失敗しないハードディスク選び’88その1(月刊ASCII 1988年6月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
この号の特集は「失敗しないハードディスク選び’88」だった。後半には光ディスクもあったが、まずはHDDの部分をスクラップする。
やっとこのころパソコン個人ユーザがハードディスクを買うようになった。当時の雰囲気をスクラップで味わう。
そして当然パソコンユーザは使用するにあたり、ハードディスクの基礎的知識も知らねばならなかった。
ハードディスクが振動に弱いと脅されていたのでなんかの拍子にハードディスクにペンなどの文房具を落としただけで真っ青になり、ディスクのエラーチェックをしたものだ。
スカジーインターフェースが懐かしい、パソコンの筐体を開け内部の拡張スロットにインターフェースボードを差し込み太いケーブルで繋げたものだ。
(中略)
やっとこのころパソコン個人ユーザがハードディスクを買うようになった。当時の雰囲気をスクラップで味わう。
低価格,高速,小型化
ハードディスクの最近の傾向は,大きく3つに分けられる.低価格化,高機能化,そして小型化である.
まず,価格について見てみよう.PC-9801シリーズは、発表当初から5/10Mbytesのハードディスクが周辺装置として用意されていたが,1983年当時,5Mbytesのもので47万円であった.本体価格が29万円だったことを考えると,かなり高価な周辺装置だった.5Mbytesといえば,8インチフロッピーで5枚にしかならないが,MS-DOSは複数のフロッピーにまたがるファイル(マルチボリューム)がサポートされていないため、ファイルの最大容量はメディアの最大容量に左右されてしまう。大量のデータを処理する場合には,大きな容量を持つ,ハードディスクが必要な場合もあったのである.
その1年後には、サードパーティから20Mbytesで同程度の価格のものが登場している.その後の20Mbytesの値段の動きを1年ごとに見てみると,35万円,29万円,16万円と値段が下がり,1987年末から,1988年にかけて10万円を切ったものが登場した。
低価格化が進むにつれ,各社ともに価格が接近し、他社との差別化を図る必要が出てきた.そこで登場したのが,キャッシュ機能(後述)を取り入れたものや,シーク時間の速いドライブを使う「高機能化」である.また,デザインを重視したり,3.5インチドライブを使い,「小型一化」したものも現れた.
ハードディスクドライブは、大きく分けて、「ドライブ」,「コントローラボード」,「電源」,そして「低体」の4つの要素から構成されている.ドライブやコントローラボードは,製造しているメーカーの数も限られ,数社しかない.そのため,各社から出ているハードディスクの中には,低体は違っても内部はほとんど同じという場合もある。価格もそれほど変わらない場合が多いのも,そのためである.
ドライブやコントローラが同じものである場合には,デザイン面でしか差をつけられない.ハードディスクも最初の頃は,鉄板を曲げただけといった感じのものがほとんどだったが,最近では、曲線的なデザインや,横置きなどさまざまなデザインのものが登場している.最近では,20Mbytesのものは3.5インチのドライブのものが主流で,5インチは40Mbytes以上のものに使われているのがほとんどである.また,コントローラボードをドライブと一体化して,5インチフロッピードライブの代わりに本体に格納するタイプのものもある.このタイプは筐体,電源がいらなくなるため,かなり低価格のものとなっている.
前記4つの要素の中で価格的に大きな比重を占めるのがドライブである.このドライブの価格は,シーク速度で決まってしまう.20Mbytesのものでは日電のものと同じ80msecが普通だが,高速タイプと呼ばれているタイプは30~40msecのものである.シーク速度が速いものは当然,ヘッド移動による待ち時間が短くなり,データを高速にアクセスできる.しかし,最近では低価格になったメモリを利用して、コントローラボード上にキャッシュを組み込んで高速化したものもある.これは、アクセスしたデータをメモリ上に置き,キャッシュ上にデータがある場合にはディスクアクセスを省略できるため,シーク速度の遅いドライブでも見かけ上のアクセス時間を短縮できる(図1).
そして当然パソコンユーザは使用するにあたり、ハードディスクの基礎的知識も知らねばならなかった。
ハードディスクとは
ハードディスクとは,その名称のとおり,堅い(HARD)円盤上に記録を行うものである。基本的な原理は,フロッピーディスクと同じで,磁化の向きにより1,0を記録する。つまり同心円状分割し(トラック),それぞれを円周方向にいくつかに分割し(セクタ),これを記憶領域の基本単位とする(図1).しかも,記録面のある円盤は1枚だけでなく,数枚で一組になっており,ヘッドも複数あるのが普通である.複数枚を同時に扱えるため、記憶容量も大きくすることができる.フロッピーディスクは、メディアを交換して使うために,機構上,その精度があまり高くなく,しかもコストを考慮し柔らかいプラスティックで作られている.そのため記録密度が大きくできない,回転速度も遅く転送速度も低いという欠点を持っている.これに対して,ハードディスクは,記録機構が密閉されており,記録面の材質も強固な金属でできているため,精度を高くし、回転速度も大きくできるので,記録密度が高く,データ転送速度も速い。
さらに,フロッピーディスクのヘッド|はメディアの記録面に接触しているのに対し,ハードディスクのヘッドは,記録面とは接触しないため,ヘッド移動も高速で行えるのである.
ハードディスクは、高速で大容量という利点を持っている反面,震動やホコリに弱いという欠点を持っている.しかし,最近のものは,各種の安全機構を備えているため、昔のように簡単に壊れてしまうことはない.しかし,動作中に移動するなどといったことは禁物である.
ハードディスクとパーソナルコンピュータのインターフェイスは、通常SCSI(Small Computer System Interface)と呼ばれているものを使う.このインターフェイスは、ハードディスクなどのデータを高速で転送できる周辺装置を接続するためのもので,ハードディスクの他にCD-ROMドライブや光学式ディスクドライブなどにも採用されている.
各社のマシンとも標準あるいはオプシションでインターフェイスが提供されており,ハードディスクを接続する場合には,これが必須となる.各社ともに,インターフェイスにSCSIを採用しているが,実際にはマシンごとに細かな違いがあり,電気的には接続できても,制御コマンドが違っているなどの理由で,一般的には他機種用のハードディスクを接続することはできない。
ハードディスクが振動に弱いと脅されていたのでなんかの拍子にハードディスクにペンなどの文房具を落としただけで真っ青になり、ディスクのエラーチェックをしたものだ。
スカジーインターフェースが懐かしい、パソコンの筐体を開け内部の拡張スロットにインターフェースボードを差し込み太いケーブルで繋げたものだ。
ハードディスクとソフトウェア
通常のパーソナルコンピュータには、基本ソフトとよばれるものがあり,これらがハードディスクの制御を行う.現在では、MS-DOSが一般的だが,DISK BASICからでもハードディスクを使うことができる。
通常,ハードディスクは、フロッピードライブと同じようにドライブ番号が割り当てられ,フロッピーの場合と同じコマンドが利用できるようになる.また,ハードディスクにシステムプログラムを転送しておけば,ハードディスクからシステムを起動することも可能である.つまり,見かけ上,フロッピーと同様の使い方ができるわけである.
ハードディスクは容量が大きいため,1つの物理的なドライブを2つにわけて使うこともできる(パーティション).これを使うと1つのドライブの中に複数のシステムプログラムを登録しておき,切り替えて使うといったことも可能になる.
ハードディスクの記憶領域の管理は,フロッピーの場合に使われたトラック,セクタ,サーフェース(表,裏)に加えて,どの円盤かを指定して行う。また,各円盤の中心から同じ距離にあるトラックすべてをシリンダと呼ぶことがある.同一シリンダ内にあるトラックは、ヘッドを移動せずにアクセスできるため、アクセス時間を短縮できる.このため,ファイル配置はシリンダを考慮して行われる(図2).このセクタ,トラックを指定してユーザーがデータをアクセスすることは通常必要ないが,ハードディスクのメンテナンスを行うなど直接ハードディスクを操作する場合には,これらをつかってデータをアクセスすることになる.
そうだった。MS-DOS 2.11 では20Mbytesまでしか使えなかった。容量の壁はこの後何回もあり、何年も(10年以上だったはず。スクラップしていくと明らかになるだろう)壁にぶち当たった。ハードディスクを使う前に
ハードディスクは、使う前にフォーマニットしなければならない。ここでは,PC-9801シリーズのMS-DOSの場合を中心に,フォーマットの方法を解説する.
フォーマットの基本的な方法は、MS-DOSでは1つしかないが,使用機種,バージョンやドライブの容量によって若干違ってくる。
まず,MS-DOSのバージョン2.11では、20Mbytesまでのハードディスクしか使えない.このため,40Mbytesのドライブを使うためにはバージョン3.1を用意する必要がある。
MS-DOSバージョン3.1を使う場合,40Mbytesのドライブは、拡張フォーマットと呼ばれるフォーマットを使用する(20Mbytesまでのハードディスクに使うフォーマットを標準フォーマットという).このフォーマットは,MS-DOSのバージョン2.11ではアクセスすることができないので,複数のバージョンを利用する場合には注意が必要である.
フォーマットプログラムは,MS-DOSのコマンド待ち状態から,
FORMAT /H
とコマンドを打ち込んで起動する.
(中略)
最初に説明したように,ヘッドを浮かせて高速動作するハードディスクは,起動中に震動を与えることは禁物である.ドライブをちょっとでも移動する場合にはかならず電源オフの状態にすることである.この他,ホコリや熱といった問題があるが,パソコンが使用できる環境であれば特に問題はないと思う.シッピングゾーン懐かしい用語だ。ハードディスクはすぐ壊れるものだと恐る恐る使っていたところがあり、こういった儀式的なことは欠かさず行っていた。
さて、PC-9801シリーズのMS-DOSのユーザーズ・マニュアルには,「電源を切断する前には,必ずSTOPキーを押して一ください」と記載してある.これはどういうことだろうか?ハードディスクのヘッドは、ディスクが回転することにより起こる空気の流れを利用して,ちょうどグライダーのように浮いているのである.電源が切断され,回転が止まるとへッドがディスクに当り,そこに傷がついてしまうこともある.そこで,ディスク上には,滑走路に当る,シッピングゾーンという「着陸」した状態のヘッドを置く,データの記録を行わない場所が用意されている.MS-DOSでは,STOPキー-が押されると,ヘッドをこのシッピングゾーンの上まで持っていくようになっている。
最近のディスクは、電源が切断されるとヘッドを持ち上げて、ディスク上に落ちないようにする機構や,シッピングゾーンまで自動的にヘッドを移動する機構が付いている.したがってSTOPキーを押さなかったからといって、ディスクが壊れてしまう可能性は低い.
ただしそれは,あくまでもMS-DOSのコマンド待ち(A>といったプロンプトが出ている状態)で電源を切る場合であって、プログラム実行中,特にディスクのアクセスランプが付いている場合には、電源切断を行ってはならないことに注意してほしい.書き込んでいる最中に電源が切れてしまった場合には,そのデータが保存されるかどうかが保証されないばかりでなく、他のデータも壊れてしまう可能性がある.電源切断は,かならずプログラムの実行を終了してからにすべきである.MS-DOSに慣れないうちは、とにかく何回かSTOPキーを押して,アクセスランプが消えているのを確認してから電源を切るようにするといいだろう.
