SSブログ

バグの語源、ダイ・ハード、編集室から(月刊ASCII 1989年1月号9) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

Hortense Endoh氏の連載記事「近代プログラムの夕ゆうべ」が面白いのでスクラップする。
ASCII1989(01)h01バグの語源_W520.jpg
“バグ”の語源をめぐる考察
いったい誰がそう呼んだのか?
 プログラマの天敵といえば,なんといってもバグである.バグが天敵なのだから,プログラマもなんらかのバグということになるのか?解釈はいろいろと可能だ。
 あるいはまた,バグは“発見”されることで,いくばくかの“可愛らしさ”を持っている場合がある.最初は,“悪戯”の痕跡が発見され,次にバグの本人(?)が発見されることが多い.発見されたときに食事中であったり、セッセと活動中に「おいおい」と声を掛けると,ヒッと肩をすくめながら振り返ることもある.
 見方によっては,プログラミングはプログラムをめぐってのプログラマとバグのゲームのようでもある
 さて,どうしてこんな話を始めたのかというと,この「バグ」という,普段なにげなく使っている言葉の語源について知りたかったからだ。なんとなれば,その語源について「チップに組み込め!」(草思社刊,T.R.Reid著,鈴木主税/石川渉訳)という本に次のようなくだりがあるからだ。
…また真空管の熱とほのかな光にひかれて蝶の群が集まってきた.これが「エニアック」の内部を飛びまわっては回路をショートさせた。それ以来,コンピュータ・プログラムの誤りを取り除くことを「デバッギング(=虫とり)」と言うようになったのである.  お分かりのとおり,これは最初の汎用デジタルコンピュータとされるペンシルベニア大学のENIAC注1)の動作状況を説明したものだ.「なーんだ,これは面白いや」ということもできると思うが,本物のENIACが動作しているところを見たという人には滅多にお目にかかれないし,これは少々できすぎた話ではないかというのが,私の見解だ.
注1)“Scientific American"(日本版は「日経サイエンス」)誌に先頃掲載された記事によると,最初のデジタルコンピュータは,JohnV. AtanasoffのABC(Atanasoff-Berry Computer)であるという.もっとも,1930~1940年代にかけては,多くのグループがコンピュータの研究開発をすすめており,戦火で消失したドイツのKonrad Zuseのマシンなども含めて混沌としている.ABCは,多元連立方程式を解くためのマシンであり,プログラム可能な汎用マシンという点では,依然としてENIACやイギリスのColossusと解釈できるようだ.
 だいたい,この「チップに組み込め!」という本は,集積回路の発案/開発者(ジャック・キルビーとロバート・ノイス)についてのノンフィクションであり,このくだりはモノシリック・アイデアと呼ばれる現在の集積回路の基盤となる思想がインスピレーションされるまでの説明の部分であり,1万8000本の真空管を擁したENIACには分が悪い.アメリカ陸軍がENIACを借りて弾道計算に使ったというのは,あまりにも有名な話だし,その真空管が次から次へと切れてしまい往生したというのも伝説的となっている.しかし、だからといって,戦が寄ってきてそれを取るのがデバッグだなんて聞いたことないぞっ!そんなことなら,直径1mの巨大な誘蛾灯なり,大量の殺虫剤散布なりで十分対応できたはずではないかっ。
 こういうのもなんだが,この種のアメリカ製の「よくできた話」には,えてしてガセネタが多いということが,経験上明らかとなっているのだ.

グレムリンとバグ
 とはいったものの,これといった見当があるわけでもない.まずは,辞書をひいてみることにする.「総合コンピュータ辞典」(共立出版),「コンピュータ用語辞典」(講談社ブルーバックス)など,ひととおり紐解いてみたのだが,その語源までとなると,あまりピリッとした解答は得られない.アメリカのコンピュータ事典では,“Computer Dictionary"(Howard W.Sams & Co.,Inc),“Barnes & Noble Thesaurus of Computer Science"(Barnes & Noble Books)といったところを調べてみたのだが,どれも日本のコンピュータ事典と同様,実に真面目にバグとはどのようなものかを説明してくれているだけだ.
 やはり,辞書でそこまで知ろうというのが虫のいい話なのか?と思ったところが,Encyclopedia of Computer Science and Engineering” (Van Nostrand Reinhold Company)に面白い記述を発見した.次の部分だ.

