は新型が出る度に名前が長くなる。

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シャープのX68000の周辺機器の広告。

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左頁がシャープのポケコンPC-E 500。
右頁がPanacomM LAPTOP。

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南野陽子の富士通FF77AV40SXは前号の使いまわし。

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南野陽子の富士通FMR-50LTの広告。

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左頁がJ-3100SL EXPRESSの広告。

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東芝のワープロRupoの広告。ワープロの広告をASCIIに出しているのは東芝だけだった。

ASCII1989(01)a13IBMクラブNET_W520.jpg
ASCII1989(01)a14IBMクラブNET_W520.jpg
IBMの広告はパソコン通信についてだった。日本IBMがユーザーサポートのようなパソコン通信サービスを始めた。インターネットが無い時代、パソコン通信もまだまだこれからの時代がどんな雰囲気だったのかあおり文をスクラップする。
会員ならではの特典を生かしてください!
『IBM®パーソナルシステム/55™』『IBMマルチステーション5550』『JX』のコンピュータをお持ちの方のための、パソコン通信によるユーザーズクラブが、この11月21日にIBM〈PSクラブ>NETとして誕生しました。そこで、このNETがどのような内容になるのか、どのような内容であれば会員にとって意義あるものとなりえるのかを、今後の期待と予測を交えてIBM機のユーザーでもあるライターの柳沢健二氏に執筆してもらいました。
この前文がいかにパソコン通信の認知度が低かったのかが分かる。パソコン通信をしているのはパソコンユーザの中ではまだまだ少数だった。
IBM<PSクラブ>NETの会員になると
アスキーネットACSの全サービスが受けられるだけでなく、会員専用の「データファイルエリア」も活用できます。
●IBM<PSクラブ>NETのサービスメニュー
[電子掲示板サービス]
[電子メールサービス]
[NEWSサービス]
[ACSフォーラム]
IBM<PSクラブ>

1,IBMインフォメーション
IBM新製品情報/ユーザーサポート情報/ユーザー向け情報など、便利で魅力ある情報が提供されます。迅速なオンライン情報が有効に利用できるでしょう。
2,IBM
ユーザーズサロンIBM<PSクラブ>会員同士やACS会員との情報交換のためのメインエリアです。気軽にご利用ください。
3,データファイルエリア
会員が制作したIBMマシン用のソフトウェア(Public Domain Software)やデータなどを蓄積しています。IBM<PSクラブ>会員なら自由に利用できます。
IBM<PSクラブ>NETの基本サービス
ハイパーノーツ(電子掲示板システム)、電子メール、VOICE(オンライン会話システム)、POOL(ライブラリシステム)、TOPIC(簡易電子掲示板)
ああ、ここから説明しなければならなかった時代だった。
IBM<PSクラブ>NETの基本サービスで“自分の社会を広げる”
 このほど、日本アイ・ビー・エムのPS/55、マルチステーション5550およびJXシリーズのユーザー(以下PSユーザーと略します)を対象としたパソコン通信ネットワーク、[IBM<PSクラブ>NET]が発足することになった。
 具体的には、株式会社アスキーの全国規模のネットワークサービス「ACS」の中に開設され、そのACSが提供している既存の全サービスが利用できるほか、IBMNET会員だけの特典として独自のサービス・メニューも設置される。  この文章が活字になるころには、すでに実際の運営が開始され、気の早い……訂正、パソコン通信の楽しさをすでによくご存じのPSユーザーの皆さんたちが、さっそくアクセスし始めているはずだ。
 いいかえると、この文章を書いている時点では、このIBMNETは実はまだオープンしていない。だからぼくはいま、若干の資料をもとに、いまだ見ぬ新生ネットワークの全貌についてあれこれ想像をめぐらし、期待に胸ふくらませながらこの文章を書きつづっている、という次第だ。
 ところで、ひとくちに「パソコン通信」といっても、その利用法や楽しみ方はさまざまだ。残念ながらぼく自身、そのすべてを体験したわけではないし、もともと、すべてを体験することなど不可能でもある。だから、パソコン通信を体験したことのない人にこう質問されたら、はっきりいって、ちょっと答えにつまる。「パソコン通信って、どんな役にたつの?どんなところが面白いの?」
 ひとくちには、答えにくい質問なのだ。ぼく自身はパソコン通信をやっていて楽しいし、なにかと実生活面にも役立てている。が、全国規模の大手商業ネットワークからパソコン1台の「草の根BBS」まで、パソコン通信のホスト局は、日本国内だけでも数えきれないほど存在する。まして世界中となると……ますます数えきれない。その無数のBBSの中で、人と人との新しい出会いがあり、情報のやりとりがある。今こうしている間にも、誰かと誰かが友達になり、誰かがとても有益な情報を得、誰かはオンライン・ショッピングを楽しんでいることだろう。その体験を共有できるのは、その人自身だけだ。
 そういうわけで、1人に3つも4つも、いや、1人に55個ずつぐらい?それぞれの使い方、楽しみ方があって、それが順列組合せで無限のバリエーションを生んでいる。パソコン通信って、そういうものじゃないかと思う。
 IBMNETにしても、いったいどんなふうに楽しめるのか、どんな情報が得られるのかは、はっきりとはいえない。「まだ始まってないから」ではなくて、始まってからでも同じことだ。その日その日、どんな情報が飛び込んでくるか、とんな人との出会いがあるか、それは本人が実際にアクセスしてみなければわからないのだ。
 「わからない、わからない」ばかりいっていてもしかたがないので、ここから先、IBMNETのアウトラインについて、わかっていること、ある程度予測できることなどを少し紹介してみようと思う。ただ、しつこいようだけれど、この説明でIBMNETの全貌がわかった、とは思わないでいただきたい。そう思っていただけるのは説明した本人としては光栄だけれど、なにしろ書いているぼく自身、まだなんにもわかっていないのだから。