OS/2第5回OS2のある環境(月刊ASCII 1988年6月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
この号の「OS/2がやってきた」は「動的リンク」だった。
記事の技術的内容はスクラップするまでもなかった。しかし冒頭の随筆風の記事が面白かったというか、そうだったよなという懐かしく感じたのでスクラップする。
36年前の夢のコンピュータ環境が現在実現している。その当時思い描いていない画期的なことは実現していないのだからコンピュータ環境の進歩はもうないということだろう。まあ36年前の時点で既にパソコンの進歩は、大型コンピューターの技術をパソコンに下ろしていったようなものだから人間の考えるコンピュータ環境は当時すでに完成していたのだろう。あとは、技術的なことを一歩一歩地道に解決していっただけだ。0から1を作ったのが大型コンピューター開発時代で1から100いや1000かなそれを作ってきたのがこの36年なんだろう。1000倍速くする、1000倍大きくするという量的変化は質的変化になったことは認める。
記事からその夢の部分をスクラップする。
話を記事に戻して個人のローカルBBSはマルチタスクのOSなんて必要なかった。だって、パソコンを複数台持っていたから。知人でもたいていそうだった。で古いパソコンをホストにしていた。OS?そんなものはいらない。N88 Disk Basic で動いているBBSが結構あった。
パソコンの性能が低いためにコンパイラで作られているビジネスソフトは遅く、人を待たせてばかりだった。ゲームはというとおそらくゴリゴリのアセンブラで高速なコードを書いてくれていたので楽しめた。
記事の技術的内容はスクラップするまでもなかった。しかし冒頭の随筆風の記事が面白かったというか、そうだったよなという懐かしく感じたのでスクラップする。
36年前の夢のコンピュータ環境が現在実現している。その当時思い描いていない画期的なことは実現していないのだからコンピュータ環境の進歩はもうないということだろう。まあ36年前の時点で既にパソコンの進歩は、大型コンピューターの技術をパソコンに下ろしていったようなものだから人間の考えるコンピュータ環境は当時すでに完成していたのだろう。あとは、技術的なことを一歩一歩地道に解決していっただけだ。0から1を作ったのが大型コンピューター開発時代で1から100いや1000かなそれを作ってきたのがこの36年なんだろう。1000倍速くする、1000倍大きくするという量的変化は質的変化になったことは認める。
記事からその夢の部分をスクラップする。
まあ、今となっては違うなというところがあるが、雰囲気は良く分かる。一番違うなと感じたのは80286に何を求めているのだという点。本当にMSとIBMはよく80286で動くOS/2を作ったものだと感心する。やはりプロは凄い。私は当時パソコン人生最大の汚点だと思っていた80286マシンのPC-9801VX2を買ってしまった。アセンブラを使い、より高速なプログラムを作りたいと頑張っていた(本当に無駄な努力だった)。素人でもすぐわかるように640×400ドットでアニメキャラを動かしたいと独りよがりのプログラムを作っていた。本当はシミュレーションをしたかったはずなのに、アニメーションを作っていた。OS/2のある環境
OS/2には,ある種の夢が実現できそうなそんな期待がある.
筆者は,ソフトウェアの開発を職業とする技術者である常日頃,多くの時間をオペレーティングシステムの開発に費やしている.職業柄,コンピュータに毎日接することもあって,その便利な中にも,まだまだ不自由を感じることが多い.「理想的なコンピュータによる作業環境」を経済的にも安価に実現したいという欲求は自然なことであり,長年の夢でもある.OS/2の出現によって,その可能性を見つめ直す機会を得ることができた.
ここでは,今回の本題である動的リンクの解説に入る前に,現時点で考えられる範囲での具体的な,OS/2の利用イメージをもとに,この新しいオペレーティングシステムの可能性について考えてみきたいと思う.
OS/2の利用形態を特徴づける機能には,おおむね次のようなものがある.
(1) 複数のアプリケーションを同時に実行できる。 (2) 快適な操作環境を約束するウィンドウによるユーザーインターフェイス (3) 通信機能(LANマネージャ)によりネットワークの構築が比較的容易に行える。 (4) 本格的なデータベースマネージャの搭載 これらの機能をすべて総合すると,自然に思い浮かんでくる環境がある。
OS/2のある風景」
(ビジネスユース)
「オフィスにて」
プロジェクトを構成する各メンバーの-机の上には,その人の好みと能力にあった様々なパソコンが置かれている。すべてのパソコン上ではOS/2が稼働している。そして,各々のパソコンは通信機能(いわゆる、LAN:Local Area Network)で結ばれている。互いに結合されたパソコンのうち,処理速度が速く性能の良い1台は大容量のハードディスクにデータベースがのりサーバーとして動作する.メンバーは,自分のパソコンからLANによって、そのサーバーに自由にアクセスして,整合の取れた正しいデーメータをいつでも参照することができるよになっている。
そして、作業に必要なエディタ,ワードプロセッサ、あるいは,スプレッドシパートなどのアプリケーションソフトや,様々なツール類なども一箇所に集められいて,各パソコンからいつでも利用することができるのである.
このような環境のもとでの作業形態はどうなるか……
プロジェクトのあるメンバーが,ウィンドウ上で,他のメンバーの作成したデータを参照しながら作業を進めている(ワープロソフトでレポートを書いているかもしれないし,エディタでプログラムを作成しているかもしれない).
そのとき,バックグラウンドで待機していた通信アプリケーションが起動され,突然その画面上に新たなウィンドウが自動的に開いてメッセージが表示されたりする.他のメンバーから,なんらかの通信データが送られてきたのに違いない(たとえば、そのメッセージは,緊急を要する会議の用件だったり,以前に自分が誰かに出した質問の回答だったりするのだ).メッセージを受けた人は,その新たなウィンドウに対して適切なリアクションを起こしてから、再びもとの作業に戻ればよい。
こんな環境だけでも実現されれば,メンバー間のコミュニケーションが密接になり、作業効率が今より一層上がるはずである.
OS/2によって作り出される優れた作業環境(システム環境)は,この他にまだいくらでも考えられるかもしれない.いずれにしても,このようにして作り出された環境が,プロジェクトなどの同じ目的をもった人々の間で,様々な機能を並列に実行しながら,同時に共用できる、ところに意義があると言える.このように,OS/2を利用すれば、パソコンとこう比較的安価なマシンで,オートメーション環境が構築できるのである.つまり,OS/2をパソコンレベルでのOAを可能にするツールとして位置付けることもでき.る.OS/2が,ビジネス向けであると言こわれるのは,この辺に理由があるのだしろう。
OS/2以前において同等の環境を実現よしようとすると,コストがはるかに多くかかることは容易に想像できる.複数の端末(パソコン)を接続し,同時にアクセス可能なミニコンレベルの高価なマシンンが必要になるはずである.当然,社内の全メンバーに対して、マシンが行き渡まることは不可能に近い.
OS/2のある風景
(パーソナルユース)
では、自宅などでのパーソナルユースではどうだろうか……
OS/2は,個人で使用するには十分すぎるほどのパワーを持っている.そのため,現在のパーソナルユースでは圧倒的に多いと思われるワープロなどの,「もっぱらスタンドアロン」的な利用方法では,その能力のほとんどを使用していないことになる.しかし,マルチタスク機能を利用して、ワープロ,エディタ,コンパイラなどのアプリケーションプログラムを同時に実行することで,作業の効率の向上を計ることは十分考えられる.
しかし,人間が同時に処理できる作業量には限りがあり,数多くのアプリケーションを並列に起動して作業を進めていると、起動されたまま忘れ去られるアプリケーションが,必ずひとつやふたつは出てくる.実際,筆者も,OS/2を使っ。て複数のアプリケーションを実行しながらプログラムの開発を行ったが,テキストエディタを,同じソースプログラムの修正のために無数に起動してしまった経験がある(それでも,MS-DOSに比べれば,はるかに快適な環境であることに違いはない).OS/2の能力を,個人レベルでフルに使用するには,もっと広範囲な多人数によるパソコンの使用方法を研究する必要があるのかもしれない.
たとえば,パソコンの利用形態として確固たる地位を築きはじめているパソコンネットなどには最適なツールになる。向上したマシンの性能をフルに利用して,個人運営のパソコンを使ったBBSが増えるかもしれない、そうなれば,ネットワーク時代に向けて,個人におけるコンピュータライフも,今とは比べものにならない広がりを見せていくだろう。他のアプリケーションを使うときに通信中の回線を止める必要もなく、情報の伝達スピードはますます速くなるに違いない、極端な話をすれば,強力な通信機能とマルチタスク機能を利用して,日本中のあらゆるパソコンを高度な通信ネットワークで結合することも可能性がないではない。
また,高度な通信機能を利用して,自宅のパソコンをオフィスのマシンに接続することもできる.自宅においてオフィスと似たような業務用の環境を作ることが可能になる(自宅での仕事を奨励する。こわけではない)
以上が,及ばずながら筆者が想像したOS/2の世界である.自分の環境にあわせたOS/2の使用法を想像してみるのも,一興かもしれない.で、いずれにしても,これらの環境を実現するには,最低でも1.5Mbytesの主記憶や,高速でかつ大容量のハードディスク,通信機器,安価な通信手段,そして,それらの機能を同時に,そして高速に実行する高性能パソコンなどが不可欠な条件になることはいうまでもない.
さて,想像の世界はこの辺で終りにして次からは,いよいよ、目の前に確かに存在するOS/2の動的リンクの話を始めることにしよう。
話を記事に戻して個人のローカルBBSはマルチタスクのOSなんて必要なかった。だって、パソコンを複数台持っていたから。知人でもたいていそうだった。で古いパソコンをホストにしていた。OS?そんなものはいらない。N88 Disk Basic で動いているBBSが結構あった。
パソコンの性能が低いためにコンパイラで作られているビジネスソフトは遅く、人を待たせてばかりだった。ゲームはというとおそらくゴリゴリのアセンブラで高速なコードを書いてくれていたので楽しめた。
業界・ソフト関係(月刊ASCII 1988年6月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESS から業界関係ソフト関係の記事をスクラップする。
面白い記事だったのでスクラップする。
当時著作権関係の係争は色々あった。いつになったら落ち着いたのかを知るためにもスクラップ作業を続ける。
ジャストシステムが今後のソフト開発の基本路線を発表
独自のウィンドウ環境を提唱
当時仕事では統計、事務文書、会議資料、教養資料等を作っていたのでウィンドウシステムが欲しかった。マイクロソフトのWindowsでなくてもワープロ、表計算、お絵かきソフトとの連携をとって一つの文書ファイルになればいいと思っていた。そういった点ではジャストウィンドウが標準でもいいと思っていた。だがしかし、MicroSoftのWindowsを使わざるを得ず、組織の要求する文書体裁に見合う文書と作るのに苦労することになった。今まで作っていた文書体裁を捨ててアメリカ風の文書体裁を要求するMicroSoftのOfficeソフトは嫌だった。日本は記入する部分を四角で囲んであるが、アメリカ式はアンダーラインでそこからもう嫌だった。アンダーラインだと用紙に書き込む人から苦情がくる。基本的に日本は原稿用紙文化で1マス1文字の記入欄を使っていた。スクラップ作業していて昔の苦労が思い出される。基本的にパソコンが人間に合わせるべきで、人間がパソコンに合わせる仕様が嫌で嫌で仕方がなかった。
Aldus,Page Makerを日本語化
Windows 3.1のころからPage Makerには大変お世話になった。しかし、よく落ちた。1ページ作るたびにセーブしていた。
アスキーがPC-9800シリーズ用の日本語Micro TEXを発売
アスキーのTEXは買わなかったが、そのうちフリーのTEXがパソコン通信で回覧方式で配布されていた。私はそれを利用させてもらった。不思議なものでTEXがいう「これが美しい文書だ」にはすんなり受け入れることができたのに、Wordとかの「これが出力されるべき文書だ」には物凄く反発していた。Wordで自分の思う体裁の文書を作るのに手間暇をかけさせられていた。
イーストがX68000用の日本語ワープロソフトを発売
X68000は使ったことがなかったのでソフトの評価はできない。このようなソフトがあったのだということでスクラップしておく。
BIS,MS-DOSマシン対応のファイル管理ソフトを発売
FILEVISORは知人が大変気に入っていてWindowsになっても延々と使っていた。エクスプローラーは断じて使わず、FILEVISORを使って彼は何も言わなかったが、どうだエクスプローラーなんて使えないだろう。FILEVISORは素晴らしいだろうと背中で語っていた。
システムポート,PC-9800用のファイルコンバータを発売
キヤノワード・ミニとMS-DOSの文書ファイルを交互にコンバートする。CNconv Ver.1.0で価格は3万3000円。まだまだワープロ専用機を使っている人が多くて、このようなソフトが必要だった。
精工舎,Techno-PRO model 750用のUNIXを発売
価格は70万円。今はLinuxが無料で使える。いい時代になったものだ。
面白い記事だったのでスクラップする。
米国ハイテク産業の動向
■Apple社とMicrosoft社に見る米国著作権事情
Apple社が,Microsoft社のWindows 2.03とHP社のNewWaveをMacintoshの著作権侵害だとして訴えを起こしたことは先月号で報じた。これに対してMicrosoft社は、Apple社の訴訟申請が同社の利益を損なったとして逆提訴した.Microsoft社によると,1985年の両社間の合意では,Windows1.0に対してApple社はすべての権利を放棄したはずだという.
