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ジョブズ,ウォズニアック他(月刊ASCII 1989年10月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

TBNにジョブズの本が紹介されていた。
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ちょっと気になる本の話
スティーブ・ジョブズ上・下
パーソナルコンピュータを創った男
Jeffry S. Young著 日暮 雅道訳
JICC出版局 上下各1600円

 昨年1月,サンフランシスコ市内のダウンタウンを歩いていたときのこと.何気なく入った本屋で,リー・ブッチャーの書いたAccidental Millionaireのハードカバーが目に飛び込んできた.「また,ジョブズの本か……」と思いながら20ドル札を出す自分に苦笑したことを覚えている.同時期に出版されていたスカリーのOdysseyは飛ぶように売れていたが,Accidental……の評判は今一つだった.Apple関係の本は,社史のSo Farを加えると,すでに五指に余るほどの数が出版されており,そのたびに買っては軽い失望を味わうのが常だったような気がする(So Farは例外だが).Accidental……も暇を見つけてはボチボチと読んでいたが,半分も読まないうちに本書が出版され,ついでに日本語訳が出てしまった.
 本書は,ジョブズの生い立ちからNeXTマシンの開発までを描いた立志伝という体裁をとっている。ハイライトは,Macintoshの開発秘話とApple社を追われるまでの経緯に触れた部分だろう。マシンのオーナーにとっては,Macintosh誕生の百数十ページは堪えられない興奮を呼び起こすと思う.また,現在でもベールに包まれているジョブズ退任までの経緯についても詳細な記述が与えられている.Odysseyと併読すると,スカリーとジョブズのお互いに対する認識や事実関係が微妙に異なっていることが分かり,結局,真実はベールに包まれていることに思いいたるだろう.わずか数年前の出来事でさえ,当事者の認識にこれほどのズレがあるのだから,歴史の真実などは,結果としての事象にしかないのだと,妙に納得できるという効用も本書にはある.
 全編を通して脈々と流れているのは,自分勝手な1人の男に対する類まれな敬意とピリリとした侮蔑の情である。侮蔑とはいっても、それを支えているのは「仕方のない奴だなぁ」という愛着にも似た感情だ。筆者のヤングは,雑誌MacWorldの創刊時の編集者で,Macintoshの開発段階からApple社に出入りを許された数少ないアウトサイダーの1人だ。彼とジョブズの出会いは,あとがきで語られている。「ある夕方,Macのプログラマーたちが働くバンドリー3の仕事場で取材をしてると,そこへスティーブが現われた。彼は部屋に入ってくるなり,その場に棒立ちとなってまだスティーブとの面識がなかった私を上から下まで眺めまわしたあげくに,こう怒鳴ったのである。『あんた,いったい誰?』」こうした記述の総体が,本書を形成しているといっても過言ではない。彼の言動は,本書の日本語版編集者をして「ジョブズって,何てイヤな奴だろうと思った」といわせるほどに,リアリティ(?)がある.それもそのはず,ヤングは200時間におよぶジョブズへのインタビューテープを基にして本書を著しているからだ。ジョブズに怒鳴られるのを恐れたMac開発チームによって,ソニーの技術者がロッカーの中に隠されたり,エプソン本社を訪れたジョブズがまともな技術を見せろと息巻いたりと,全編を彩るエピソードには事欠かない.困るとすぐに泣くジョブズ,大人ならバカバカしくて相手にしないような権謀術数を使うジョブズ,インドが好きで風呂に入らず,側近から「身体が臭い」といわれるジョブズ,最後にはウォズニアックとスカリーが大嫌いになるジョブズ……いろいろなジョブズが矢継ぎ早に登場する.本書は,コンピュータホビイストに贈る踏絵である.読後にくだんの編集者と同じ感想を持つか,逆にジョブズが大好きになるか,反応は二つに一つしかないように思う.
 どちらにしても,読後には深い満足感が得られるだろう.本書は,1人の男の半生を描いて秀逸である。それも人生の後半ではなく,前半である点が驚異だ。知識も経験もない若者が,フォーチュン500に名を連ねる会社を興し,Macintoshというマイルストーンを創り出し,その会社を追われ,新たな会社を設立して驚くようなマシンを再度世に問うという,まさにアメリカンドリームがそこにある.大人への道を歩むジョブズが克明に記されている本書は,パーソナルコンピュータの成長を記した本でもある。
 ゲラ刷りを読んだ直後に,ジョブズへのインタビューが実現した。会見室に向かう途中,廊下の向こうから彼が歩いてきた。背広を肩にかけて「ハーイ」と手を上げている.誰かに似ていると思った.そうだ,1950年代に50台の幻の名車を作ってこの世を去ったタッカ-ではないか.インタビュー中,その思いは離れなかった.今度会ったら,ぜひ聞いてみたい。「あなたは,タッカーという男を知っていますか?」  (戸島)

