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台湾香港パソコン事情(月刊ASCII 1988年12月号9) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特別読物として「亜州新興工業国電脳事情」があった。
34年前台湾がどうだったのかは貴重な資料となるのでスクラップする。記事を読んで日本がどうしてダメになったのかを考える資料となるだろう。
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世界に飛翔する4匹の龍
 NIESとは新興工業経済地域群の略称で,今年6月のサミットにおいて命名された地域のことである.以前はNICSと呼ばれてメキシコ,ブラジルなどのアジア以外の新興工業国も含まれていたが,NIESと呼称を変えてからは韓国,台湾,香港,シンガポールの4地域を指す。アジアに集中していることから「4匹の龍」とも呼ばれ,サミット出席国にとっても容易ならぬ存在に成長したわけだ.
台湾はNIESの長兄格で,NIESの貿易黒字の大半を占める.黒字解消策として世界最大の金の輸入国となっているが,それでも「焼石に水」.
 台湾は1971年に国連脱退後,日本,米国とも外交関係断絶.現在外交関係にあるのは韓国,サウジアラビアをはじめ23カ国にすぎない。この外交関係を埋め合一わせているのが経済力である.また,現在米国に在住する台湾系中国人は約30万人.そのうち5000人が博士号を有し,外国人としては最大の頭脳集団だ。これらの人的交流が台湾の地位を押し上げているといっても過言ではない.
 香港とシンガポールは典型的な都市国家である。領土が狭く,資源も持たないので,貿易や金融によって発展した.特に香港は中国からの期限つきの租借地で,1997年の返還を控えて企業や個人の動きが慌ただしくなっている.すでにいくつかの企業は海外に資産を移し,昨年1年間で約2万7000人が国外に移住している.中国は現在の香港の役割を重視,返還後も香港を経済力強化の推進剤とするために50年間は中国本土とは隔絶した経済特別区として現状を維持する方針だ。
 韓国は、朝鮮戦争においてその全土が戦場となった.破壊された産業基盤を立て直すために,政府が計画的に産業助成策をとり,奇跡ともいえる復興を成し遂げた。このため、開発途上国から希望の星として注目されている.

34年前のことすっかり忘れていた。読むと台湾がこの後も力を付けていったのは納得できる。「黒字解消策として世界最大の金の輸入国」だったとは知らなかった。私は、雑誌を買ってもろくに記事を読んでいなかったのか。台湾と比べ香港、シンガポール、韓国の評価部分が空虚だ。そんなものだったのか。
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コンピュータ特産地
 最近は,秋葉原でもNIES製のパーソナルコンピュータが目立ってきた。特に台湾はIBM PC互換機の世界最大級の生産拠点に成長し、昨年度の総生産台数210万台は日本のパーソナルコンピュータのそれをわずかながら上回っている.現在,台湾にはマザーボードや周辺機器メーカー等を含めて数100社のコンピュータ関連メーカーが乱立している。必然的に価格競争も激しく、「世界一安い国」が生まれたわけだ.国内のシェアはトップのACERが35%を占めているものの、上位の5~6社でやっと過半数を確保という激戦状態だ。
 ACERは現在月産4~5万台に達し,日電のPC9801シリーズの生産能力(年間60万台)にも匹敵する.2,3位のMITAC,DTKを含めると、台湾の生産の半分近くを占めるという.
 台湾のメーカーは日本との取引にも意欲的だ。コンピュータ業界団体TACと台湾の貿易推進団体CETRAの主催で,9月には東京と大阪で台湾メーカー10社が参加する展示会も開かれた。
今回は台湾のコンピュータメーカーの上位3社を訪問し,台湾のコンピュータ事情を探ってみた。

ガラパゴス化した日電のPC-9801が年間60万台の生産能力なら、日電はガラパゴス化で生き残れるだろうが、他社は絶滅しても不思議ではない。この時点で他社の生きる道は台湾のようにIBM PC互換機しかなかった。