今回の件に限らず,著作権や特許権をめぐる紛争は米国では日常茶飯事で,「奴らが訴えてきたら,こちらは別件で逆に訴えてやる」という動きが必ず出てくる.こうした訴訟の応酬は,一般ユーザーに対するアピールという側面が強い.したがって,訴訟が起きても法廷で最後まで争われることはごくまれで,途中で示談になるケースが非常に多い.今回のApple社の訴訟は,IBM PC/PS2へのWindows型ユーザーインターフェイスの浸透を少しでも遅らせることが目的であるといわれている.
■ローカライゼーションをした当事者が著作権を持つ?
一昔前までは,米国から第三国にソフトウェアを輸出する場合,オリジナルパッケージをそのまま輸出するだけで事足りていた.しかし最近では、現地で使用されているマシンや言語,習慣,好みなどに適応させる作業――ローカライゼーションの必要性が高まってきている.特に,日本のような非アルファベット圏が対象の場合は,ソフトウェアやマニュアルなどの言語的変換は必須の条件になってくる.
今まで米国のソフトウェア企業は,現地ディストリビュータや提携先にそうした変更作業を一任するケースが多かった.米国人にとっては,漢字がディスプレイに表示されるとまったくのお手上げで,漢字とグラフィックキャラクタの区別もままならない,というのが実際の話だ.最近になって,こうしたローカライゼーションと著作権に関して,新たな問題が浮上してきている.日本など第三国のディストリビュータが,ソフトウェアの現地語化および現地のマシン対応の変更作業を行った場合,それらの変更部分に関する著作権は作業を担当した当事者のものになるというのだ.
これは,米国の開発・販売会社とディストリビュータの関係がうまくいっている場合にはあまり問題にならないが,いったん両者の関係がギクシャクしてくると取り返しがつかなくなる.よくあるケースでは,現地子会社を設立して独自にマーケティングを展開する場合などに,この問題が浮上してくる.米国企業はそれまで現地で行っていた変更部分を自社で置き換えるか,関係が悪化したパートナーからその部分に関する権利を買い取る必要が出てくる.
■シリコンバレーを吹き荒れたGregurasレポート
こうしたソフトウェアに関する海外での変更作業およびその所有権について問題を提起したものの一つに,昨年から今年にかけてシリコンバレーで注目を集めたGregurasレポートなるものがある.Fred Gregurasは海外での工業所有権,知的財産保護などを専門とするPalo Altoの大手法律事務所の弁護士である.彼のレポート「Ownership of Software Adaptation Prepared in Japan」(日本で適応化がなされたソフトウェアの所有権について)では,日本向けソフトのローカライゼーションは自社内で行うべきだとしている.さもなければ,一部の著作権や所有権が日本企業のものになってしまい,米国の企業は多大なリスクを負うことになる,と彼は警告している.
彼のレポートを受けて米国のソフト開発・販売元の中には,契約書の再検討や契約更新時にそうした点を考慮すると表明する企業が出てきている.
■外国企業に対する技術情報の制限を検討する動きも
東芝制裁措置を盛り込んだ貿易法案の審議が議会で最終段階に入っている.レーガン大統領は,「経済に悪影響を及ぼすような法案なら拒否権を行使する」としており,東芝制裁などいくつかの条項は削除される公算が大だ.これに関連して,米国政府周辺には,外国企業が米国の公的研究機関で得られた技術情報を簡単に入手できないように情報の公開を制限すべきだという声が出てきている.現在の法律では,軍事関連でない限り技術情報は自由に入手できるようになっている.
一方で,日本の企業から多額の研究資金を援助してもらっている機関や,日本人研究者が関わっているプロジェクトを持つ機関では,外国企業が情報を入手することをむやみに制限することはかえって不利益になる,と指摘する向きもある.逆に,前述のGreguras氏などは,貿易に関する公聴会で「DOC(米国商務省)やDOD(国防総省)の技術情報の公開の制限を緩和すべきだ.これ以上の介入は許すべきではない」との意見を述べている.米国のソフトウェア市場はパッケージソフトだけに限定しても2~3兆円の規模があるうえ,米国にとっては数少ない(?)輸出超過産業.米国が技術輸出国としての現在の地位を将来にわたって確保できるかどうか,こうした知的財産所有権の保護をめぐる論議は,今後もますます活発になってくるものと思われる.
(ザイロンコーポレーション代表 脇山弘敏)
当時著作権関係の係争は色々あった。いつになったら落ち着いたのかを知るためにもスクラップ作業を続ける。
ジャストシステムが今後のソフト開発の基本路線を発表
独自のウィンドウ環境を提唱
当時仕事では統計、事務文書、会議資料、教養資料等を作っていたのでウィンドウシステムが欲しかった。マイクロソフトのWindowsでなくてもワープロ、表計算、お絵かきソフトとの連携をとって一つの文書ファイルになればいいと思っていた。そういった点ではジャストウィンドウが標準でもいいと思っていた。だがしかし、MicroSoftのWindowsを使わざるを得ず、組織の要求する文書体裁に見合う文書と作るのに苦労することになった。今まで作っていた文書体裁を捨ててアメリカ風の文書体裁を要求するMicroSoftのOfficeソフトは嫌だった。日本は記入する部分を四角で囲んであるが、アメリカ式はアンダーラインでそこからもう嫌だった。アンダーラインだと用紙に書き込む人から苦情がくる。基本的に日本は原稿用紙文化で1マス1文字の記入欄を使っていた。スクラップ作業していて昔の苦労が思い出される。基本的にパソコンが人間に合わせるべきで、人間がパソコンに合わせる仕様が嫌で嫌で仕方がなかった。
Aldus,Page Makerを日本語化
Windows 3.1のころからPage Makerには大変お世話になった。しかし、よく落ちた。1ページ作るたびにセーブしていた。
アスキーがPC-9800シリーズ用の日本語Micro TEXを発売
アスキーのTEXは買わなかったが、そのうちフリーのTEXがパソコン通信で回覧方式で配布されていた。私はそれを利用させてもらった。不思議なものでTEXがいう「これが美しい文書だ」にはすんなり受け入れることができたのに、Wordとかの「これが出力されるべき文書だ」には物凄く反発していた。Wordで自分の思う体裁の文書を作るのに手間暇をかけさせられていた。
イーストがX68000用の日本語ワープロソフトを発売
X68000は使ったことがなかったのでソフトの評価はできない。このようなソフトがあったのだということでスクラップしておく。
BIS,MS-DOSマシン対応のファイル管理ソフトを発売
FILEVISORは知人が大変気に入っていてWindowsになっても延々と使っていた。エクスプローラーは断じて使わず、FILEVISORを使って彼は何も言わなかったが、どうだエクスプローラーなんて使えないだろう。FILEVISORは素晴らしいだろうと背中で語っていた。
システムポート,PC-9800用のファイルコンバータを発売
キヤノワード・ミニとMS-DOSの文書ファイルを交互にコンバートする。CNconv Ver.1.0で価格は3万3000円。まだまだワープロ専用機を使っている人が多くて、このようなソフトが必要だった。
精工舎,Techno-PRO model 750用のUNIXを発売
価格は70万円。今はLinuxが無料で使える。いい時代になったものだ。
その他のハード(月刊ASCII 1988年6月号4) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESS からその他のハードの記事をスクラップする。
日電が16bitプロセッサV33を発売
V33(16MHz)はV30(10MHz)の約4倍の処理速度を実現しているとの記事だが、どうしてかと思えばデータ転送速度がV30が4クロックサイクルなのに対しV33は2クロックサイクルに短縮したためだそうだ。
価格は16MHz版で2万円で今も昔もエントリーCPUの値段は大体こんなもの。
日本モトローラがRISCプロセッサM88000ファミリーを発表
RISCチップなのでなじみがない。今後どうなったかはスクラップしていくと分かるかもしれない。
VMテクノロジー,32bitマイクロプロセッサを開発
VM8600Sとはどんなプロセッサだったのだろうか。80286のリアルモードと互換とあるが、良く分からない。
三菱電機,16bitワンチップマイコンを開発
M37700 E4 シリーズで主に工場用と思われる。
システムクォリティ,カラーイメージスキャナを発売
A4原稿を取り込める CS-300 で価格は59万8000円。
シャープ,カラーハンディスキャナを発売
A6原稿を取り込める JX-100 で価格は8万9800円。とにかく36年前は高かった。
プロテック,高解像度20インチディスプレイを発売
解像度はVIKING1が1280×960ドットのペーパーホワイトで39万円、1024×768ドットのアナログカラーで79万円だった。
凸版印刷,CPU内蔵の非接触型ICカードを開発
記事からはどんなものかは不明だ。
アイテムがPC-9800およびPC-286シリーズの拡張スロットに装着するハードディスクボードを発売
Hyper Disk 40は40Mbytesで14万8000円
東芝が垂直磁気記録方式の3.5インチ4Mbytes FDDを発売
PD-210で価格は3万9000円
シャープ,名前・電話番号を記憶する電子メモを発売
PA-370で価格は3500円。
スマホから始めた世代にはこれの必要性が理解できないだろう。
日電が16bitプロセッサV33を発売
V33(16MHz)はV30(10MHz)の約4倍の処理速度を実現しているとの記事だが、どうしてかと思えばデータ転送速度がV30が4クロックサイクルなのに対しV33は2クロックサイクルに短縮したためだそうだ。
価格は16MHz版で2万円で今も昔もエントリーCPUの値段は大体こんなもの。
日本モトローラがRISCプロセッサM88000ファミリーを発表
RISCチップなのでなじみがない。今後どうなったかはスクラップしていくと分かるかもしれない。
VMテクノロジー,32bitマイクロプロセッサを開発
VM8600Sとはどんなプロセッサだったのだろうか。80286のリアルモードと互換とあるが、良く分からない。
三菱電機,16bitワンチップマイコンを開発
M37700 E4 シリーズで主に工場用と思われる。
システムクォリティ,カラーイメージスキャナを発売
A4原稿を取り込める CS-300 で価格は59万8000円。
シャープ,カラーハンディスキャナを発売
A6原稿を取り込める JX-100 で価格は8万9800円。とにかく36年前は高かった。
プロテック,高解像度20インチディスプレイを発売
解像度はVIKING1が1280×960ドットのペーパーホワイトで39万円、1024×768ドットのアナログカラーで79万円だった。
凸版印刷,CPU内蔵の非接触型ICカードを開発
記事からはどんなものかは不明だ。
アイテムがPC-9800およびPC-286シリーズの拡張スロットに装着するハードディスクボードを発売
Hyper Disk 40は40Mbytesで14万8000円
東芝が垂直磁気記録方式の3.5インチ4Mbytes FDDを発売
PD-210で価格は3万9000円
シャープ,名前・電話番号を記憶する電子メモを発売
PA-370で価格は3500円。
スマホから始めた世代にはこれの必要性が理解できないだろう。
