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対談:林晴比古、村瀬康治(月刊ASCII 1989年1月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集記事の2番目は「32ビット,OS/2の出現によりパソコンの歴史は第3のステージを迎える」と題して林晴比古氏と村瀬康治氏の対談があった。
林晴比古氏は特集 「32bitマイクロプロセッサ最新レポート」(月刊ASCII 1988年9月号4)
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を紹介したが、林晴比古氏のBASCIプログラミングの心得というべき連載が雑誌にあり(Oh!PCかな)大変参考にさせてもらった。趣味のプログラミングであり、誰も教えてくれる人がいなかったので林晴比古氏の記事は勉強になった。

村瀬康治氏は「入門CP/M」、「実用CP/M」、「応用CP/M」や「入門MS-DOS」、「実用MS-DOS」、「応用MS-DOS」の3部作シリーズで知っていた。ただ買ったのは「入門CP/M」、「実用CP/M」だけだった。「応用CP/M」は歯が立たず、MS-DOSについては他の本で勉強した。

この対談はスクラップの価値がある。
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32ビット、OS/2の出現によりパソコンの歴史は第3のステージを迎える
情報はアメリカも日本も一緒に走っている
村瀬 アメリカのパソコンショー“COMDEX"からお帰りになったばかりとか.いかがでした?
参加企業は1,700社,入場者数は11万人,規模は世界最大,かつ史上最大です.だけど今年のCOMDEXには目玉商品はありませんでした。いままで情報としてすでに知っていたものが,現実的商品として並んでいただけでしたね
村瀬 特に目新しいものはなかった,と.
ソフトウェアではOS/2とプレゼンテーションマネージャ,ATTのUNIXとかそれなりの役者が揃ってました。ハードウェアでもラップトップとか32ビットマシン,周辺機器ではレーザープリンタとか.でも,すべて予測がつくものばかりで.そういう意味では,情報はアメリカも日本も一緒に走っているということを皮膚感覚で感じられたことが成果ですね.本来,COMDEXというのは,我々みたいなジャーナリストが行くのではなく,商売人が見に行く商談の場なんですよね.
村瀬 流れというか,これを紹介しなければ,というものはまったく無い,と.
特にないんですが,ハードで力強いと思ったのはやはりラップトップ.かつてアメリカは,コンパックなどでもデスクトップからポータブルがせいぜいでした.アメリカのオフィスは広いからラップトップなんて必要ないと、ところが東芝やNECが成功したので,ラップトップもやらねば,と思ったんでしょうね.
村瀬 なるほど、それじゃ,ラップトップの話から始めましょうか.僕は決してラップトップはデスクトップの代わりに使うものではないと思いますね.ラップトップはあくまでも小型軽量が原則,使う所を選ばないという積極的な目的がないなら,デスクトップを選ぶべき.そうでないと、後で後悔することになると思いますね。
私も同感.ホントの意味のポータブルマシンとして使いたいものですね.そういう意味では,本体だけがラップトップで,プリンタなどの付属品をいろいろ繋げるのは本来の姿ではない.最近NECが海外市場で発表したUltraLiteは,専門誌でも“Incredible Laptop"と書かれていて,V30のDOSマシンで重さは4ポンド,1.8kgしかない.これは驚異的だし,本来の姿じゃないかな.
村瀬 ラップトップの本来の姿は、どこへでも持ち運べて,しかも電池で4,5時間は使えることだと思うんですよね.ところがラップトップの流れは,本来のラップトップと,機能をいっぱい詰め込んだ重いラップトップがありますね.しかも後者にどんどん流れている.
そう,そのふたつを私は、「ポータブル・ラップトップ」と「デスクトップ・ラップトップ」と呼んでます(笑).
村瀬 それは適切な表現ですね.僕が,その「デスクトップ・ラップトップ」のような使い方をする場合,致命的だと思うのはディスプレイです.オフィスでかなりの時間の仕事をするわけですからね.現段階ではまだまだCRTディスプレイの性能に遠くおよばない.
機能性を考えると,ラップトップの表示器は何でもいいと思いますね.必要なときは,CRTを繋げて、それで見ればいい.ラップトップに高度な機能を求め出したら,ラップトップとは何だったのか,という疑問が湧きますね.
村瀬 ほどほどでいい.デスクトップで使おうなんて考えるから,おかしくなっちゃった。やはりメーカーには,本来のラップトップの目的をもう一度思い出していただきたいですね.

「パソコンSE」の時代にASCII読者の責任は重い!