台湾ナンバーワンのACER
 ACERが設立されたのは12年前,ちょうどアスキーと同じ時期である.このころにマイクロプロセッサが製品として出始め,新しい分野が開かれようとしていた。日電がTK-80という8080のトレーニングキットを発売したのもこの頃だ。
施社長:ACERの最初の製品は、「マイクロプロフェッサ」という名前の,マイクロプロセッサのトレーニングキットです。
 日電がTK-80から現在のPC-9801シリーズに成長してきたように,ACERも「マイクロプロフェッサ」から現在主力のACER900,1100シリーズへと発展し,ついには昨年の米国での販売実績第5位に食い込むまでの企業に成長した.
施社長:現在の会社を設立する5年前に,日本のある会社からマイクロプロセッサを使った機器の開発を依頼されました.このような仕事を手がけている間に,米国でマイクロプロセッサをコンピュータとして組み上げる会社が続々と現れました.コンピュータ市場がビジネスとして動き始めたので,これを期にACER(当時の名称はMultitech)を設立したのです.
 設立当時の資本金は2万5000米ドル,11名の社員からスタートし,現在ではACERグループの総資産1億4700万米ドル,社員約4000名にまで急成長をとげた.ちなみに,グループ内における開発部門の人員は560名,その内約半数が修士号を持ち,10名の博士を擁している。昨年のIBM互換機の出荷台数は26万台(OEMを含む)、今年はさらに増産体制をとっており,年商700億円を予定している.今や台湾のトップメーカーとして,出版や技術製品の貿易業務にも手を伸ばしている。また,直接的な生産活動だけでなく,さまざまな啓蒙活動にも力を注いでいる.
ASCII:ACERは国際コンピュータ囲碁大会を主催していますが,このコンテストを始めた動機は?

施社長:この大会は,ACERが世界中に持っている5カ所の支社を中心に行っています。世界中の各地で開催する大会は雑誌などの媒体に紹介され,ACERの名を人々に印象づけることができます。
 次に,人工知能への啓蒙活動です。囲碁のような適切な話題を提供することで人々が関心を寄せ,技術の進展を促進します。

 ACERは昨年高雄市に於て,1000台のコンピュータを1カ所に集めたセミナーを開いた.このセミナーには小学生から社会人まで1週間で10万人が参加した.これは一般家庭にコンピュータを知ってもらうために催したものだ。
 続いて,マーケティング部門担当の李副社長に現在の動向をうかがった.

李副社長:ACERがいま力を入れているのは、ACER1100と900シリーズです.CPUに各々80386と80286を採用した(IBMPC/AT互換)機種です。
 台湾国内で販売しているのは中文機能を追加したモデルで,輸出品とは異なります。日本へはJEGAボードを組み込んだAX仕様のモデルを輸出しています。

 ACERの製品は、米国とヨーロッパに各々35%,台湾国内が10~15%,残りの10%程度がその他の国へ輸出される.日本への輸出はまだわずかだが,日本エイサーの活動が本格化したばかり、最近問題となっているメモリチップの品不足で、日本でのAX機の出荷を予定より3カ月延期した経緯がある.
李副社長:品薄な種類のメモリチップの使用を避け,入手が容易なタイプのメモリチップに合わせて設計変更しました。日本への出荷も6月の予定がメモリチップ不足で9月に延期しましたが,すでに(設計変更などの対策の結果)8月中に出荷を開始しています.しかし,このメモリチップの品不足のため、今年の売り上げが予定より20%近く下がっています.
米国や日本では,パーソナルコンピュータの上位に位置するワークステーションという市場が立ち上がりつつある.すでに高機能のパーソナルコンピュータとワークステーションとの境界が曖昧になっており,ACERも386や486マシンを投入する計画だ。「この領域がシェアを伸ばす好機」(李副社長)と見ている.
ACERの歴史が分かるインタビュー記事だった。それに付けても高学歴の社員が多い会社であることに今更ながら感心した。
「メモリチップ不足」今ならRAM不足、半導体不足か34年前からあった普通の出来事だ。
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老舗の実力者 MITAC
 MITACは1974年にIntelの販売代理店として出発した.1976年には中国語端末(商品名「漢通」)を発表し,コンピュータメーカーとしての基礎を築いた.台湾のコンピュータ業界では老舗である.1981年からIBM PC互換機の生産・輸出にも本格的に取り組み,現在月産2万台.年商は年率50%増加し,今年度は470億円を予定している。
 MITAC国際マーケティング部門の李副支配人にお話をうかがった.