パソコン関係(月刊ASCII 1988年6月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESS からパソコン関係の記事をスクラップする。
富士通から液晶付き286マシンと本格ラップトップ登場
FMR-30HXは取っ手が付いたトランスポータブルと言われたマシン。CPUが80L286(8MHz)、RAM1Mで48万8000円。
FMR-10LTはラップトップでCPUが80C186F(10MHz)、RAM448K。FMR-10LT1が19万8000円以下略。
36年前の機械は、ただただ高いとしか言えない。
シャープが12MHzの80286を搭載したMZ-6500モデル50を発売
MZ-6551はCPUが80286(12MHz) RAM1Mで43万円。
リコーが日本IBMからOEM供給を受けて32bitCPUを搭載したパーソナルコンピューターを発売
モデル735DはCPUが80386(16/20MHz) RAM 2Mで 標準的なシステム構成で197万8000円。
わざわざOEM供給を受けてまで発売しなくてはならない理由はなんだったのだろうか。また、どこに売っていたのだろうか。素人には分からない。
日立製作所が32bitマシン2020シリーズに新モデルを投入
CPUが80386(20MHz) RAM 2M HDD40Mタイプが135万円。
トムキャット,PC/3に仮想V30モードを搭載
価格は39万8000円
ここまでしてPC-9801とIBM PCの両互換機にこだわる必要があったのだろうか。高くても2台買った方がよっぽと良かったと思うのだが。昔から私はパソコンが2台あればどれだけ快適かと考えていた。長い年月かけて今は2台どころかn台起動して、あれこれ作業をしている。マルチタスクはトラブルが避けられないと思っている。
日本IBMがIBM PS/2互換の80386マシン3機種を発表
英語版OS/2用アプリケーションもすべて動作可能に
5550-SはCPUが80386(16MHz) RAM2Mで82万円から。
「Sun386i」ファミリーを発表
CPUが20/25MHzの80386。処理速度が3MIPU。このマシンはスーパーミニというのだろうか。
最小構成で148万8000円から。
36年後今この作業をしているマシンは
Core i5-10400(2.9GHz)だから4000MIPS越えでRAM 32G VirtualBoxでLinux(Ubuntu 20)を動かしているというのだから、ああなんという贅沢なのだろうか。
日本DEC,VAXファミリーに新機種を投入
処理速度は6~22MIPSを実現だそうだ。
価格が8800シリーズが1億4565万円~3億1599万円。気が遠くなる価格だ。
YHPがHP9000シリーズ800ファミリーに中型2機種を投入
2.02MFLOPS。MIPSは書いていない。
モデル835Sが834万4000円。
富士通から液晶付き286マシンと本格ラップトップ登場
FMR-30HXは取っ手が付いたトランスポータブルと言われたマシン。CPUが80L286(8MHz)、RAM1Mで48万8000円。
FMR-10LTはラップトップでCPUが80C186F(10MHz)、RAM448K。FMR-10LT1が19万8000円以下略。
36年前の機械は、ただただ高いとしか言えない。
シャープが12MHzの80286を搭載したMZ-6500モデル50を発売
MZ-6551はCPUが80286(12MHz) RAM1Mで43万円。
リコーが日本IBMからOEM供給を受けて32bitCPUを搭載したパーソナルコンピューターを発売
モデル735DはCPUが80386(16/20MHz) RAM 2Mで 標準的なシステム構成で197万8000円。
わざわざOEM供給を受けてまで発売しなくてはならない理由はなんだったのだろうか。また、どこに売っていたのだろうか。素人には分からない。
日立製作所が32bitマシン2020シリーズに新モデルを投入
CPUが80386(20MHz) RAM 2M HDD40Mタイプが135万円。
トムキャット,PC/3に仮想V30モードを搭載
価格は39万8000円
ここまでしてPC-9801とIBM PCの両互換機にこだわる必要があったのだろうか。高くても2台買った方がよっぽと良かったと思うのだが。昔から私はパソコンが2台あればどれだけ快適かと考えていた。長い年月かけて今は2台どころかn台起動して、あれこれ作業をしている。マルチタスクはトラブルが避けられないと思っている。
日本IBMがIBM PS/2互換の80386マシン3機種を発表
英語版OS/2用アプリケーションもすべて動作可能に
5550-SはCPUが80386(16MHz) RAM2Mで82万円から。
「Sun386i」ファミリーを発表
CPUが20/25MHzの80386。処理速度が3MIPU。このマシンはスーパーミニというのだろうか。
最小構成で148万8000円から。
36年後今この作業をしているマシンは
Core i5-10400(2.9GHz)だから4000MIPS越えでRAM 32G VirtualBoxでLinux(Ubuntu 20)を動かしているというのだから、ああなんという贅沢なのだろうか。
日本DEC,VAXファミリーに新機種を投入
処理速度は6~22MIPSを実現だそうだ。
価格が8800シリーズが1億4565万円~3億1599万円。気が遠くなる価格だ。
YHPがHP9000シリーズ800ファミリーに中型2機種を投入
2.02MFLOPS。MIPSは書いていない。
モデル835Sが834万4000円。
ISDNその他(月刊ASCII 1988年6月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESS からISDNとその他の記事をスクラップする。
21世紀の通信環境「ISDN」サービスがスタート
ところで、白川勝彦郵政省事務次官は職質を受けて憤慨した人物だった。国家公安委員長まで務めておきながら困ったものだ。「規定の手順通りにしか出来ないマニュアル警官ではなく、臨機応変な対応が出来る『はぐれ刑事純情派』の安浦吉之助(藤田まこと)のような警察官を育て大事にしなければならない」と言ったそうだが、規則を守らず自己流に解釈して業務執行されると怖い。警察権力は人権を制限することができるものだから、規則でがんじがらめにして市民に無茶なことをできないようにすべきだ。白川氏だけではなく、著名人には戦前の警察権力というか国家権力がやってきたことを肯定するかのような発言をする人がいるのが不安だ。
コミュニケーションTOKYO'88が開催 ISDNの商用開始で盛況
結局写真のようなTV電話は広まらなかった。インターネット端末に駆逐された。というか駆逐されるまでもなく消えた。
静止画テレビ電話の規格統一基準が決定
36年前は静止画を送信するのも大変だった。
富士通,戸籍管理システムを開発
36年前はこういったことがニュースになった。
三洋電機,米国ICメーカーと業務提携
36年前日本のメーカーはとっても元気だった。今の有様を当時は想像できなかった。
小惑星「ASCII」が誕生
「会社名がつけられたのは今回が初めて」と書いてあるが、会社名だと分かる人がどのくらいいるのか。
21世紀の通信環境「ISDN」サービスがスタート
21世紀の通信環境「ISDN」サービスがスタートISDNを引いた時には良い時代が来たと思った。その後ADSL,光となったが、こんなに早くISDNの時代が終わるとは思わなかった。21世紀の通信環境が21世紀になるやいやな無くなるとはなんという皮肉か。
5年後の利用者,30万人を見込む
日本電信電話会社(NTT)は,21世紀の基幹通信網である「ISDN:Integrated Services Digital Network」(総合デジタル通信網)に基づいたサービス「INSネット64」を,4月19日から世界に先駆けて東京,名古屋,大阪間で開始した。開始時の利用者は東海銀行,凸版印刷,富士ゼロックスなど29の企業で、回線数は114.同社では、5年後にサービス網を全国に拡大して,30万人の利用者を見込んでいる.同社は,同日午前,東京,名古屋,大阪の3会場で開始セレモニーを行い,東京・霞が関のNTTコミュニケーションセンターには,真藤恒NTT社長,白川勝彦郵政省事務次官らが出席した.
INSネット64は,利用者相互間の情報通信をデジタル信号でやりとりするもので,音声1回線分に相当する通信速度64kbpsの情報回線(Bチャネル)を2本分と,通信速度16kbpsの制御信号(Dチャネル)を1本の回線に統合したもの.専用端末を使うことで,カラー画像と音声を同時に送ったり,通話中にファクシミリで画像データを送ったりする複合情報サービスを実現する.ISDNは,CCITT(国際電信電話諮問委員会)を中心にして各種通信機器のインターフェイス規格が決められている.
国際的に標準化されているのは「Iインターフェイス」で,これは回線容量によってさらに2つの系列に分かれている.内訳は,1Bチャネル(64kbps)×2本とDチャネル(16kbps)×1本の合計144kbpsの通信チャネルをユーザーに提供する基本インターフェイス「2B+D」,2Bチャネル×23本とDチャネル(64kbps)×1本の合計1536kbpsの通信チャネルをユーザーに提供する1次群速度インターフェイス「23B+D」.INSネット64は2B+Dの基本インターフェイスを使っている.2B+Dのうち,Bチャネルは回線交換サービスやパケット通信サービス('89年春から開始)に,Dチャネルは信号の授受とパケット通信サービス(同)に使用される.データ・チャネルとシグナル・チャネルが分離しているため,通信中でも信号のやりとりが自由に行えるという特徴を持っている.
INSネット64の基本サービス料金は,事務所用が月額5400円,家庭用が4600円.通信料は,現在の電話料金と同じで当初の計画よりも低く抑えられているが,緊急電話サービスやパケット交換サービスなどが始まる来春には,この料金体系も見直されることになりそうだ、NTTは,採算ベースに見合うような値上げを早くも検討中だが,郵政省は普及を考慮して現行の電話料金並みに下げるよう求めることにしている.ただ,INSネット64用のアダプタ機器などが現行の電話機に比べてかなり割高になっているため,電話料金並みにサービス料金を設定しても,一般家庭に普及するのは数年先になりそうだ.
当初のサービス地域は東京,名古屋,大阪だが,今年度中に札幌,仙台,神戸など25都市に拡大する.その後もサービス地域を拡大し,5年後には全国の市政施行都市のほとんどで利用できるようにする予定だ.この時点で利用者は30万人に達するとNTTでは見ている.そして,西暦2000年には,家庭で10%以上,事業所で70%以上(事業所・世帯数で合計1000万)の普及率を見込んでいる.
同社では,2B+Dの基本インターフェイスを拡張した「INSネット1500」も準備中だ.'89年春に開始を予定しているINSネット1500は,「23B+D」の1次群速度インターフェイスに基づいている.23B+Dでは,通信速度1.5Mbpsのパイプの中を,23個のBチャネルと1個のDチャネル(64kbps)に分けて使用したり,m個のBチャネルとn個の384kbpsのデータ・チャネルに分けて使用するようなユーザー選択型のサービス形態が可能になっている.
INSネット64がスタートした19日,各社はさっそくサービスの利用を開始した.このうち東海銀行は,支店のCD(現金自動支払機)と照合センター間をネットで接続して,CDの無人運用システムを稼動させたほか,凸版印刷が印刷工場と営業部門間をネットで接続して,高精細静止画の伝送システムを使った校正作業を始めた.