ところで,書籍で実績のある村瀬さんが,いままで雑誌の連載はされなかった.それが,最近創刊された「ASAhIパソコン」で連載を始めましたね.それは,なぜなんですか?
村瀬 鋭い質問ですね(笑).思うところはいくつかありますが,ひとつはあの新聞社が出したということ、嫌が上にもパソコンが文化になったわけですね.つまりいまはパソコンの転換期であり,エポックだと、そして新たなユーザーにパソコンを使ってもらいたい,使わなくちゃならない時代が来たと思うんです.地に足がついたユーザーを開拓したいというのが,私の願いです.
あの雑誌で,さまざまなメッセージがエッセイなどの形で堂々と出てきたことは評価すべきですね.というのは,いままでのパソコン誌というのは,こんなコマンドの使い方があるのか,と読んだら得をした.そうでないものが出てきたというのは,初めてパソコンが文化として認められた,ということですね.
村瀬 そうなんですよ、僕は、ああゆうエッセイなどの形で,ユーザーからのメッセージがもっとメーカーにフィードバックされるべきだと思います.
それと,村瀬さんの連載は「みなさん,パソコンは易しいですよ」という記事ではなく,「パソコンはむずかしいんですよ,勉強してください」ということをきちんと書いてある.それが大切ですね.
村瀬 それは林さんがお書きの『32ビット・パソコン入門』(講談社ブルーバックス)の中で,「マニュアルが難しいと言う前に,もっとよく読みなさい」と言われたのとほぼ同じですよね.
 さて,もう少し一般的に考えてみましょうか.林さんは,現在のパソコンについて,どのように思っていますか.
パソコンの歴史はそれほど長くはないんですが,現在は第3ステージに入ってるというのが私の持論なんです.第1ステージは黎明期で「マニアの時代.TRSとかPETとか,あの頃は秋葉原にパソコンを見にいっても,なぜか後ろめたかった.マニアでないと,ほとんどパソコン"の情報は得ることができませんでした.その後,多くのメーカーがいろんな機種を出して、誰もがやり始めた.現実にソフトウェアがたくさん出て,パソコンの花が咲いた.これは第2ステージで,「大衆の時代」、そしてこれからの時代.32ビットパソコンが出てきて,アプリケーシキョンでもDTP(デスクトップ・パブリッシング)とか非常に高度なものが出てきた.これが第3のステージで,再びマニアの時代に入ると思います.しかも,ただのマニアではなく,「ニューマニアの時代」と呼びたい.
村瀬 ニューマニアというのは?
以前は情報がなくて、マニアにしか情報が入りませんでした.いまは情報が溢れている.知りたい情報はさまざまなメディアから吸収できる.ところが普通の人はそれを見て、何がポイントなのか,何が重要なのか,何が役立つのかが分からない.そこでこれからは,自分に役立つ情報をセレクトできるマニアが主導権を得ていくんじゃないでしょうか.そして、ごく普通に使うだけの人は相対的に後退していく、努力する人だけがパソコンで利益を得る,というのが,私が考えるニューマニアの時代ですね.
村瀬 まさしく同意見です.ただし,ちょっと定義は異なります.第3ステージを僕は「パソコンSE」の時代だと思っているんです.これは本格的な大型コンピュータのSEという意味ではなくて,システムの管理ができる人が主導権を握っていくという意味.シスオペといってもいいでしょう.これからは32ビットマシンが出てきますから、MS-DOSのようにはいかない.となると,職場に誰かひとりはパソコンのシステムの面倒を見る人が絶対必要になるわけです.ASCIIの読者の責任は重い(笑).
 それとね,「ASAhIパソコン」の連載を引き受けたのも,その前の「大衆の時代」をもっと充実したものにしたいという気持ちからなんですよ.
アメリカのユーザーサポートは,基本的なところを電話で聞こうとすると、「それはマニュアルを読みなさい.マニュアルを読むのはあなたの責任です」のひとこと.日本のように親切じゃない.使う努力をして,高度な質問を発するようになったら,徹底的にサポートするんですよ向こうの人は、誰にでも使えるソフトなんて初めから信じていない.その結果,使える人はどんどん高度な使い方ができるようになる,使えない人は単純な使い方に徹してくる.そういった二極分化が起きるんじゃないですか.
村瀬 使うからにはそれなりの努力をしろ,というわけですよね.

ユーザーインターフェイスの本来あるべき姿を実現できる時代になってきた
―― 32ビットパソコンについては、どうお考えですか.