私たちはローカルBBSでパソコン通信で馴染んでいたが、それでも書き込みをするほど参加していたのは半数程度だった。
ユーザーならではの情報が得られる《IBMインフォメーション》
 IBMNETのサービスは、3つのメニューに分かれている。
 第1のメニューが《IBMインフォメション》。ここではIBMコンピュータ製品の最新情報とか、全国のOAセンター情報など、PSユーザーにとって有用な情報がいろいろ提供される。オンラインで得られる情報は、印刷物より数倍早い。ログインするたびに「何か新しい情報は入ってないかな」と楽しみに覗くことになりそうなセクションだ。
 ここに限らず、ニュースや案内、ユーザーのメッセージは、「ハイパー・ノーツ」という電子掲示板システムで表示される。ちょっとだけその実際の動きをシミュレートしてみよう。
 ACSのメインメニューから、
→「IBM」→「IBMインフォメーション」→「オープン」 とメニューをたどってゆくと、日付、記事番号、見出しなどのインデックス画面があらわれる。ここで読みたい記事番号を指定すると、画面は即座にその記事の内容(の1ページ目)に切り替わる。
 記事が何ページかにわたっている場合は、小文字の「1」かスペース・キーを押すと、続きを画面単位で見ることができる。インデックス画面に戻るときは小文字の「i」。終了するときは「q」。とても簡単だ。ほかにもいろいろ便利なコマンドが用意されているから、慣れればますます効率よく、必要な情報をとりだすことができる。手元にとっておきたい情報は、通信ソフトウェアの「LOGファイル」「ダウンロード」などの機能で、ディスケットにテキストファイルとして保存するか、プリンターで打ち出しておくとよいだろう。
 ちなみにACSにはこれ以外に、通信社が提供する新聞記事情報や、新製品情報、雑誌記事情報サービスなど、さまざまな情報サービスも完備している。操作方法は《IBMインフォメーション》と同じ。こちらもぜひ利用したいものだ。