また,端末アダプタの適合認定を助電気通信端末機器審査協会に申請していた電気メーカー各社は,サービス開始直前に適合認定を取得,ISDNの本格商戦も火蓋を切って落とされた.今回のサービス開始で,本格的なデジタル通信時代が到来したことになる。
ところで、白川勝彦郵政省事務次官は職質を受けて憤慨した人物だった。国家公安委員長まで務めておきながら困ったものだ。「規定の手順通りにしか出来ないマニュアル警官ではなく、臨機応変な対応が出来る『はぐれ刑事純情派』の安浦吉之助(藤田まこと)のような警察官を育て大事にしなければならない」と言ったそうだが、規則を守らず自己流に解釈して業務執行されると怖い。警察権力は人権を制限することができるものだから、規則でがんじがらめにして市民に無茶なことをできないようにすべきだ。白川氏だけではなく、著名人には戦前の警察権力というか国家権力がやってきたことを肯定するかのような発言をする人がいるのが不安だ。
コミュニケーションTOKYO'88が開催 ISDNの商用開始で盛況
結局写真のようなTV電話は広まらなかった。インターネット端末に駆逐された。というか駆逐されるまでもなく消えた。
静止画テレビ電話の規格統一基準が決定
36年前は静止画を送信するのも大変だった。
富士通,戸籍管理システムを開発
36年前はこういったことがニュースになった。
三洋電機,米国ICメーカーと業務提携
36年前日本のメーカーはとっても元気だった。今の有様を当時は想像できなかった。
小惑星「ASCII」が誕生
「会社名がつけられたのは今回が初めて」と書いてあるが、会社名だと分かる人がどのくらいいるのか。
パソコン広告(月刊ASCII 1988年6月号1) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
もう一度読み返し、スクラップする。
裏表紙は前号に引き続き、FM77AV40EX/20EXだった。
表紙見返しはこの号も3.5インチマシンを押していた。
PC-88VA(斉藤由貴)の広告。
NECのモデム、プリンタ(小沢なつき)は前号の使いまわし。
NECのタブレットとPC-VANの広告。左頁のタブレットは前号の使いまわし。
シャープのMZ-2861は前号の使いまわし。
シャープのX68000は前号の使いまわし。
シャープのX68000の周辺機器の広告。
南野陽子の富士通FM77AV40は前号の使いまわし。
南野陽子の富士通FMRシリーズ。
パナソニックのPanacomMは前号の使いまわし。
左頁が東芝のJ-3100シリーズ。前号の使いまわし
左右頁がエプソンの98互換機PC-286。片側1ページになった。
左頁がエプソンの入力端末機ワードバンク-Note。電子手帳を大きくしたような端末。
キヤノンのNAVIは見開き4ページ。前号の使いまわし。
キヤノン販売のMacの広告は前号の使いまわし。
ソニーのNEWSは見開き10ページにわたる広告。
東芝のワープロRupoは表計算もパソコン通信もできる。ゲームとかしないのであればもうワープロでいいのではないかと思える機械だ。そういえばワープロでも上海ができた。仕事をしているのかと思ったら上海をしている先輩がいた。
右頁が日本エイサー(株)のAXパソコンAcer1100/20X。
左頁がABM INC.のV30スーパーチャージャー。8087を8MHzから10MHzにするのに74,800円もかかった。約3000台出荷されたそうだ。
この号のキヤノンレーザーショットの広告にはロータス社長の菊池三郎氏が登場した。
レーザーショットのプリンタドライバであるLIPSか懐かしい。
アイ・オー・データ機器は見開き4ページの広告だった。
右頁がメルコのRAMボードの広告。アイ・オー・データとは差がある。
私はメルコ派
理由は知人や職場でアイ・オー・データを使っていたので私はメルコを使って比較していた。知人らと分担して身内で製品評価をしていた。もちろん、パソコン趣味の遊びの一つとして。
左頁が緑電子のHDD。
DAX-H1V!(20MB)が149,000円
DAX-H5V!(40MB)が275,000円
キャッシュメモリ MDC-27C(256KB)が24,800円
半導体記憶装置 5MBのRDが298,000円
左頁がウィンテクのHDD
R4HS(40MB)が178,000円
R8HS(80MB)が328,000円
私はこの何年後かにウィンテクのHD404HSを買った。
キャラベルデータシステムのHDD
AV-20(20MB)が298,000円
AV-40(40MB)が398,000円
左頁がロジテックのHDD
LHD-32N(20MB)が158,000円
LHD-34H(20MB)が328,000円
左頁がシーゲートのHDD
ST225NC(20MB)価格は載ってない。
右頁がアイシーエムのHDD
HD-4020mkII(20MB)が195,000円
HD-4040SmkII(40MB)が290,000円
右頁がランドコンピュータのHDD
本体とケーブル LHDS-42が70,000円
内蔵のカートリッジが
LHDC-22A(20MB)が128,000円
LHDC-42A(20MB)が248,000円
右頁がアイテムのHDD
M520ET(20MB)が168,000円
M540ET(40MB)が188,000円(安いが広告にはこう書いてある)
左頁がコンピュータリサーチのHDD
CRC-HD2A(20MB)が89,800円
CRC-HD4A(40MB)が129,800円
これも安い
右頁の東北金属工業が面白い
どうやらフロッピーを沢山入れて1台のディスクのように使うみたいだ。
この号はHDDの広告が多かった。
マイクロソフトのマルチプランの広告。MS-DOSではマルチプランでエクセルは無かった。マルチプランは先行していたので早くから使っていた人たちにはノウハウが溜まっていて1-2-3に移行するメリットはなかった。使い続けているユーザがいた。このソフトウエアを使ってノウハウが溜まるとと他のソフトにはなかなか移行しなかった。ロータス1-2-3がエクセルに負ける前ロータスはわが社の製品にはマクロを含めノウハウを蓄えたユーザがたくさんいる。ソフトを乗り換えるには使用者への再教育が必要となるから企業はおいそれと乗り換えることはないだろう。人件費をかけてまで教育用の時間はとらないだろう。という内容を言っていた。私は、そのとおりだと思ったがエクセルに負けてしまった。それは1-2-3を使ったことのない若い世代のパソコンマニアがエクセルを使い、マクロを作り、他の人に教育をするといったことが行われたからだった。
デュエットはジャストシステムの日英ワープロ。
ジャストシステムのシルエットの広告。
ジャストシステムの一太郎と花子の合体広告。
ジャストシステムのAAC?の広告。いったいこれは何だったのだろうか。
左頁がMSAのTURBO C V.1.5の広告。
私はサザンパシフィック版を買った。サザンパシフィックはすぐにバグフックス版が送付された。
なぜサザンパシフィック版を買ったかというと、知人がMSA版を買うというので私はサザンパシフィック版を買ってお互い感想を話そうということだった。34年前はインターネットないしパソコン通信もローカルBBSが主だったので知人間の情報交換が重要だった。
右頁がロータス1-2-3の広告。前号の使いまわし。
お絵かきソフトと言えば私の中ではZs STAFF Kidだった。大したものは描けなかったがそれでもお絵かきソフトはこれだけだった。
裏表紙裏はFUJI FILMのフロッピーディスクの広告で前号の使いまわし。
この号から迷走していたログイン通信の広告は無くなった。
裏表紙は前号に引き続き、FM77AV40EX/20EXだった。
表紙見返しはこの号も3.5インチマシンを押していた。
PC-88VA(斉藤由貴)の広告。
NECのモデム、プリンタ(小沢なつき)は前号の使いまわし。
NECのタブレットとPC-VANの広告。左頁のタブレットは前号の使いまわし。
シャープのMZ-2861は前号の使いまわし。
シャープのX68000は前号の使いまわし。
シャープのX68000の周辺機器の広告。
南野陽子の富士通FM77AV40は前号の使いまわし。
南野陽子の富士通FMRシリーズ。
パナソニックのPanacomMは前号の使いまわし。
左頁が東芝のJ-3100シリーズ。前号の使いまわし
左頁がエプソンの入力端末機ワードバンク-Note。電子手帳を大きくしたような端末。
キヤノンのNAVIは見開き4ページ。前号の使いまわし。
キヤノン販売のMacの広告は前号の使いまわし。
ソニーのNEWSは見開き10ページにわたる広告。
東芝のワープロRupoは表計算もパソコン通信もできる。ゲームとかしないのであればもうワープロでいいのではないかと思える機械だ。そういえばワープロでも上海ができた。仕事をしているのかと思ったら上海をしている先輩がいた。
右頁が日本エイサー(株)のAXパソコンAcer1100/20X。
左頁がABM INC.のV30スーパーチャージャー。8087を8MHzから10MHzにするのに74,800円もかかった。約3000台出荷されたそうだ。
この号のキヤノンレーザーショットの広告にはロータス社長の菊池三郎氏が登場した。
レーザーショットのプリンタドライバであるLIPSか懐かしい。
アイ・オー・データ機器は見開き4ページの広告だった。
右頁がメルコのRAMボードの広告。アイ・オー・データとは差がある。
私はメルコ派
理由は知人や職場でアイ・オー・データを使っていたので私はメルコを使って比較していた。知人らと分担して身内で製品評価をしていた。もちろん、パソコン趣味の遊びの一つとして。
左頁が緑電子のHDD。
DAX-H1V!(20MB)が149,000円
DAX-H5V!(40MB)が275,000円
キャッシュメモリ MDC-27C(256KB)が24,800円
半導体記憶装置 5MBのRDが298,000円
左頁がウィンテクのHDD
R4HS(40MB)が178,000円
R8HS(80MB)が328,000円
私はこの何年後かにウィンテクのHD404HSを買った。
キャラベルデータシステムのHDD
AV-20(20MB)が298,000円
AV-40(40MB)が398,000円
左頁がロジテックのHDD
LHD-32N(20MB)が158,000円
LHD-34H(20MB)が328,000円
左頁がシーゲートのHDD
ST225NC(20MB)価格は載ってない。
右頁がアイシーエムのHDD
HD-4020mkII(20MB)が195,000円
HD-4040SmkII(40MB)が290,000円
右頁がランドコンピュータのHDD
本体とケーブル LHDS-42が70,000円
内蔵のカートリッジが
LHDC-22A(20MB)が128,000円
LHDC-42A(20MB)が248,000円
右頁がアイテムのHDD
M520ET(20MB)が168,000円
M540ET(40MB)が188,000円(安いが広告にはこう書いてある)
左頁がコンピュータリサーチのHDD
CRC-HD2A(20MB)が89,800円
CRC-HD4A(40MB)が129,800円
これも安い
右頁の東北金属工業が面白い
どうやらフロッピーを沢山入れて1台のディスクのように使うみたいだ。
この号はHDDの広告が多かった。
マイクロソフトのマルチプランの広告。MS-DOSではマルチプランでエクセルは無かった。マルチプランは先行していたので早くから使っていた人たちにはノウハウが溜まっていて1-2-3に移行するメリットはなかった。使い続けているユーザがいた。このソフトウエアを使ってノウハウが溜まるとと他のソフトにはなかなか移行しなかった。ロータス1-2-3がエクセルに負ける前ロータスはわが社の製品にはマクロを含めノウハウを蓄えたユーザがたくさんいる。ソフトを乗り換えるには使用者への再教育が必要となるから企業はおいそれと乗り換えることはないだろう。人件費をかけてまで教育用の時間はとらないだろう。という内容を言っていた。私は、そのとおりだと思ったがエクセルに負けてしまった。それは1-2-3を使ったことのない若い世代のパソコンマニアがエクセルを使い、マクロを作り、他の人に教育をするといったことが行われたからだった。
デュエットはジャストシステムの日英ワープロ。
ジャストシステムのシルエットの広告。
ジャストシステムの一太郎と花子の合体広告。
ジャストシステムのAAC?の広告。いったいこれは何だったのだろうか。
左頁がMSAのTURBO C V.1.5の広告。
私はサザンパシフィック版を買った。サザンパシフィックはすぐにバグフックス版が送付された。
なぜサザンパシフィック版を買ったかというと、知人がMSA版を買うというので私はサザンパシフィック版を買ってお互い感想を話そうということだった。34年前はインターネットないしパソコン通信もローカルBBSが主だったので知人間の情報交換が重要だった。
右頁がロータス1-2-3の広告。前号の使いまわし。
お絵かきソフトと言えば私の中ではZs STAFF Kidだった。大したものは描けなかったがそれでもお絵かきソフトはこれだけだった。
裏表紙裏はFUJI FILMのフロッピーディスクの広告で前号の使いまわし。
この号から迷走していたログイン通信の広告は無くなった。
シルエット&デュエット(月刊ASCII 1988年5月号13) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
シルエットとデュエットの試用レポートをスクラップする。
どんな製品だったか始めの部分をスクラップする。
なるほど「花子は」3万本売れていたのか。知人にもユーザがいて「花子」で教養資料を作ったと言っていた。作品を見せてもらったが私には作れないと思った。私はドロー系の描画ソフトとは相性が悪く作品を一つも作れなかった。こうしたい、ああしたいと思っても花子でどうも上手くできなくてイライラしてストレスが溜まりとうとう使いこなせなかった。慣れるまでのハードルが高かった。
シルエットはドット単位の白黒イメージ編集ソフトだったので他のカラーイメージ編集ソフトがあったので全く関心がなかった。
この号の広告をスクラップする。
次に記事中の画像をスクラップする。
まあ取り立てて凄い点はなく普通のソフトだった。
次にデュエット。
登録葉書というところが懐かしい。昔はソフトを買うとユーザ登録葉書が添付されていてそれを送るとバグフックス版の送付、バージョンアップの案内などが来ていた。これを私たちはコピー防止策だと考えていた。登録して初めて完動品が送られてくるシステムなのだと考えていた。インターネットが無い時代ユーザの要望は葉書で届いていてそれを新製品開発に役立ていたのだった。ユーザが作者を育てるということがフリーソフトの世界であったが、それの市販ソフト版だった。
まずは広告をスクラップする。
なるほど、想定している利用者が良く分かる。確かに、需要はあったと思われる。
次に記事の図をスクラップする。
どんな製品だったか始めの部分をスクラップする。
なるほど「花子は」3万本売れていたのか。知人にもユーザがいて「花子」で教養資料を作ったと言っていた。作品を見せてもらったが私には作れないと思った。私はドロー系の描画ソフトとは相性が悪く作品を一つも作れなかった。こうしたい、ああしたいと思っても花子でどうも上手くできなくてイライラしてストレスが溜まりとうとう使いこなせなかった。慣れるまでのハードルが高かった。
シルエットはドット単位の白黒イメージ編集ソフトだったので他のカラーイメージ編集ソフトがあったので全く関心がなかった。
この号の広告をスクラップする。
次に記事中の画像をスクラップする。
まあ取り立てて凄い点はなく普通のソフトだった。
次にデュエット。
登録葉書というところが懐かしい。昔はソフトを買うとユーザ登録葉書が添付されていてそれを送るとバグフックス版の送付、バージョンアップの案内などが来ていた。これを私たちはコピー防止策だと考えていた。登録して初めて完動品が送られてくるシステムなのだと考えていた。インターネットが無い時代ユーザの要望は葉書で届いていてそれを新製品開発に役立ていたのだった。ユーザが作者を育てるということがフリーソフトの世界であったが、それの市販ソフト版だった。
まずは広告をスクラップする。
なるほど、想定している利用者が良く分かる。確かに、需要はあったと思われる。
次に記事の図をスクラップする。
特集プログラム言語は面白い(その2)(月刊ASCII 1988年5月号12) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
この号から始まった「特集プログラム言語は面白い」のスクラップの続き。
PC-9801VX2を買った後もしばらくはX1でCP/Mを使っていた。PC-9801VX2は一太郎とかいわゆるビジネスソフトを使いたくて買ったものでこの機械でプログラミングを楽しもうとは思っていなかった。そうはいってもBASIC+ハンドアセンブルの8086機械語で少しは遊んだ。PC-9801VX2をメインに使うようになったのはTURBO PASCALを買ってからだった。インラインアセンブラが使いやすくてと本末転倒だがPASCALでのプログラミングを楽しんでいた。TURBO Cが出てからはPASCALを使わなくなった。PASCALは行儀が良すぎて楽しくなかった。行儀の悪いなんでもできるCの方が楽しくコーディングできた。パソコンのメモリイメージを浮かべてコーディングでき、I/Oポートを気軽に叩けるのも楽しかった。なにより自分のプログラムが暴走して画面がめちゃくちゃになるのが良かった。
コラム記事をスクラップする。
C++を使い始めたのはいつ頃だったか。多分エプソンのPC-486GR3を買ってからだったと思うのでまだまだ先の話だ。重い処理系を使うには80286では力不足だった。
インストールにはフロッピーディスクを何枚も使わなければならなかった。
FROM THE EDITORIAL OFFICE にプログラミングについて記事があったのでそれをスクラップしてここに繋げる。
ティーorコーヒー(CorPascal)?