ジョブズが人格的に嫌な奴だということは、私達素人も認識していた。またウォズニアックがいなければ成功しなかったくせにでかい顔しやがってという妬み嫉みもあった。決して、尊敬できなかったが、作ったパソコンは素敵だった。ろくでもないやつが書く恋愛小説が素敵なのと似ている。

「近代プログラマの夕ゆうべ」にはウォズニアックの本が紹介されていた。
ウォズニアックの本
 今月はひさしぶりに本の紹介をしたいと思う.スティーブ・ウォズニアックの書いた“The Official Computer Freaks Joke Book"(Bantam Books刊)というペーパーバックだ。タイトルのとおり,コンピュータフリークの(ための)ジョークの本である.
 正確には、この本の著者は,ラリー・ワイルドとスティーブ・ウォズニアックの2人ということになっている。表4(裏表紙)に書かれた2人の紹介文によると,ラリー・ワイルドは,アメリカで最も売れているユーモリストであり、のべ1000万冊のジョーク本が読まれているという.いわば,ジョークのプロフェッショナルだ.一方,スティーブ・ウォズニアックのほうは,Appleの創設者の1人であるとともに,ジョークコレクターとして知られる……とある.
 ウォズニアックといえば,Apple在籍中にUNUSON Corp.なる会社を作り,ロックとカントリーの派手なフェスティバルをプロデュースしたり(最初のソビエトとの同時放送番組とか),1985年2月にジョブズよりも先にAppleを去り(それ以前にもAppleを離れていたこともある),CL9なる家庭用のリモートコントロールシステムの会社を作ったり,いつの間にかAppleに舞い戻っていたかと思うと、学校の先生をやっているという噂があったり,AppleIIGSには,本体前面に彼のサインを入れたモデルが発売されたりと,なかなかよく分からない人物ではあった.しかし,彼がジョークコレクターとして知られていたとは,本誌編集部でも少数派になりつつあるAppleIIユーザ一の私も,つゆぞ知らなんだ.
 アスキーの出版物に「実録天才発明家」(マイクロソフトプレス/ケネス・A・ブラウン著,鶴岡雄二訳)なる本があるのだが,この中に,最初の本格的なパーソナルコンピュータの発明者として,スティーブ・ウォズニアックはあげられている。カラーグラフィックス,パドル,優れた拡張性など,AppleIIのスペックは,他のマシンの数年先を行っていた.Appleにおいては,ウォズニアックが考える人,ジョブズが売る人という役割分担だったのだ。しかし,そこにも,彼がシリコンバレーきってのジョークコレクターであるなどとは書かれていない.
 本誌では,彼がAppleを去った1985年の10月号にインタビューを掲載している.彼は,スティーブ・ジョブズに猛烈な反発を示しており,昨今のNeXTに関するプロパガンタをどのように見ているのか興味深いところだ。彼がAppleを辞めようと思ったきっかけも,ジョブズとマイク・マークラによって強行に推し進められたAppleIIIのプロジェクトに対するものだったようだ。
 さて、ざっとページを開いていくことにしよう。パラパラとめくると,“What's the difference between a computer salesman and a used-car salesman?"などとある。「コンピュータのセールスマンと中古車のセールスマンの違いは?」ということになるのだが,これの答えが"The used-car salesman knows when he's lying.",つまり、「中古車のセールスマンは彼が嘘を言っているとき自覚している」というようなことになる.これは,かなり古典的なジョークのパターンではなかろうか。まあ,はっきり言って,この程度のジョークがかなりのボリュームを占めている.
 "What do they use in computers in Idaho?”なんてのもある。この答えは“Potato Chips"となる.これは単なる語呂合わせの駄洒落である.もっとひどいのは“What do you call a robot ape?"とあって,答えが“A chipanzee”なんてのもある。これは,かなり苦しい.
 "How can you tell a Macintosh user from an IBM user?”というのがあって,“The Macintosh user is smiling!"なんてのもある。「あっ、そう」としか言いようがないけれど.
 頻繁に登場するネタとしては,computer dating service"(コンピュータによる結婚相談所?),ロボットの話なんて のが,結構目立つ,そして,もちろんプログラマに関する話も少なくない.あるプログラマが,女の子を口説こうとしているのだが,"You eat nothing but junk food,your clothes are a mess,you haven't shaved or showered in a week,and all you ever think about is computers."と言われてしまう。1ジャンクフードしか食べず,2髭も剃らなければ,3シャワーも浴びない,4結局コンピュータのことしか考えていないという,確かに,この世界ならしばしば見かけられるタイプの人間のようだ。これに対するプログラマの答えが,“Well, nobody's perfect.”というのだ。この淡白な反応が,いかにもプログラマらしくていい.完全なものなんてこの世には存在しない.それは,彼が普段書いているソフトウェアや使っているハードウェアで,身に染みて体験していることとも言えないこともない。