まあこの辺の説明を読んでも当時パソコン通信をしていない人は分からなかっただろう。
会員同士やACS会員との情報交換が楽しい《ユーザーズサロン》
 第2のメニューは《IBMユーザーズサロン》。全国のIBM会員の交流の場だ。
 ACSは全国各地にアクセスポイントを持っており、ユーザーは、そのアクセスポイントまでの電話料金だけを負担すればよい。だから、各地のIBMGPSクラブ>会員が、互いの距離を気にすることなく、リラックスして話しあえる。
 たとえば、ハードウェアやさまざまなソフトについてのQ&A、使用レポートなどがここにはたくさん書き込まれ、おたがいのコンピューティング・ライフの質を高めるのに役だってくれるだろう。
 また、最近、PSユーザーを中心としたアマチュアのパソコンユーザー団体が、各地で活発に活動しはじめている。そうした団体の連絡、入会申込み、相互の情報交換の場としても、大いに役だちそうだ。
 さらに、このサロンや《IBMインフォメーション》は、一般のACS会員の人たちにも公開されている。そうした人たちからの、少し違った角度からの意見やアドバイスも聞けるだろう。
 パソコン通信は初体験で、どうも勝手がわからない……という人の場合も、もちろんここで質問すれば、ベテランユーザーやコンピュータのプロたちが、すぐに手助けしてくれるはずだ。え、「はずかしいからこっそり聞きたい」?そういう場合は、電子メール、オンライン会話システム「VOICE」などの機能を使うテもある。いずれにしても、パソコン通信のことはパソコン通信で学ぶのが一番てっとりばやい。
 ちなみに、IBMのコンピュータ以外の話――音楽、映画、クルマ、AV、料理などの趣味の話題、ビジネス、教育の話題などなどについては、ACS自体が各種のSIGやフォーラムで広くカバーしている。そちらの方にもぜひ参加してみよう。《ユーザーズサロン》同様、アットホームな雰囲気で歓迎してくれることだろう。


IBMマシン用のPDSやデータを蓄積した《データファイルエリア》
 IBMNETの会員だけの特典として用意されているサービスに、《データファイルエリア》がある。ここは、会員が制作したIBMマシン用のPDS(Public Domain Software)や、さまざまなデータが蓄積される場所。もちろん蓄積されたデータは、会員が自由にダウンロードして使用できる。
 通常のテキストファイル形式のデータは、そのまま画面に表示させて読むこともできるが、ACSでは「TransIt」(トランジット)という独自のファイル転送機能が用意され、プログラムファイルなども効率よく送受信可能だ。
 たとえば通信ソフトとして「日本語ProComm™」を使用する場合、「DOSゲートウェイ」のメニューから、この「TransIt」専用の転送プログラムを起動すれば……あ、ちょっとややこしいかな?もしやりかたがわからなかったら、《ューザーズサロン》で聞いてください。
 とにかく、ここにはオープン直後から、さっそくさまざまなPDSが蓄積され、提供されることになるはず。また、プログラミングの腕に覚えのある人には、自慢の自作プログラムをぜひここのレパートリーに加えてほしいし、プログラミングは苦手な人も、感想を《ユーザーズサロン》に書き込んだり、ちょっと面白い自作のデータベースを提供するなど、積極的に「参加」していただきたい。そうすることで、ますますこの「特典」は有用なものになってゆくはずだ。
 なお、ACS自体にも、さまざまなデータを蓄積した「POOL」と呼ばれるデータエリアが各種ある。こちらも有効に活用したいもの。
 ……というわけで、さて、いよいよはじまるIBMNET。もちろん、ぼくもさっそくアクセスするつもりだ。NETの中で見かけたら、ぜひ声をかけてみてくださいネ。
ACS05309YanaKenこと柳沢健二


IBM PSクラブNET■新規会員募集中
 IBM<PSクラブ>NETでは、新規会員を広く募集しています。下記のIBMマシンをご使用の方ならどなたでも、ご入会いただけます。あなたも、IBM<PSクラブ>NETにアクセスしてみませんか。お申し込み方法は簡単。いますぐご応募ください。(お申し込みいただいた方の中から先着500名に限り、オリジナル・グッズをさしあげます)
【IBM<PSクラブ>NETの入会資格】IBM PS/55、マルチステーション5550、JXシリーズをご使用の方でIBM<PSクラブ>会員の方に限らせていただきます。