CとPascalは、パーソナルコンピュータ上の実用的な言語処理系として人気を二分している.そのため,一般的なプログラミングの解説書にも、どちらかの言語を使っているものが多く,これからプログラムを始めようという場合には,とくに決った言語を使いたいというのでなければ,CかPascalのどちらかを選ぶのがよいだろう.
ところが,CとPascalは,非常に似通った面も持ちながら,プログラム言語としての性格はかなり異なっているようだ。CとPascalどちらを選ぶかについて,考えてみることにしよう.
CとPascalではどこが違う
CとPascalの比較論は,すでにいろいろなところで言い尽くされ,書き尽くされた感があるが,ひとことでいって,Cが開発者の奥さんの名前に由来し,Pascalが哲学者の名前からとったというところに,すべてあらわれているともいえる.注a)
注a) Cは,Bの次の言語という意味で付けられたBは,AT&Tのケン・トンプソンがUNIXを記述するために開発した言語であるが,これはBCPLという言語の影響を受けており,これと彼の奥さんBonnieの双方の頭文字をとってBと名付けたものという.Cは,ミニコンピュータ用のオペレーティングシステムであるUNIXのシステムを記述するために作られ,発展してきたものであり,システムツールやアプリケーションの記述にたけている.一方のPascalは,プログラムの構造化を主眼に,きっちりとした言語定義にもとづいて開発された言語であり,教育用にも適している.大学の情報系の学科では,まず教えていないところはないといえる.つまり,Cはえらく実用的な言語であるのに対して,Pascalは規律正しい学術用の言語という句がする.
C → 実用的なプログラムの道具
Pascal → プログラムの勉強の道具
と書いてみることもできるだろう.CとPascalが似ている面としては,ともに構造化プログラミングを言語仕様の中に取り込んでおり,それ以前のFORTRANやBASICとは一線を画していること.また,ともに一人,あるいは非常に少数の人の手によって作られた言語であり,仕様が統一的でスッキリしている点もあげられる.
さて,実際のパーソナルコンピュータ用の処理系としては,最近とくにCの方が優勢となってきているようだ.Microsoft CやLattice Cはもちろんのこと,TURBO C,Let's C,Datalight Cといった低価格のコンパイラが次々に登場して、ほんの2~3年前とは比較にならないほど入手が容易になってきているし,Cを前提としたプログラミングのテキストや入門書も多数発売されてきている。一方のPascalは,TURBO PASCALという非常にユニークな処理系があり,これが,低価格で使い勝手がよく,8bit,16bitともに用意されており,品質の高い専用のソースコードライブラリなども発売されている.TURBO PASCALは,パーソナルなプログラム環境に多大の貢献をしてきたといえるが,一連のCに押され気味であるのも間違いない.
それじゃ,Cにしましょということになるかというと異論もある.先にも述べたように,Pascalは,最初から教育に向くことが開発意図の1つとしてあげられており,きっちりしたプログラムが自然に書けることで,入門者にはPascalをという人も少なくない.
ここでいう「きっちりした」とは,Pascalの考案者であるニクラウス・ヴィルトによれば,よくできた論文にたとえられるものであり,モジュールがパラグラフ,モジュール内のユニットがセンテンス,そして構文要素が単語に相当し,これらが構造化しているとともに完結した思考プロセスを表していることであるという.さらには,構文や型のチェックの厳しさがこれを補強し、理路整然とした,いかにも素性の正しいプログラムを生むというわけである.また,Pascalの開発目標の1つには,単純で使いやすく、効率的であることもあげられており,実際に,Cのセールスポイントであるシンプルさや,軽さに十分対抗できるものとなっている.
これに対して,Cは,確かに構造化プログラミングのための制御構造を文法的に持っており,関数によってプログラムをモジュール化できるが,Pascalのようにプログラムそのものを階層的に構造化できるわけではない.見たところ平坦な関数の集まりが,Cのプログラムである.また,Cでは現実の問題にあわせて論理性に目をつぶった部分も多いため,アセンブリ言語なみの細かい操作ができる反面,書き流していくと,簡単にだらしなく汚いプログラムが書けてしまうという面を持っている.つまり,
C → ちゃんとしたプログラムを書くには,それなりの配慮が必要
Pascal → 初心者でも比較的容易にちゃんとしたプログラムが書ける
といったところであろうか.しかし,逆にPascalでは論理性を追及するあまり,融通が効かないところがあると指摘されることも少なくない.もっとも,これは標準Pascalについての話であり,TURBO PASCALなどでは、実用的に十分な拡張がされている. 実際にMicrosoft C Ver.4.0とTURBO PASCAL Ver.4.0でプログラムを書いてみた.これは,スペースで区切られた数(整数表記)の列を1行読み込んで,その合計を出力するプログラムである(リスト参照).
ソースそのものは,Cの方がすっきりしているといえるだろう.また,#defineをはじめ,プログラムを手際よく行うための工夫がなされているともいえる.Cでは,mainから順にトップダウンに書いていくのが普通だが,Pascalではボトムアップになっているのも,おおいに趣を異にするところである.しかし,可読性についていえばPascalの方がまさるようだ。
Cのプログラム例は,ポインタを使ったコーディングとなっている.Cでは,ポインタを使った実行効率の高い記述と,Pascalの例と同じように配列だけを使って書くという2つの記述が可能だ。
さて,CとPascalのどちらを選ぶかは,やはり好みによるというところだろうか?ただし、勢いとしては、始めの方で述べたようにCが一種の流行となっているのは間違いなく,それがメリットにもなるだろう.
言語仕様としては,CがANSIの標準化を受け入れるものが多くなってきており、注b)定数や列挙型などで,Pascalの良い部分を取り込んできているようにも見える一方,TURBO PASCALは,このほど大幅な機能アップがはかられている.注c)また,Pascalの子孫ともいえるModula-2も注目を集めている.Modula-2は,Pascalの欠点といわれていた部分を,ほぼ全面的にカバーしており,Cより良いという人も少なくないようだ。注d)また,Cにもおもに制御構造を大幅に強化したC++という子孫がある.Modula-2ほどは普及していないが,まだ解説書や処理系そのものが少ないからだろう。注e)
(阿部 正浩)
注b) ANSI(American National Standards Institute)によるC言語の標準化案.プロトタイプや新しい形式の関数宣言,データ型などについて検討されている.最近のCコンパイラは,この規格案を積極的に取り込んでおり,ソースコードの信頼性が向上するとともに,コンパイラ間の移植も容易になってきている.
注c) TURBO PASCAL Ver.4.0については,この特集の中で詳しく紹介している。
注d) Modula-2は,1978年,ニクラウス・ヴィルトがLilithのシステム記述言語として作った.システムの全てがModula-2で書かれていることからもこの言語の現実的な仕様がわかる.また一方ではモジュールやコルーチンの概念の導入,gotoの廃止など,論理的整合性の方もPascalからさらに進んでいる.
注e) C++は,パーソナルコンピュータ用にADVANTAGE C++,Guidelines C++などが入手可能である.いずれも既存のCコンパイラのプリプロセッサとして実現されている.
PC-9801VX2を買った後もしばらくはX1でCP/Mを使っていた。PC-9801VX2は一太郎とかいわゆるビジネスソフトを使いたくて買ったものでこの機械でプログラミングを楽しもうとは思っていなかった。そうはいってもBASIC+ハンドアセンブルの8086機械語で少しは遊んだ。PC-9801VX2をメインに使うようになったのはTURBO PASCALを買ってからだった。インラインアセンブラが使いやすくてと本末転倒だがPASCALでのプログラミングを楽しんでいた。TURBO Cが出てからはPASCALを使わなくなった。PASCALは行儀が良すぎて楽しくなかった。行儀の悪いなんでもできるCの方が楽しくコーディングできた。パソコンのメモリイメージを浮かべてコーディングでき、I/Oポートを気軽に叩けるのも楽しかった。なにより自分のプログラムが暴走して画面がめちゃくちゃになるのが良かった。
コラム記事をスクラップする。
「パーソナルコンピュータ上の言語処理系のちかごろ
ソフトウェアという言葉は,コンピュータの世界を離れて一般的なビジネスの現場でも使われるようになった.床屋さんは,いい椅子や道具を使うのも大切だが,サービスの内容の方が大切であるというような場合にも,ソフトウェアが重要というような言い方があてはまる.
コンピュータにおけるソフトウェアの価値が急速に高まることになったのは,初期のコンパイラ言語が花開いてからのことであるという.そして,プログラム言語を中心とするソフトウェアの開発環境は、絶えず新しいものを求めて動いているのである。
パーソナルコンピュータでも,現在では,実に多くの言語処理系が提供されており,かならずしもミニコンやワークステーションを使わずに,さまざまなスタイルのプログラム言語に触れることが可能となってきている.具体的には,Cが流行で,Microsoft社とBORLAND INTERNATIONAL社のコンパイラ戦争をはじめとして、はなはだ賑やかな状態である.Microsoft CをはじめとしてMS-DOS,およびOS/2の標準コンパイラの位置を不動のものとしたいMicrosoft社に対して,TURBO PASCALで実績のあるBORLAND社が,昨年5月にTURBO Cを発売,同社がTURBOシリーズでBASICを発売したのも,単にQuickBASICに対抗するためだったともいわれる.
一方,プログラム言語の新しい方向としては,オブジェクト指向を中心に,具体的な処理系がいくつも発売されてきている.
たとえば,C++は,AT&Tベル研究所で開発された,Cの上位に位置する言語で,Cにデータ抽象の概念を取り入れた仕様となっており,オブジェクト指向プログラミングへの配慮がなされている.一説によると,ベル研究所内では,すでに実用レベルでこのCのスーパーセットが使い込まれており,“C”といえば“C++"のことを指すのだという.ANSIの規格案のいくつかの概念は,C++に採用されているものである.パーソナルコンピュータ用のものも比較的低価格で入手可能だ。
オブジェクト指向言語としては,あまりにも有名なのがSmalltalkである.Smalltalk-80は、その言語仕様とともに,マウス/ウィンドウオペレーション自身も同言語で記述されており,そのトータルな環境自身が話題となることが多い.Macintosh用に,Smalltalk-80が発売されているほか,8086系用には,Smalltalk/Vがdigitalk社から出されている.