李副支配人:MITACの代表機種はIBM PC互換機のパラゴンです.XT相当のパラゴン88,AT相当の286,最上位機種の386があります.PS/2互換の機種も開発しており,最下位のモデル30相当の1000Lを昨年の11月に発表しました。日本のAX規格に対応した機種も、来年の6月に発売を予定しています。
 また、CPUに80386を採用したマルチ「ユーザー/マルチタスクのシリーズ300もすでに出荷しています.これはOSにXENIXを載せたマシンで,3月に西ドイツの国際見本市で発表しました。

 パラゴンシリーズはヨーロッパで評判がよく,国際見本市ハノーバメッセにおいて工業デザイン賞「if Hannover88」を受賞している。
 コンピュータのユーザーとして,参考までに価格をたずねてみた.対象として,日本のPC ATともいえるPC-9801VXと同等の製品を推薦してもらった。

李副支配人:それに相当する機種は,ラゴン286です.解像度が640×400で16色以上のグラフィックスを表示するとなると,VGAカードを組み込んだ286Vという機種が最も近い仕様になります。さらにこの後ろに,EnhancedのEを付けた286VEという機種はCPUのクロック周波数を16MHzに上げているので、処理速度は386に匹敵します。
 台湾は世界中で最もパーソナルコンピュータの安い国です。このベースモデルも3万8000台湾ドル(1台湾ドルは約4.6円.日本円換算で約18万円)です。まだ日本ではIBM互換機の市場が小さいので,台湾よりもかなり高いようですね。しかし,これも市場が大きくなれば競争原理によって下がるでしょう。もしそれまで待てないのならば(台湾で)買って帰ってはいかがですか?

ASCII:ええ,航空運賃7~8万円をいれても台湾で買う方が安いでしょうね.でも、買って帰った場合のアフターサービスが心配なのですが?
李副支配人:アフターサービスは本来は販売店が窓口になります。残念ながら,今のところ故障した場合には,直接台湾に送ってもらうことになるでしょう。
 日米半導体協定によるメモリチップの品不足はメーカーとして頭の痛い問題だが,それ以上に日本の対米貿易摩擦に注目している。
李副支配人:メモリチップはほとんど全部日本から買い入れていますが,確保には大変苦労しています。日米間の貿易摩擦からこのような事態が発生したわけですが,日本に続く対米貿易黒字国の我々台湾も,日本の二の舞にならないように慎重に行動しなければなりません。 この「対策として、台湾では米国の圧力をかわすため、昨年からヨーロッパの市場を開拓しています。
 日本はいま米国に制約を課せられ,後ろからは台湾をはじめとしたNIESに追い上げられている.日本のメーカーは,いままで日本が得意としていた工業製品の市場をNIESに奪われることを懸念しているが,台湾のメーカーも上を突き崩すことばかりに専念してはいられない.
李副支配人:実は我々台湾のメーカーも,日本と同じ立場にあります。日本や台湾から学んだ技術で、香港やシンガポールなどがどんどん追い上げており,我々の脅威となっています。
そう言いながら,李副支配人は追いかけられる立場になった困惑を楽しんでいるようにも見えた。
なんとこのときの半導体不足、RAM不足は日米間の貿易摩擦が原因で作りたくても作れない事情があったのか。
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急成長をとげるDTK
 DTKはOEM主体のメーカーで,米国のIBM PC互換マザーボード市場で10%のシェアを占める.マザーボードが月産10万台,互換機が同じく3万台の実績を持ち,台湾国内の互換機市場ではNo.3のコンピュータメーカーである.
 台湾のコンピュータメーカーの社長は皆若いが,DTKの慶社長も32歳.1981年に4名で会社を設立,以後毎年の成長率が100%を越え,今年度の年商が200億円を突破する見込みの超優良企業である.