ASCII1989(01)a15NAVI_W520.jpg
キヤノンのNAVI。前号の使いまわし

ASCII1989(01)a16LASERSHOT_W520.jpg
キヤノンのレーザーショット。前号の使いまわし。

ASCII1989(01)a17PageMaker_W520.jpg
キヤノンが販売していたAldus PageMakerの広告。前号の使いまわし。

ASCII1989(01)a18EPSONPC_W520.jpg
エプソンのパソコンシリーズの広告。PC-286X,PC-286VE,PC-286US,PC-286LE

ASCII1989(01)a19WORDBank_W520.jpg
エプソンのWORD Bank-note2の広告。

ASCII1989(01)a20Apple求人_W520.jpg
ASCII1989(01)a20Apple求人TRIM_W520.jpg
Appleの求人広告。これは アップル オペレーションズ アンド テクノロジーズ 日本支社 の求人広告。Appleの求人広告は以前もあった。パソコン広告(月刊ASCII 1988年10月号1

ASCII1989(01)a21AMD_W520.jpg
AMDの広告は前号の使いまわし。

ASCII1989(01)a22一太郎_W520.jpg
ASCII1989(01)a23一太郎_W520.jpg
一太郎Ver.4の広告。使っていたのに印象が残ってない。たぶん、それほど空気的なというか馴染んでいた常用ソフトだったのだろう。

ASCII1989(01)a24花子_W520.jpg
花子Ver.2の広告。

ASCII1989(01)a25シルエット_W520.jpg
ジャストシステムのシルエット。

ASCII1989(01)a26スキャナ_W520.jpg
ジャストシステムのスキャナJS-SC202。

ASCII1989(01)a27BORLAND_W520.jpg
BORLAND の Turboシリーズの広告。私は、ボーランドに相当貢いだ。

ASCII1989(01)a28ビデオで123_W520.jpg
右頁が「ビデオで分かる Lotus 1-2-3」の広告。ビデオ教材的なものが出るほどのソフトだった。

ASCII1989(01)a29洗足学園_W520.jpg
左頁が「学校法人洗足学園」の広告。ASCIIにはいろんな広告があった。

ASCII1989(01)a50FUJIFILM_W260.jpg
裏表紙裏はFUJI FILMのフロッピーディスクの広告。前号の使いまわし。

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表紙・裏表紙・見返し広告一覧(月刊ASCII 1989年) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

1989年の広告は、前年に引き続き裏表紙を富士通が、表紙見返しをNECが独占した。パソコン市場の趨勢は固定したままだ。

ASCII1989(01)表裏_W520.jpg
裏表紙は前号と同じFM77AV40SXだった。

ASCII1989(02)表裏_W520.jpg
裏表紙は前号と同じFM77AV40SXだった。

ASCII1989(03)表裏_W520.jpg
裏表紙は前号と同じFM77AV40SXだった。

ASCII1989(04)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。

ASCII1989(05)表裏_W520.jpg
裏表紙は前号と同じFM TOWNSだった。

ASCII1989(06)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。カットが変わった。

ASCII1989(07)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。カケフ君が登場した。スクラップして改めてなんでカケフ君を起用したのかと思った。FM TOWNSは子供のおもちゃとして売るのか?富士通はどうかしている。

ASCII1989(08)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。前号と同じだった。

ASCII1989(09)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。前号と同じだった。

ASCII1989(10)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。前号と同じだった。

ASCII1989(11)表裏_W520.jpg
裏表紙はFM TOWNSだった。やっとカケフ君を止めた。カケフ君の起用は販売促進に役立ったのだろうか。

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裏表紙はFM TOWNSだった。宮沢りえを起用した。カケフ君より何百倍、何千倍も良いと思う。