天才はウォズニアックのイメージは他人か理解できなくても仕方がないほどの完璧で無駄のないハードウェアとソフトウエア。彼と一緒に仕事をする人は苦労しただろう。

OS/2の記事から一部をスクラップする。
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 唐突な話で恐縮だが,読者のみなさんはコンピュータの「タイプライタ・シンドローム」というのをご存じだろうか.今でも,コンピュータ関連の仕事をする人々の間ではまことしやかに語られている。今をときめくMS-DOSも,つい最近まで,その後遺症に悩まされていたという話である。
 何でも、長い間,コンピュータの入出力装置(コンソール)には,キーボードではなくタイプライタ(テレタイプ)が使用されていた時代があったというのだ。筆者も,その昔,キーをタイプすると,タイプライタの後ろ側にセットされた用紙(プリンタの連続用紙)に,パチパチと文字がエコーバック印字されていた大型コンピュータを見たことがある.そのマシンでは,アプリケーションプログラムが出力するメッセージも,やはり同じタイプライタに,パタパタと大きな音を立てて印字されていた。その文字を打つローラーの動きには,何ともいえぬ愛嬌があったことを思い出したりする.もう10年以上も前の話だ。
 そんな機械をコンソール装置とするアプリケーションの入力は,すべて1行単位の英数字のみ,カタカナの入力がやっとだった。カナ漢字変換なんて、とうてい考えられない。今日では,すっかり定着したメニュー選択方式のユーザーインターフェイスも,出力の遅いタイプライタが相手では実用的ではなかった.アプリケーションプログラムの1行の問いかけに対して,必ず1行ずつタイプして応答しなければならなかったのである.出力されるメッセージは可能な限り簡素化され,コマンドもすべて略語で可能な限り短くするのが常識だった.
 そんなアプリケーションばかりが動作するシステムだから,誰もが簡単に操作できるというわけにはいかない.出力されるメッセージは,一般の人にとっては,ほとんど理解できなかった。理解できたのは,そのアプリケーションを書いたプログラマと,専門的な学習によってそのシステムの知識を習得し、個々のアプリケーションの起動方法やコマンド文字列,省略された出力メッセージの意味などの山ほどの情報を理解したシステムオペレータという肩書きを持った人達だけだったのである。今のパソコンからは,想像もできない世界があったのだ。
 これが,タイプライタを中心に,コンピュータの操作環境が考えられていた時代のタイプライタ・シンドロームと呼ばれる現象なのである.

別にシンドロームというべきものではないと思う。上記の状態が嫌でなかった。機械を触っている感覚があって楽しかった。趣味でパソコンをしていたからそうなのだろう。

 姉妹製品として,80386の仮想8086モードを利用して,より優れた環境を実現するWindows/386という製品もある. このWindowsによって,MS-DOSユーザーも,やっと標準としてのウィンドウ環境を手にすることができたわけである。MS-DOS上のまったく新しい操作環境として登場して以来,Windowsにはさまざまな改良がほどこされ,最新版であるVer.2では,OS/2のPresentation Managerとまったく同様の操作環境が実現されている.実際,WindowsとPresentation Managerのウィンドウ画面は,一見しただけでは,まったく区別がつかないほど似通っている.そのため,ウィンドウ環境だけについていうなら,Windowsをマスターしてしまえば,将来OS/2を導入しても,改めて、その操作方法を学習し直す必要はまったくない.そこで,本連載でも,いきなりOS/2のPresentation Managerを取り上げる代わりに,今,MS-DOSユーザーにとって,最も身近なGUIであるWindowsを取り上げ,MS-DOSにおける疑似マルチタスク環境の基本操作について見てみることにしよう.
 なお,Windowsでは,マウスは必須の入力装置であり,ここではマウスを使用した操作を基本に説明する.もちろん,キーボードだけでもすべての操作は可能だが,やはりウィンドウ環境を操作するなら,マウスは欠かせない道具の1つなのだ。

Windows/386は使ったことがなかったが、Windows Ver.2は触ったことがあった。使い物にならないとおもった。さてマイクロソフトが言っていたWindows/386で慣れてもらって、OS/2に移行してもらうということが全く理解できない。Windows/386でいいのではないか。OS/2の意義はどこにある。大体OS/2は80286という腐れCPUに合わせて作ったOSではないか。ダメだろう。
 最後に笑ってしまうのは「マウスは欠かせない道具」なんてことを書かなければならないのが34年前のパソコン環境だった。