私は、パソコンはMS-DOSでやる,その上を考えたい人はUNIXでやりなさい,という考えを持っているんです.MS-DOSでもかなりのところまで使えますし.OS/2が出現しましたが,OS/2じゃなきゃダメだという必然性は弱いと思う.もちろん、いまのUNIXはむずかしすぎますから徹底的に初心者対策の行われたポップアップ・メニューを付けて、必要ならXWindow的なものも組み込んで,あとは、子プロセスとしてMS-DOSが走るようにすれば,パソコンユーザーでも使えます。でも実際には、OS/2がそこにあるからOS/2を使う,ということになるんでしょうね.
村瀬 僕はわりとOS/2を容認してますね.MS-DOSでほとんど間に合うというのは同感だけど,OS/2の環境ならいままでできなかったソフトが作れるんじゃないかという期待があるんです.MS-DOSではメモリの制限とか,マルチタスクが動かないという制限があったわけですからね.たとえば,OS/2ではもっとダイナミックなデバッグができるデバッガが作れますしね.デバッガがよくなれば,開発環境に基礎体力がついて,新しいアプリが生まれる可能性も高くなりますよ
新しいOSが生まれたんだから,新しいアプリが生まれて当然でしょうね.だけど,自分の経験から言うと,マルチタスクに楽観的な見方をする人が多すぎると思いますね.マルチタスクができれば,コンパイルして,その裏でエディタでソースを修正,コンパイルが終わったら,そちらを実行させて、またコンパイルする.だけどそれはとんでもない話.コンパイルしている間にソースコードをまたいじるなんていう人は,解読する能力がない人ですねほんとに能力がある人は、そのコードをじーっと見て、間違いないと思ったらコンパイルして,その間に頭を休めさせるものです。ではマルチタスクは何に使うのかというと,マルチタスクがエンドユーザーの便宜のためになる,みたいな巧みなアプリを作っていけば効果がある.それはユーザーフレンドリーだと思うし、ユーザーインターフェイスの改善にもなるでしょうがね.
村瀬 僕自身,マルチタスクに関しての利用上のメリットはそれほど期待はしていません.ただ,マルチタスクができるようになったら何が一番助かるか,といえば,多分通信ですね.ワープロやってて、どこかから通信の電話がかかってきたら,自動的に取り込めますからね.
 OS/2に関して言えば,32ビットパソコンになればマシンパワーはかなり上がります.でもここで言いたいのは,それを全部,直接実行するパフォーマンスだけに使ってほしくはないということですね.パワーが上がった分,少なくとも半分はユーザーインターフェイスに割いてほしい.たとえば日本語入力にしても,MS-DOSを立ち上げたら,頭から日本語入力でもいいと思うんですよそれに,半角文字と全角文字の本質的な違いなんかも,これからパソコンを始める人に理解してもらうのはむずかしい.全角の数字の1と半角の数字の1は、字の大きさが違うだけで1は1なんですよね.半角の1しか受け付けないようでは,これからは通用しない.まあ,それ以外にも,細かいことでマルチタスク以前にやることはいっぱいあると思うんですよ.
いままでは,ソフトを作る側に資源がなかったからできなかったんですね.10のプログラムを作ったとしても,初心者対策をすれば2倍のプログラムが必要になるし、プロ対策をすれば,さらに2倍になる.そういうことがあるから,やりたくてもできない.これからはマシン自体の能力がアップするから,初心者対策みたいなことをやっても,スピードやサイズがネックにならない環境になってくるはずです.私はそちらのほうに32ビットの能力を使ってほしいと思いますね.メモリもふんだんに使えますから,プログラマーが多少下手なプログラムを作ってもいいし、長くなっても安全であれば結構.あとはマシンが助けてくれる.そんな環境が出てきましたね.本来ユーザーインターフェイスとしてあるべきプログラムのプログラミングをやれる時代になった,ということでしょう.
村瀬 もう一つ、1本のプログラムに見えるんだけれど実は10本のプログラムに分かれていて,その10本が同時に動いているプログラムも作れるわけですよね.
エンドユーザーにはそういったプログラムを提供しなくてはならないと思います.そういった意味で使うんであればマルチタスクは非常に有効だと思うんですよね.ユーザーにタスクを10本使いなさいというようなプログラムは,僕は失敗だと思うんです.
村瀬 ユーザーインターフェイスとしていまは、1本しかプログラムは動きませんから,サイドキックみたいなことをやりますよね.そうすると,たたき起こされるプログラムがメモリのどっかに常駐しているはず.ところが今度はそれが動いていていい、ということはより柔軟な機能を持たせられるということになりますね.そういう意味でOS/2というのは,ユーザーインターフェイスを考えると,いままでやろうとしてやれなかったことができる可能性がある.