表紙見返しの広告はこの年もNECが独占した。
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PC-9801RX2,/RX4, PC-9801LS2,LS5だった。

ASCII1989(02)見開_W520.jpg
前号と同じPC-9801RX2,/RX4, PC-9801LS2,LS5だった。

ASCII1989(03)見開_W520.jpg
PC-98RL, PC-9801LV22だった。

ASCII1989(04)見開_W520.jpg
NECのパソコン全12機種を紹介していた。さすがにNECは売れる商品を沢山そろえていた。

ASCII1989(05)見開_W520.jpg
前号と同じだった。

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PC-9801EX2/4, PC-9801ES2/5, PC-9801LX2/4/5だった。互換機や他社製品に対し全方位迎撃態勢を整えていた。

ASCII1989(07)見開_W520.jpg
もはや、製品の広告ではなく、イメージ広告となった。

ASCII1989(08)見開_W520.jpg
NECの全17機種の紹介だった。凄いことだ。

ASCII1989(09)見開_W520.jpg
ラップトップだけの広告だった。それでも5機種もある。

ASCII1989(10)見開_W520.jpg
カラー液晶のPC-9801LX5Cだった。価格は748,000円だった。

ASCII1989(11)見開_W520.jpg
PC-98DOだった。PC-98でPC-88シリーズのゲームができるのは良かった。

ASCII1989(12)見開_W520.jpg
NESAの紹介だった。そういえば、こんなのあったな。よく覚えていないけど。

ASCII裏表紙、表紙見返し掲載メーカー・機種

裏表紙表紙見返し
年月会社機種会社機種
1980年1月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1980年2月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1980年3月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1980年9月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1981年1月号NECPC-8001EPSONMP-80
1981年8月号NECPC-8001AppleAppleII
1981年9月号NECPC-8001AppleAppleII
1981年10月号NECPC-8001AppleAppleII
1981年11月号NECPC-8801AppleAppleII
1982年1月号NECPC-8801AppleAppleII
1982年2月号富士通MICRO8AppleAppleII
1982年3月号NECPC-8801AppleAppleII
1982年4月号富士通MICRO8AppleAppleII
1982年5月号if800AppleAppleII
1982年6月号富士通MICRO8AppleAppleII
1982年7月号if800AppleAppleII
1982年8月号富士通MICRO8NECN5200
1982年9月号if800NECN5200
1982年10月号富士通MICRO8NECN5200
1982年11月号if800AppleAppleII
1982年12月号富士通FM-7AppleAppleII
1983年1月号if800AppleAppleII
1983年2月号富士通FM-7NECN5200
1983年3月号if800NECPC-8001mkII
1983年4月号富士通FM-7NECPC-8001mkII
1983年5月号if800NECPC-8001mkII
1983年6月号富士通FM-7NECN5200
1983年7月号if800NECN5200
1983年8月号富士通FM-7NECPC-8000mkII
1983年9月号if800NECPC-8200
1983年10月号富士通FM-7NECPC-8801
1983年11月号富士通FM-11NECPC-8001mkII
1983年12月号富士通FM-7NECPC-9801F
1984年1月号富士通FM-XNECPC-8001mkII
1984年2月号富士通FM-XNECN5200
1984年3月号富士通FM-11NECPC-8001mkII
1984年4月号富士通FM-11NECN5200
1984年5月号富士通FM-11NECPC-9801E
1984年6月号富士通FM-77NECPC-9801F
1984年7月号富士通FM-77NECPC-9801F
1984年8月号富士通FM-77NECPC-8801mkII
1984年9月号富士通FM-77NECPC-8801mkII
1984年10月号富士通FM-77NECPC-PR201
1984年11月号富士通FM-77NECPC-9801F3
1984年12月号富士通FM-77NECPC-9801F3
1985年1月号富士通FM-77NECPC-9801M2
1985年2月号富士通FM-77NECPC-9801M2
1985年3月号富士通FM-11AD2+NECPC-9801M2
1985年4月号富士通FM-11AD2+NECPC-9801M2
1985年5月号富士通FM-11AD2+NECPC-9801M3
1985年6月号富士通FM-NEW7NECPC-9801M3
1985年7月号富士通FM-NEW7NECPC-98XA
1985年8月号富士通FM-NEW7NECPC-98XA
1985年9月号富士通FM-NEW7NECPC-9801VM2
1985年10月号富士通FM-NEW7NECPC-9801VM2
1985年11月号富士通FM-NEW7NECPC-9801VM2