MS-DOSユーザーズ・ベンチの冒頭が34年前のワープロ、パソコン環境を表していたのでスクラップする。
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あんまりじゃない,ワープロくん
 最近のパーソナルワープロというのはずいぶんだと思う.ワープロなんていうのは名ばかりで,グラフや図形が描けて、その上に画像を取り込めたりする.あげくのはてには表計算までできたりするのだから恐れ入る。それでも飽き足らず、スケジューラがついていたり,通信機能を持っていたりするものさえある。ほとんど,パソコンに統合ソフトを搭載したような仕事をこなすことができる。それでいて,バックライトつきのディスプレイと一体型で,ただでさえ見栄えのいい48ドットとかの高品質印字プリンタを搭載するだけでは飽き足らず、印字文字からギザギザを消してしまうなんてマシンも出てきたりする(注1 東芝のRupoJW95Hなどのようにアウトラインフォントを内蔵しているものもあり,これでは文字を拡大してもギザギザが出ない.また,複数のフォントを使い分けできるものさえある. ).
 もちろん辞書やソフトはすべてROMで内蔵されているために,ソフトウェアをインストールする必要もなければ,フロッピーディスクを入れたり抜いたりしなくても,電源を入れただけですぐにワープロが立ち上がり快適に使うことができる.それでいて価格は20万円前後と,これじゃあ、各種のソフトを買って,そこそこのラインナップを揃えると定価ベースで100万円近い買物になってしまうパソコンなんて勝負にならないじゃないかとつい愚痴をいいたくなる.
 というのも、先だってパソコン入門用のビデオを作るにあたって,教材に使うマシンやソフトを選定し,その価格を勘定して,あらためてびっくりしたからなのだ。
 なにしろ,パソコンは難しそうだという人が,ワープロという名前だけでカンタンそうなイメージを持って買ってしまう.そういう人が少なくないから大量に売れる.売れるから安くできる.安いから,ますます売れるという循環ができあがっているのだ。
 おそらく,100万円かけてPC-9801クラスのパソコンを揃えて5年使うより,毎年20万円クラスの新品パーソナルワープロを買い換えていくほうが気分的にも質的にもいい環境が得られるんじゃないだろうかと思う.
 だが,パーソナルワープロ(パーソナル統合化パソコンとでも呼ぶべきか)ひとつで、身の回りのすべての情報処理をすませてしまうというのは,たとえば一太郎というワープロソフトで,何から何まですべてをさせてしまうのと似ている.一太郎だって,簡単な表計算くらいはこなせるし,図形も取り込める.新しいバージョンのVer.4では電卓やカレンダーなどを同一画面上に表示できる機能がついていたりする.
 パソコンの使いこなしは,自分のやりたいことに合わせてソフトウェアを選び,より効率のいいはずの手順を踏んで仕事を実現していくことに凝縮される.また,それぞれのソフトウェアは極めてパワフルであり,ワープロひとつとっても,スクロールの速度や,扱える文書のサイズ,カーソルの動きなど,パーソナルワープロとは比較にならないパフォーマンスを持っている.そりゃそうだ.ツインカムにインタークーラーターボを搭載したスポーツカーに,軽自動車がかなうわけがない.
 何よりも,小さくても強力な単機能ツールを駆使したり,大きなソフトの中に用意されたさまざまな機能を選択しながら仕事をしたりといった自由度の点では、パソコンの持つパフォーマンスは圧倒的である.
 それでも,小回りのきく軽自動車同様,使う場面さえ間違えなければパーソナルワープロだって十分に役にたつことも事実である。要するに,パーソナルワープロですべてをすまそうとしないことである。これは一太郎ですべてをすまそうとしないことと同じ次元のことである.単なるデータエントリーマシンとして使うには,パーソナルワープロは非常に便利だ。ノート型のパソコンが登場し,いくらラップトップパソコンが軽くなってきたといっても,2kgを超えるのでは,まだまだ手帳代わりに持ち歩くには億劫だが,1.6kg以下ならなんとかガマンできる.ノートパソコンの重さがそこまで到達するまでは,軽量化では2歩も3歩も進んだノートワープロの特性,あるいはプリンタ内蔵型ワープロのハードウェアの特性を極力生かすようにせざるをえないのではないかと思うのだ。もっとも小さくて軽いという点では電子手帳も強力なアイテムではあるが,文字の入力が不自由な点で,いまひとつ積極的にはなれない

全くこのとおりだった。当時私はパソコンをやりたいという人には何をしたいのかを聞いて、ワープロとファミコンを買うことを勧めた。パソコンなんてマニア向けの機械だと説明していた。
すら☆そうじ氏の漫画をスクラップする。
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