Pascalをベースにした言語として有望視される向きもあるのがAdaである.言語仕様の中に,プロセスを制御する構文を含んでいたり,かなり大規模なシステムの開発を想定しているように見える.しかし,最近になって,80286向けのフルセットのAdaをalysys社が開発したと聞いている.パーソナルコンピュータにおいてもAdaが現実的な局面をむかえたのかと認識を新たにするしだいである.
データ抽象やオブジェクト指向については,また機会を見て説明しなければならないと思う.こうした概念は,いずれも「いかに安全なプログラムを生み出すか」という工夫であって,学問的な興味で高度なアーキテクチャを展開しようというようなものではない、あるいは,逆にこの種の議論は,話を聞いてみると“なんだそんなことか”といった受け止め方をする向きもあるかもしれない.しかし,ソフトウェアはそのような配慮を現在必要としているということでもある.いま,プログラムを書くのにどの言語を使うかといったら,実用に見合った処理系を使うのがよいということになるが,この種の新しい概念にも着目し,できれば触れておいて損はないはずである.
(松尾 有祐)
C++を使い始めたのはいつ頃だったか。多分エプソンのPC-486GR3を買ってからだったと思うのでまだまだ先の話だ。重い処理系を使うには80286では力不足だった。
インストールにはフロッピーディスクを何枚も使わなければならなかった。
FROM THE EDITORIAL OFFICE にプログラミングについて記事があったのでそれをスクラップしてここに繋げる。
プログラミングする?私が言いたいことがここにあった。そのとおりだ。特に「素人がわざわざプログラムを組むなんて、あまり意味がない」に同意する。これこれこういうことがしたいと思うとき、それをやってくれるソフトがあればわざわざ自作することはない。欲しいものがないからプログラミングするのだ。欲しいものが個人的で他の人たちは関心がないので誰も作っていないかもしくは発表されていない。だから自作する。私が作ったものでもそうだ。数人に見せておしまい。感想はいいねもあれば、君はそういうものに興味があるんだというものもある。ゲームをして楽しむ代わりにソフトを作り楽しむ。パソコン(当時はマイコンと呼んでいた)を買ったときもちろんゲームはあったが作った方が楽しかった。
コンピュータに触れるためには勉強が必要であり,コンピュータの勉強といえばプログラム言語を学ぶことである,というのが,つい3,4年前までの常識であった.
ところが,最近ではゲームソフトは言うに及ばず,日本語ワープロソフトも普及し,コンピュータはプログラムが組めなくても利用できる楽しいメディア,便利なツールということになってきた。少し昔ならコンピュータのディスプレイに表れる日本語のメッセージに「気持ち悪い」と言っていたプログラマーも,最近ではマンマシンインターフェイスを云々する.何が分かりやすいか,何が親しみやすいかということが,職業プログラマーの重要なテーマになりつつあるのだ。
こんな時代に素人がわざわざプログラムを組むなんて、あまり意味がないと思う読者も多いことだろう.いくら頑張っても,そう簡単にプロのプログラマーが作ったプログラムを越えられないというのが,常識である.
しかし,コンピュータがコンピュータそのものとして提供してくれる楽しさの究極に存在するのがプログラミングであるということに,変りはない。誰に気兼ねすることもなく,自分自身が作りたいようにプログラミングするという行為は、アマチュアだからこそ許される楽しみなのである.
プログラミング用の言語も,豊富にある.BASICも悪くはないが,CもPascalもある.英語が苦手ならば,Mindも悪くない。もしもプログラム言語に興味を持てない人であれば,MS-DOSのバッチやMultiplanのマクロでもいい。
自分で書いたプログラムが思いどおりに動いたときの感動は捨て難い.最近プログラミングしていない人,まだ経験のない人,今月号の特集をきっかけにプログラミングしてみてはどうだろうか?
(土田米一)
特集プログラム言語は面白い(その1)(月刊ASCII 1988年5月号11) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
この号から始まった「特集プログラム言語は面白い」をスクラップする。
プログラムが面白くてパソコンという趣味を始めたので何を今更特集していたのかとも思うが、何より懐かしいのでスクラップする。
全くその通りである。プログラミング自体が楽しくて、それも仕事とは関係ない部分スタンレー・フランケルがアークタンジェントの表を作るプログラミングに熱中してしまうのが良く分かる。誰かのために作るプログラムより、自分の興味のためのプログラミングの方が面白くてしょうがない。そして、それを誰かが使ってくれると幸せになる。
「人間が言語を使うのではなく,逆に言語に人間が使われているのである」まさにそうだと思う。ただ、天才は逆でアントニー・ホーアがクイックソートの概念を説明するときに再帰という概念があったPascalが登場して説明できたというようなことを読んだ記憶がある。私はアセンブラでレジスタの内容がアドレスを示すというポインタの概念を学んで、BASICにはそれがなくやはり初心者向けはダメだとか、ローカル変数がないことでこれは使えない言語だとしたが、BASICを使わざるを得ないときはBASICのコーディングを工夫して実現した。初めからBASICを使っていたらこれらの概念は知りえなかった。逆にBASICで1000行を超えるようななプログラムを作っている人を尊敬した。
まさにそのとおり。特に趣味でプログラミングをしていると早く完成させたいというよりコーディングを味わって完成させたいと思っていた。なんだか分からないが動くというプログラムが嫌いだった。人の書いたBASICを読むのは苦痛だった。BASICにはローカル変数がなかったので大きなプログラムを書くと変数名に困り、行き当たりばったりの変数名になる。関数の戻り値という概念がないのですべてグローバル変数であるのである変数がどこで書き変えられているか分からない。BASICから始めた人はループ変数をA,B,CとかにするのでFORTRANから入った者には物凄く違和感がある。構造化されていないBASICを物凄く嫌っていた。職場でプログラムを作ったときはASCIIに載っていたRATBASを入力してBASICを構造化して使っていたほどだった。
プログラムが面白くてパソコンという趣味を始めたので何を今更特集していたのかとも思うが、何より懐かしいのでスクラップする。
プログラム言語はなぜ面白いのか?確かに趣味でパソコンを買った人たちは皆プログラミングをしようと思ったに違いない。8bit機の頃、よく人にプログラム(Basic)を教えて欲しいと頼まれた。しかし、16bit機になった頃からはほとんど頼まれたことは無くなった。その変わりconfig.sysの書き方,autoexec.batの書き方とかソフトウエアのインストールの仕方やその使い方等技のようなことを教えてほしいと頼まれた。私は、最後までプログラミングを趣味としていたので言語は気持ちよくコーディングできるものとか動かして面白いものという観点で選んでいた。
プログラムを書いたことがありますか?という質問に対して、趣味でコンピュータをお持ちの方なら、少なくとも70%の人がYesとこたえるだろう。ここでは,そうした人も含めて,もう少しだけしつこくプログラム言語の面白さ,プログラミングの楽しさについて考えてみることにしたい。本誌では、この特集に続いて12回の予定でプログラミングについての連載を予定している.これは「病みつきになるほど面白いプログラム言語」の入門のすすめである.
プログラミングは、音楽に似ている。Cとかを始めて困ったのは中級者用の本がなかったことだ。初心者向けの本は知っていることばかりで次の段階に進もうとすると上級者用の本しかなかった。上級者とは仕事でプログラムを書いている人たち向けの本で、十分な知識を持っている人が理解できるのものばかりで、趣味のプログラミングをしている者にとって丁度いい知識が書かれている本がほとんどなかった。もう自分で苦労していくしかなかった。
現在の多くのパーソナルコンピュータには,BASICのシステムが付属している。それで、入門書を見て「簡単なプログラム」を書いてみましょうということになる.“my 1st program”とかいう文字列を画面に表示してみようというわけだ.
BASICのシステムはよくできているので,これは文字どおり簡単にいく.入門書には,「たいへんよくできました」という調子のことが書かれているに違いない.ところが,これは入門書のそれも最初の何十ページかのことであり,一度立って歩けるようになったら,誰も手を引いてくれず,振り返ってもくれないように感じられるのがプログラム言語の世界である.
こうして,言語の修得を断念してしまった人もいるのではなかろうか.まったくひどいといえば,ひどい世界である.
しかし,少しだけ弁護するならば,これもプログラム言語とプログラミングの本質的な意味を考えた場合には,あたりまえのことだし,やむをえないことなのである.
プログラミングは音楽に似ているという趣旨のことを述べているのは,Small talkの提案者のひとりであり,Macintoshのユーザーインターフェイスの設計者として知られるアラン・ケイだ.Scientific American誌のComputer Software特集の冒頭で彼は,コンピュータにとってのプログラムは,楽器にとっての楽譜であると述べている.そして,プログラムや楽譜がともに紙とインクで記述可能なほど単純なものでありながら,あまりにも多くのことがなし遂げられるということを述べている.注1)
注1) アラン・ケイ(AlanKay)は,大学時代にジャズギタリストとしても活動していたという.XEROX社のパロ・アルト研究所を経て,1984年5月までAtari社の主任研究者であり,この論文は,その直後に書かれたものとして興味深いものである.なお,この号は「サイエンス」誌の別冊“コンピュータ・ソフトウェア”となっている.まさにそのとおりであり,プログラムを書くことは,レコードプレイヤーを聴くことではなく,楽器を使って自分で演奏することなのである.この2つが,それぞれ異質の楽しみを提供することは,誰でも理解できるだろう.楽器を演奏できるようになるのは,少少たいへんだが,うまくできるようになったら、音の組み合わせやリズムはもちろん,さまざまな様式やモチーフが自分のものとなる.
そして,プログラム言語とプログラミングの持つ意味は,アプリケーションやアプリケーションによって構築されたシステム,あるいはプログラムを動作させるコンピュータのハードウェアそのものですら「限定的」であるのに対して,ほぼ「無限の空間」を擁することにある.たとえば,Wizardryでは,その舞台となるTrebor城の地下迷宮やキャラクター,モンスター,アイテム,呪文といったものが,1つの非常によくできた世界を作っているのは確かだが,プログラム言語であるPascalの世界は,Wizardryがそれで書かれているという事実を見るまでもなく,はるかに広範で,考えられるすべてのものを表現可能なのである.
おいしい蜜の部分の食べ方
実際のところ,プログラム言語によってこれほどのことができるとは,最初あまり多くの人は考えていなかった.
今日では,「お手」と入力したらディスプレイの中の犬が「お手」をするようなプログラムは,簡単に書くことができるということは誰でも知っている.写真1は,人間が指示をすると何らかの動作をし,「なでなで」するとその指示と動作の関連を覚えていき,最後には,「お手」も「伏せ」も「お回り」もできるようになるというプログラム犬である.注2)
注2) お気づきの方もいると思うが,この趣向は,MacintoshやAMIGA用に出ている「Puppy Love」のエッセンスを真似たものである.このゲームのキャミッチフレーズは、"Artificial Intelligence for Dogだとか.そもそも、最初のコンピュータがENIAC(Electronic Numerical Integrater and Calculator)という,ソロバンの親方のような名前で登場したために,「コンピュータ=数値の計算」という考え方が定着してしまったのかもしれない注3)当時の高名な学者には,そんなに速く計算できる機械は,世界に十台もあればいいといった人がいたという話もある.
注3) 実際にENIACは,基本的には名前のとおり古典的な機械式計算輪を電子化したようなものであった.コンピュータが汎用マシンとしての可能性を切り開くのは,プログラム内蔵方式を採用したEDSAC(Electronic Delay Storage Automatic Calculator)やEDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Calculator)からである.この時点で,コンピュータは数値データだけでなく,プログラムの命令という不可思議なものを扱いはじめたのである.ところが,プログラム言語によって,簡単なプログラム犬ばかりではなく,Wizardryの“Proving Ground of the Mad Overload"(気の狂った大君主の領土での試練)や人間がやると煩わしかったりえらく時間がかかると思われるおよそあらゆる作業,最新のAI分野では,コンピュータが認識している概念を人間に把握させることによって問題を解決しようという手法さえ考えられているのである.