 The term arose during World War II, in connection with electronic testing, as an outgrowth of "debug" which was a synonym for “troubleshoot.” The earliest computer programmers, who were frequently the designers and builders of computers, transferred the term to its present usage.

 たしかに,第2次大戦中,つまり,ENIACの時代なのだが,真空管に集まる蛾を捕ることからきたというのとは少々異なっている.本来電子機器のテストなんかで使われる用語が,初期のコンピュータのプログラマはハードウェアの担当者でもあったために,同じように使われるようになったというニュアンスだ.コンピュータ用語という限られた範疇のものではないということなのか.もっぱら,コンピュータしか触っていない私などには弱いところだ.
 そこで,「新英和大辞典」(研究社)を引いてみることにした。すると,もちろん「虫」という意味もあるし,ほかのいろんな意味に混じって「コンピュータのプログラムの誤り」というのがある.そして,ちゃんとアメリカの口語として「機械の欠陥,不良箇所」というのがあるではないか!用例は,

a bug in a television

 となっている.コンピュータだけではなくて,テレビの中にもバグはいたということなのだ.これと,先ほどの“Encyclopedia of Computer Science and Engineering"の説明,つまり電子機器で使われていた言葉がプログラムについても使われるようになったというのとで,符節が合ってしまう.
 さて,そこでもう一歩,ここはしつこく,オリジナル(機械の欠陥,不良箇所)としての語源を追求してみることにしよう.いろいろひっくり返してみたところ,“I Hear America Talking" (A Touchstone Books)というこの種の話題にめっぽう強い本に,核心的ともいえる記述を見つけたのである!それは,第2次大戦頃に軍隊で使われだした言葉として,グレムリン(gremlin)という単語についての説明で登場する.つまり,

gremlin : an imaginary imp causing mechanical problems in an airplane. Bug later came to mean a defect or cause of trouble, especially in a new plane, ship, tank, etc. After the war the word gremlin diappeared but bug remained very much a part of language.

 バグは,新しい飛行機や艦艇,戦車などの故障の原因,つまり,欠陥,不良箇所のことだったということである.そして,コンピュータに限らず,現在でも機械の故障などで使われるということなのだ.
 こうなると,「チップに組み込め!」のあのくだりは,やはり真空管に対するいわれのない偏見ではないかと思えてくる.いやそれとも単なるユーモアなのか?いま手元に原著がないので,微妙なニュアンスまでは確認できないのだけれど.あるいは,弾道計算という非常に特殊な任務に就いていた人たちの口から,アメリカ陸軍全般にこんな言葉が広がるというようなことが,ひょっとしたらあったのか?バグヤロー!というほどではないが,そうとは思えないでしょう.
 本誌野口によると“AMIGA World"誌などを読んでいると,バギー(buggy)という言葉なども使われるらしい.いうまでもなく、バグが多いという意味だ.一方,Borland International社のテクニカルレポートである“TURBO TECHNIC"などを見ると,バグ捕りの意味で,デバッグ(debug)よりもハント(hunt)という言葉が使われていたりする.なお,バグハンター(Bughunter)では、昆虫学者の意味があるらしい.
 「バギーなプログラム」という言い方もノリがいいし,「もう少しバグハントしてみます」というのも上品だあるいはまた,「そのプログラムって,グレムリンがいるんじゃない?」というのも雰囲気ではないでしょうか?