廖社長:当社の出荷の55%が米国,ヨーロッパが30%,台湾国内が5%,その他の国への輸出が10%です。日本へもあるメーカーにOEMで納入しています。すでにIBMのPS/2に関するライセンスを取得しており,開発も進めています。
IBM PC互換機に欠かせないのが,ASICチップセット,IBM PCの数十個のICの機能を数個で置き換える専用のLSIだこのチップセットのおかげで製造コストを著しく抑えることが可能になり,互換機市場ができたわけだ。
廖社長:ASICチップセットは,日本の沖電気のものを使っています.その他のICは米国のメーカーのものですが,米国本国からではなく,シンガポールや香港から調達しています。ICの80%を海外から調達しているので,最近のメモリチップの品不足は最大の関心事です.
 互換機でもう1つ重要なのが、MS-DOSとハードウェアの間で基本的な操作を行うBIOSと呼ばれる基本ソフトウェア(ファームウェア)だ。BIOSには著作権も絡むため,互換機の出始めた初期には、IBMと互換機メーカーとの間で裁判ざたまで起こった.最近では,新たにプログラムを書きおこし,IBMの著作権に抵触しないBIOSを開発する専門のソフトハウスまで出てきている。互換機メーカーでは著作権の問題をクリアするために,このようなソフトハウスからBIOSを購入するのが一般的だ.
廖社長:DTKではハードウェアの他に自社でBIOSも開発し、他社にも供給しています。
 台湾では私のように30代の若い世代がコンピュータ関連の会社をたくさん作っています。主にハードウェアメーカーが中心ですが,日本ではどうですか?

ASCII:日本でもやはりマイクロコンピシュータの発展期に興味を持った世代,即-ち30代前半の層がソフトハウスをたくさん作っています.しかし,コンピュータ本体は総合電気メーカーがすでに市場を押さえており、ハードメーカーを新たに作っても入り込む余地は少ないです.
廖社長:台湾では日本のような巨大なハードメーカーが少ないため,我々のように若いものがコンピュータメーカーを作っているのです。米国の優れたソフトが大量に入っているため、台湾のソフトハウスがこれと競合するソフトの開発を行うのは得策ではありません.台湾のソフトハウスは米国製の既存のソフトと競合しないような中文化を中心とした業務に集中しています。
 今回取材した台北の電気街では、米国製のゲームで遊ぶ学生をよく見かけた.台湾では小学校から英語を教科として取り入れており,英語のコンピュータソフトでも何ら違和感なく使いこなせるようだ。台湾でのコンピュータはIBM PCが圧倒的なシェアを有しており,米国をはじめとする英語圏のソフトがそのまま使えるため新たに自国でソフトを開発する必然性があまりない.この傾向は会社で使われる業務用ソフトに限らず,ゲームソフトにまで及んでいるわけだ。
なるほど、日本ではパソコン本体を作る大企業が先行して競争の結果PC-9801の天下となり、ソフトハウスもPC-9801用を作れば商売になるという環境になってしまった。そのため米国製の英語ソフトが入ってこれなかった。日本語に対応しないと、日本製の類似ソフトに敵わない。英語のゲームだってそう。日本語のゲームが売れるのでどんどん競争が進みすっかり日本製のゲームで遊ぶため英語のゲームをあえて遊ぶ時間などなかった。
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香港については企業の記事がなかった。
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ブレードランナー的近未来都市
 香港は中国大陸の南側に位置する九龍半島と,その先に浮かぶ香港島からなる、香港島の官庁街セントラル地区には、根元が細くなった英国海軍省のビルをはじめとしてユニークな高層ビルが並ぶ一方の九龍側は空港があるため,建造物の高さを制限している。工場などは九龍側に集中し,内陸部にはコンピュータメーカーの工場もある.九龍の通りには辛うじてバスが通り抜けられる高さまで看板がせりだす。近代的な高層ビルと看板の群れの対比は、映画「ブレードランナー」の舞台となった未来都市を連想させる。
 香港といえば買物と料理が人気の的.パーソナルコンピュータも日本よりはずっと安く、旅費を出しても割安な商品の1つだ。輸出入に関する規制が非常に緩やかな自由港なので,韓国,日本などの製品が本国よりも安い。香港にもコンピュータのメーカーはあるが,数は多くない.そこで台湾とは趣を変えて、実際のパソコンユーザーへの取材を行った.

以下スこの特集のクラップは省略する。

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