パーソナル・ユーザーがマルチタスクを使うのは歴史上初めてのことですから,まだ我々の知らない活用方法もこれから出てくるでしょうね.だけど,OS/2はやっぱり重い.実際自宅でOS/2を調べていますが,MS-DOSならフロッピ-1枚と標準のメモリで使える.OS/2だと標準メモリ1.6メガのRA2ですら動きません.動かすためには2.6メガに,十分に利用するには3.6メガにしなさいと書いてある.そうするとやはり,OS/2とMS-DOSは別物なんですね.今後の主流がMS-DOSなのか,OS/2になるのかという議論がありますが,MS-DOSはずーっと残っていく。さらに上をほしい人は,メモリを増強してOS/2にすればいい.
村瀬 OS/2には可能性はあるが,僕ももちろんMS-DOSはずーっと残り続けると主張しています.MS-DOSが7割,OS/2が3割くらいのバランスでしょうか.
なぜか,多くのマスコミの論調の中に,OS/2に移っていくというような誤解がありますが,その誤解は解いていかねばなりませんね.

データ取得手段としてのパソコン通信,そしてCD-ROM
村瀬 林さんは日頃パソコン通信はしているんですか
私は日経MIXに入っているんですけど、いまのパソコン通信の使い方には疑問がありますね.ボードに書き込んで会議をして「どうだ,こうだ」って果てしなく議論するというのは,本来の姿じゃないと思いますね.それより,ある人が「これについて分からないから,どなたか教えてください」とこう出したら誰かが教えてくれる.そういう形なら僕はいいと思うんです.
村瀬 でも,まったく違ったタイプの人との出会いの場ともなるでしょう.
もちろんそうですね.だからパソコン通信というのは,距離ネックを解消するという意味と,それから匿名性が大きな要素だと思いますよその人は誰かということを知っては話ができなくなる.相手に「私は東大教授の誰々です」なんて名乗られたら、やっぱり気楽に通信ができなくなっちゃいますよね.
村瀬 いま,みんながやっているBBSというのは、アマチュア無線と似た意識のものだと思うんです.アマチュア無線となく議論するというのは,本来の姿じゃないと思いますね.それより,ある人が「これについて分からないから、どなたか-教えてください」とこう出したら誰かが-教えてくれる.そういう形なら僕はいいと思うんです.村瀬 でも,まったく違ったタイプの人との出会いの場ともなるでしょう.もちろんそうですね.だからパソコン通信というのは,距離ネックを解消するという意味と,それから匿名性が大きな要素だと思いますよ、その人は誰かということを知っては話ができなくなる.相手に「私は東大教授の誰々です」なんて名乗られたら,やっぱり気楽に通信ができなくなっちゃいますよね.
村瀬 いま、みんながやっているBBSというのは、アマチュア無線と似た意識のものだと思うんです.アマチュア無線というのは,トップ・オブ・ホビーと言われている.アマチュア無線でみんなが楽しんでいる楽しみ方と,チャットなり,ボードなりのパソコン通信での楽しみ方とは一脈通じるところがあると思うんですよね.だからあれは、趣味の一種です.
 それと,パソコン通信のメリットは,もうひとつあるんです.というのは,初心者がパソコンを使うには,まずそのキーボードをいじらないといけないわけです.日本語を入力しなくちゃいけない.BBSに興味を持って,それでパソコンを買って,それでキーボードを打ち始めるという過程は,僕はいいことだと思うんですよ.たとえそれがほんのお遊びであっても,そういう人たちが増えて,キーボードを使える人たちが増えてくれば,やはりコンピュータ人口全体が増えていきますからね。
確かにそういうメリットもありますが,本来何のために通信があるかというと,データを取得するためにあるんです.
村瀬そうですね.
データを取得しなきゃ意味がないんです.データというものが,価値のない中味の薄いデータだったら,何の意味もない。だからそういう意味で,単なるお遊び的なパソコン通信であれば,それはそういう通信っていう本来の目的からすれば意味がないですね.ところがそれが楽しいんだと,そういう趣味なんだといえば,これは何も言えないです(笑い).