(Hortense Endoh)

こういう豆知識が重要だと思う。何かの役に立つかもしれないのでスクラップしておくべきだと思う。

映画の紹介は「ダイ・ハード」だった。
ASCII1989(01)h03ダイ・ハード_W520.jpg
ASCII1989(01)h03ダイ・ハード写真1_W455.jpg
ASCII1989(01)h03ダイ・ハード写真2_W353.jpg
ASCII1989(01)h03ダイ・ハード写真3_W515.jpg
ASCII1989(01)h03ダイ・ハード写真4_W403.jpg
33年前の映画だが、古臭く感じない。この号の1989年なら33年前は1959年だからもう古典だといってもいいくらいだ。今ある「リコリスリコイル」というアニメで「ダイ・ハード」を模した「ガイ・ハード」が出てきた。古典というべき映画がこうして若い者たちに影響を与えている。
 1989年からの33年はコンピュータだけではなく映画も大して変化なかった。コンピュータは画期的新発明は無く、ただ速度と容量が物凄く大きくなったことによる量的変化が質的変化をもたらしたと言える。映画も画期的な新手法はなく、CGを使った特撮が凄くなっただけだ。技術ではなく内容で33年前と大きく違うものなどない。毎年生まれる昔を知らない者たちが新たに体験したものを凄いと感動するだけだ。おじさんから見ると手垢のついたものばかりだ。過去を探ると似たものを見つけることができる。

ワンダーフィルムもスクラップしておく。
ASCII1989(01)h04ワンダーフィルム_W520.jpg

最後に編集室からをスクラップする。
ASCII1989(01)h05編集室から_W520.jpg
変化の予感
▲1月号ではゲーム特集が恒例であった本誌であるが,今年は少々趣向を変えて,業界をリードする6名の方に,今後のパーソナルコンピュータ環境について語っていただいた.32ビットマシン,OS/2,ネットワーク,ラップトップなどなど,さまざまなキーワードの氾濫する中で,ユーザーはどのような判断を下すべきなのか―それを読者の方々に読みとっていただきたい,というのが今回の趣旨である.業界トレンド,ユーザー環境動向,ホームアミューズメントの3つのテーマで語っていただいた内容には、示唆に富んだ多くの言葉が含まれている.タイトルの「見えてくる」というフレーズは、この特集を読んだ一人一人が,それぞれのパーソナルコンピュータの未来像をイメージする,というつもりで付けたのだが,いかがだったろうか?
▲昨年の新年号のこのコーナーでは,「やはりパソコンの楽しみは,技術の変化を身をもって体験できることにあるのではないだろうか」と、書いた.そういう視点で'88年を振り返ってみると,変化はそれほど急激には起こらなかったと言えるだろう.OS/2,Windowsなどのソフトウェア環境は,秋頃からようやく姿を見せ始めているが,結局この1年は,そのための準備期間であったかのようである.ハードウェアの動向では,日電のPC-9801RAの登場などにより80386マシンも身近になったが,やはりハードだけではユーザー環境は大きく変化しない。そうした意味では,'88年は、どちらかというとハードディスク定着の年と位置付けられるのかもしれない.
▲こうした展開を考えると,'89年こそは大きな変化が一般のユーザーにまで広がる年とも考えられる先に挙げたOS/2やWindowsはもちろんのこと,ジャストシステムのAAC構想なども気になるところだ。
▲とはいえ、今回この特集を作る過程で感じたのは、MS-DOSでのユーザー環境がまだまだ整備されていないということだ.村瀬,林両氏の対談に出てきた「大衆の時代」とは,多くの人がそれなりにパーソナルコンピュータを活用している時代を指すものと思う.ところが現状では、ハードディスク上で複数のアプリケーションを利用しようとすると,多少慣れた人間でも煩雑に思うことが多すぎる.
▲変化は確実にやってくる.それを多くの人が自然に受け入れられるようになるための地ならしとなるような年が'89年であればと,かすかな予感とともに思っている.(土田米一)

特集の対談の意義が書かれている。ソフトウエアについて「結局この1年は,そのための準備期間」だとあるが、OS/2はポシャリ、Windowsは95になってやっと広まり、AAC構想もポシャリだった。つまりは、準備期間はまだ何年も続いたということだ。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。