1985年12月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年1月号富士通FM16πNECPC-9801U2
1986年2月号富士通FM16πNECPC-9801U2
1986年3月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年4月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年5月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年6月号富士通FM77AVNECPC-9801VM2
1986年7月号富士通FM77AVNECPC-9801UV2
1986年8月号富士通FM77AVNECPC-98シリーズ
1986年9月号富士通FM77AVNECPC-98シリーズ
1986年10月号富士通FM77AVNECPC-9801UV2
1986年11月号富士通FM77AVNECPC-9801UV2
1986年12月号富士通FM77AV40NECPC-98シリーズ
1987年1月号富士通FM77AV40NECPC-LT
1987年2月号富士通FM77AV40NECPC-98XL
1987年3月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年4月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年5月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年6月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年7月号富士通FMR-30NECPC-9801UV21
1987年8月号富士通FMR-30NECPC-9801VX21
1987年9月号富士通FMR-30BXNECPC-9801UV21
1987年10月号富士通FMR-30BXNECPC-98LT
1987年11月号富士通FM77AV40ENECPC-98XL2
1988年1月号 富士通FM77AV40EX NECPC-LT
1988年2月号 富士通FM77AV40EX NECPC-98XL2
1988年3月号 富士通FM77AV40EX NECPC-98XL2
1988年4月号 富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801UX21
1988年5月号 富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801LV21
1988年6月号 富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801LV21
1988年7月号 富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801LV21
1988年8月号 富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801LV21
1988年9月号 富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801RA2
1988年10月号富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801RA2
1988年11月号富士通FM77AV40EX/20EXNECPC-9801RX2
1988年12月号富士通FM77AV40SX NECPC-9801LS2
1989年1月号富士通FM77AV40SXNECPC-9801RX2
1989年2月号富士通FM77AV40SXNECPC-9801RX2
1989年3月号富士通FM77AV40SXNECPC-9801RL
1989年4月号富士通FM TOWNSNEC全12機種
1989年5月号富士通FM TOWNSNEC全12機種
1989年6月号富士通FM TOWNSNECPC-9801EX2,ES2
1989年7月号富士通FM TOWNSNECPC-98と88
1989年8月号富士通FM TOWNSNEC全14機種
1989年9月号富士通FM TOWNSNEC全5機種
1989年10月号富士通FM TOWNSNECPC-9801LX5C
1989年11月号富士通FM TOWNSNECPC-98DO
1989年12月号富士通FM TOWNSNECNESA

機種が複数掲載されているときは、原則1写真付き、2写真の大きさ、3写真の配置が上位と思われるものを代表機種として記載した。
NECの全12機種は、PC98-RL, PC-9801RA2/5, PC-9801RX2/4, PC-9801VM11, PC-9801CV21, PC-9801UV11, PC-9801LS2/5, PC-9801LV22, PC-9801LV21, PC98LT, PC-88VA2/3, PC-8801MA2, PC-8801FE。
NECの全17機種は、PC98-RL, PC-9801RA2/5, PC-9801RX2/4, PC-9801VM11, PC-98DO, PC9801-ES2/5, PC-9801EX2/4, PC-9801UV11, PC-9801CV21, PC-9801LS2/5, PC-9801LX2/4/5 PC-9801LV22, PC-9801LV21, PC98LT, PC-88VA2/3, PC-8801MA2, PC-8801FE。
NECの全5機種は、PC-9801LS2/5, PC-9801LX2/4/5 PC-9801LV22, PC-9801LV21, PC98LT。


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