ともあれ,プログラム言語とプログラミングによって,我々は,コンピュータが万能機械であるという本質的な意味でこの面白さに触れることができるのである.cこれは,いわば蜜の部分とでもいうべきものだ.これを食べないのも勝手だが,もっともおいしい部分であるのも間違いなさそうである.
「ご冗談でしょう,ファインマンさん」注4には,次のようなほのぼのとしたエピソードが出てくる.1940年代前半,アメリカのロスアラモス研究所では,マンハッタン計画が進行中だった。その頃は,まだ手動式計算機が使われていたのだが,スタンレー・フランケルという男が,当時IBMが作っていた加算機や表作成機を組み合わせて一種のコンピュータを作った.これによって,作業は非常に効率的に進みはじめたのだが,作業の監督をしてい。たフランケルは,このコンピュータを使って,本来の問題とは何の関係もないアークタンジェントの表を作るプログラミングに熱中してしまう。その結果作業は停滞してしまい,ファインマンは監督の仕事を引き継ぐことになるのである.ファインマンはフランケルを「世界最初のコンピュータ病患者」と呼び,監督にあたってはこれにとりつかれないように心したというのである.フランケル氏のプログラムのほどは分からないが,プログラミングとはそのようなものなのである.
注4) 「ご冗談でしょう,ファインマンさん」(岩波書店刊,R.T.Feynman,R.Leighton著,大貫昌子訳)
全くその通りである。プログラミング自体が楽しくて、それも仕事とは関係ない部分スタンレー・フランケルがアークタンジェントの表を作るプログラミングに熱中してしまうのが良く分かる。誰かのために作るプログラムより、自分の興味のためのプログラミングの方が面白くてしょうがない。そして、それを誰かが使ってくれると幸せになる。
パラグラマチックなもの
プログラム言語とプログラミングの面白さのもう1つの局面は,プログラム言語やプログラムソースそのものについてのこだわりのようなところにある.
初期のプログラム言語は、マシンを操作するための単なる命令コードの集まりであった.それも,1950年代までは,いわゆるマシン語によるコーディングである.もっとも,当時の計算機は命令数も少なく、10進表記が中心であったなど,それほど難しいものではなかったようだ.その後,FORTRANやCOBOLといった初期のコンパイラ言語が登場し,1960年頃までに,数理言語学などのアプローチがさかんになり、プログラム言語そのものが自然言語を含めた言語理論の中で体系化されていく、さらには抽象化や術後論理といった概念が、プログラム言語に取り込まれていくことになるわけである。
こうして,プログラム言語には,非常に幅広く,さまざまな方法論を持つものが用意されるようになった.
プログラム言語は,もはやコンピュータというハードウェアを操作するための命令コードの集まりではなく,マシンから独立した,個々の言語が持つ思考空間を実現してみせるシミュレーションソフトウェアとしての意味あいを持つようになってきている(図2)。
プログラマは,これらを使ってプログラムを書くことができるばかりではなく、それらの言語を共有し,そのプログラム言語が織りなす世界の可能性について考え,語ることもできるのである.
CにはCの,LispにはLispの,あるいはPrologにはPrologの表現や認識のしかたと思考のフレームがあり,その中でプログラムは書かれることになるわけだ.
たとえば,数人の容疑者がいて,いくつかの証拠やアリバイが提供されていて,犯人を推理していくようなプログラムは,Prologなら入門用のサンプルプログラムのたぐいであるが,CやPascalでそれらしいものを書くとしたら,まるで違う発想で書くことになるだろうし,ちょっとした労力を必要とするに違いない。注5)
注5) 論理プログラミングならではの楽しい問題である.TURBO PROLOGのマニュアルのサンプルプログラムとして、4人の男女がいて,被害者の死因,被害者を含めた愛憎関係,動機や所持品,また常識的な知識の一部として所持品と所持品で危害を加えた場合の死因との対応関係などが与えられ,いくつかの推理を働かせるという50行ほどのプログラムが掲載されている.もっとも,これはPrologの機能としては,基本的なユニフィケーションの動きを見るためのものである.ところで,こうしたプログラム言語の面白さは、普段こうして使っている言語の面白さと同じものである.簡単な言葉遊びから分析哲学者がいっているようなことまで,プログラム言語についてあてはめるとピタリときてしまう.注6)たとえば,人間が言語を使うのではなく,逆に言語に人間が使われているのであるといった考え方は、そのままCを使っているはずのCプログラマが,実はC言語に使われているということを意味している.
注6) ミッシェル・フーコーの言語に関する議論など、人間が言語を……はもっとも新しい考え方の1つといえる.Cプログラマが,エラトステネスのふるいについてどのようなプログラム(ソースコード)を書くかについて,Cはあらかじめ知っていて、はじめて分かったようなふりをしてみせるだけである.一方,言語を批判する立場もあり,ヴィトゲンシュタインによれば,言語によって語られるものは,あきらかに語られうるものであり,語ることのできないものについては沈黙しなければならない.では,現在パーソナルコンピュータで使う(使われる)ことが可能な言語としてはどのようなものがあるだろうか.おそらくこれは,次の3つに分類して考えた方がよさそうである.
a. 入門/または簡単なプログラム用
b. アプリケーション/ツールの開発用
c. プログラミングの研究用
aは,文字どおり入門用やちょっと思い付きで書いてみる類のプログラムのための言語であり,これからプログラミングをはじめようという人には,興味のあるところだろう.bは,具体的なアプリケーションやオペレーティングシステム上のツールを書くための言語である.そして,cは,プログラム言語やコンピュータサイエンスに関する新しい概念について考えたい人のための言語といえる.これらについて,図3に示してみたので参考にしてほしい.
「人間が言語を使うのではなく,逆に言語に人間が使われているのである」まさにそうだと思う。ただ、天才は逆でアントニー・ホーアがクイックソートの概念を説明するときに再帰という概念があったPascalが登場して説明できたというようなことを読んだ記憶がある。私はアセンブラでレジスタの内容がアドレスを示すというポインタの概念を学んで、BASICにはそれがなくやはり初心者向けはダメだとか、ローカル変数がないことでこれは使えない言語だとしたが、BASICを使わざるを得ないときはBASICのコーディングを工夫して実現した。初めからBASICを使っていたらこれらの概念は知りえなかった。逆にBASICで1000行を超えるようななプログラムを作っている人を尊敬した。
美しいものとの出会いについて
プログラマの世界では,しばしば美学的表現が使われるのをすでにご存じのことと思う.著名なソフトウェアの開発者のインタビューを集めた「実録!天才プログラマー」注7)を読んでみても,すぐれたソフトウェアの多くには,アルゴリズムやそれを実現するソースコードについての美学的執念によって支えられ,生まれてきたのではないかと思える箇所がいくつもある。
注7) 「実録!。天才プログラマー」(アスキー出版局刊,マイクロソフトプレース編,岡和夫訳),原題“Programmers at WorksXEROX社のパロ・アルト研究所で先駆的な対話型エディタ/整形系Bravoを開発し,Microsoft社でMultiplanからExcelにいたる人気ソフトウェアを開発しているチャールズ・シモニイは,効率のよいアルゴリズムをつかむのは科学だが,プログラムの構造を描いていくのは芸術だと述べている.また,誰かが彼のソースコードを読んだとしても,すぐに彼のだと分かるともいっている.これは単に,彼の仲間が「ハンガリアン」と呼んでいるシンボルのネーミング法についてのことなのだが,明らかなスタイルとソースコードのリスティングについての美学を持っているのは間違いない.
プログラムの美しさについての考え方は,プログラミングをやっていく上で,もっとも重要なことの1つかもしれない.実際のところ,美しいプログラムがコンピュータのメモリ上で壮大な舞踏会のように秩序だって動作するのを想像することは、はなはだ気持ちのよいことであり,あるいはまた,まっ白いフォーム用紙の上にタイプフェイスで印字されたプログラムリストの行の頭が揃っているのは,心を洗われる思いがするほどである。
ところで,この美しさに関連して,入門用の言語として頻繁に使われているBASICがしばしばヤリ玉に上がる。
もっとも有名なのは,構造化プログラミミングの提案者であるエジセル・ダイクストラによる批判である.構造化プログラミングとは、順次処理,選択処理,繰り返し処理の3つのプログラム構造だけで手続きを記述すべきであるという考え方であり,Goto-lessプログラミングともい呼ばれるものだ.ダイクストラによれば,BASICに馴染んだ学生にまっとうなプログラミングを教えるのは不可能に近いという。BASICによって思いつくまま書かれたプログラムは,ちょうどこんがらがったスパゲッティの玉のようなもので,苦労してとりあえず動くようなことがあるとしても,書いた本人にも説明のつかないような代物であるというのだ.
まさにそのとおり。特に趣味でプログラミングをしていると早く完成させたいというよりコーディングを味わって完成させたいと思っていた。なんだか分からないが動くというプログラムが嫌いだった。人の書いたBASICを読むのは苦痛だった。BASICにはローカル変数がなかったので大きなプログラムを書くと変数名に困り、行き当たりばったりの変数名になる。関数の戻り値という概念がないのですべてグローバル変数であるのである変数がどこで書き変えられているか分からない。BASICから始めた人はループ変数をA,B,CとかにするのでFORTRANから入った者には物凄く違和感がある。構造化されていないBASICを物凄く嫌っていた。職場でプログラムを作ったときはASCIIに載っていたRATBASを入力してBASICを構造化して使っていたほどだった。
プログラム言語入門のために私は8bit機からプログラミングを始めたのですぐさまZ80でハンドアセンブルしながらマシン語を入力していた。アセンブラが欲しくて雑誌に載っているアセンブラを機械語入力したが、テンキーを0~9とA~Fに割り当てるプログラムをまず入力するというありさまだった。CP/Mを買ってMACRO80を買ってアセンブラでプログラミングした。BASICのコーディングよりもよっぽど楽しかった。
さて,プログラム言語やプログラミンングは,「病みつきになるほど面白い」かどうかというと,実は人によって少々事情は異なってくるかもしれない.ここまで述べてきたような「面白さ」を了解できる「器量」が必要かもしれない.2分の1ほどでも理解できるならば,プログラミングを始める価値は十分ある.
そこで,ではどのようなプログラム言語をやろうかという人もいるだろう.現在パーソナルコンピュータで使用できる言語は,先に述べたように3つほどのグループに分けることができる.
入門用には,BASICやLogoが良いとされてきた.BASICはもともと,1964年にダートマス大学で,対話型で使用できる入門用言語として開発されたという経歴を持つ素人でも試行錯誤しながら,プログラムができるというわけだ。その名も“Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code"からきている.一方,Logoも最初から教育用,それも子供が思考方法を学ぶために設計された言語であり,Apple IIcの入門キットなどではLogoを勧めていた.
しかし,もう少し前向きにプログラミングを楽しみたいのなら,BASICなどよりも,CかPascalを選んだ方がよいかもしれない.ともに,統一された言語仕様の上に設計されており,また,そのままアプリケーションやツールの開発用言語として使っていける.難をいえば,BASICに比べて少々とっつきにくい点があるが,低価格で性能の良いコンパイラも登場してきた.
また,具体的なアプリケーションの開発というよりも,プログラム言語そのものやコンピュータサイエンスに興味のある場合には,LispやPrologの処理系も比較的入手しやすくなってきている.Lispは,1950年代に開発された非数値データを扱うための言語であり,自然言語をはじめとする人工知能の研究の過程で生まれてきた言語である.一方,Prologも人工知能分野で注目を集めている言語であり,順序だった手続きではなく,論理と推論をベースとする非手続き型の言語である.
また,Smalltalk-80やAdaといった比較的新しい処理系も,すでにパーソナルコンピュータにインプリメントされているほか,FORTHやAPLなどのユニークな言語処理系にも熱烈な支持層がある.
最初にも述べたように,本誌では,次号以降プログラミングについての12回にわたる連載を予定しているが,その中で,一般的なプログラミングについての情報とともに,これらの処理系についても少しずつ触れていくつもりである.