 やはり僕がパソコン通信に期待するのは、「この本の著者を知りませんか」というような質問を発したら、誰か知らない人が答えてくれるようなそういうデータベ-ス機能ですね.日本には1億2000万人もいるんだから,それだけのデータベースがあるわけですよ.誰かが知っているんです.それを通信で募ると,ちゃんと教えてくれる.そういう実用性のある通信っていうものは,これから出てくるんじゃないですか
村瀬 確かにそういう利用の仕方が理想だと思いますね.しかし,パソコン通信人口が増えなければ,データベースにならない.そういう意味では、パソコン通信のとっかかりは趣味でもいいわけです。
そうですね。それと,もうひとつ.データを取得するという意味では、CD-ROMの関係も私は非常に期待しているんですよ、自分自身だけのことかもしれないけど,たとえば新聞社が1カ月ごとに全記事の入ったCD-ROMを販売してくれたら,私はとにかくほしいんですね.日経産業新聞とか電波新聞とかそのテのデータさえ入ってくれれば,いろんな検索に使えるんです.これがあると私の仕事の可能性というのは、飛躍的に向上するでしょうね.もっといい仕事ができると思っているんですけど(笑).
 そういう事情は,実は,いろんな世界のビジネスマンたちも多かれ少なかれ持っていると思うんです.そういう要望があって情報を切り売りしていけば,ものすごいマーケットが存在すると思いますね.
村瀬 僕もCD-ROMそのものはすごい市場性が出てくると思うんですけど,現状ではCD-ROMの呼び出しは遅い.ハードディスクに比べるとめちゃくちゃ遅い.だから,CD-ROMの呼び出しスピードは少なくともいまのハードディスク並にならないといけない、ならないなら,別の方法を考えたほうがいいんじゃないかと思うんですよ.たとえばハードディスクもどんどん容量が増えてきますから,1000メガバイトとかいうのもそのうち実現するでしょう.そうなったら,CD-ROMの内容を必要なときにハードディスクにコピーして使う.いまのスピードが改善されない限り,CD-ROMはデータやソフトを販売するためのメディアに徹しちゃったほうがいいかもしれない.大量のデータから好きなところを検索するためにも、
実用的なスピードまで上げてもらうということは大切ですよね.

普通の人が容易に使えるデータベースの問い合わせ手段を提唱したい
――現実的なところで,パソコンに対する要望みたいなものはありませんか. 村瀬 そうですね.先ほど言った全角・半角の区別の問題もそうですが,たとえばMS-DOSのファイル名は8文字です。で、漢字だと4文字になります.これも困ると思うんですよ、一昔前までは漢字を使うということがもうめちゃくちゃ特殊なことで,異常なことだった.ところがいまは漢字を使うことが当たり前で、半角文字を使うこと自体がおかしなことなんです。ところが旧態依然,もうファイル名なんて何文字入れたってかまわないと思うんです.そういうことひとつを取ってみても,まだ林さんのいう「大衆の時代」にはちょっとほど遠いんじゃないかな,とも思うんです.やはり相手はパソコンですから,もっと身近なユーザーインターフェイスの問題をひとつひとつ解決していかなければ,みんなが使えるコンピュータにはなっていかないんじゃないかと思うんです.
そのファイルが8文字というのは,アメリカから来たわけです.アメリカでは8文字で十分なんですよ.すると,そこで日本人のためのOSを作ればいい,みたいな発想が出るんだけど、やっぱりそういう地域性というのを持ったら,日本というのは取り残されると思うんですよね.全世界で通用するものという価値の上に成り立って,ソフトとかOSとかを作らなきゃいけないと思うんです.だから,いまは8文字しか入らないOSで,僕はかまわないと思ってます.
 もし,一方的にエンドユーザーの立場から30文字のファイル名でもいいようにしろっていうと,それは現在では簡単にできますよ.
村瀬 それはそうですよね.
だから余りにも技術的な可能性というのを無視した,100パーセント初心者発想みたいなものは,それはそれで重要なんだけど,その通りにはいきませんよ,ということはあまり話されてないですね.たとえば,エラーメッセージなんかにしても「これじゃ意味が分からないじゃないか,ちゃんと説明するようにしよう」というと,画面いっぱいにわたるようなメッセージを出さなくちゃいけないだから,そこまでシステム側に要求するというのは,僕はおかしいと思うんですよ.
村瀬 もちろんバランスが大切ですけどね、だけどそれをやるためには,OS設計者のほんのちょっとした心遣いですむ話も多いと思うのですが,それが十分でないから言っているんですよ.
だから私の言いたいのは、初心者としては要求,これは当然要求すべきだというものと,これは初心者側の努力で解決することですよという,両方あるということですね.
村瀬 ところでさん,いい機会だからご意見を伺おうと思いますが,僕はパソコンというのはデータベースが基本だと思うんです.データベースが使えるようになって、初めてパソコンで仕事ができると、だから,みんなにデータベースを使ってもらわなくちゃいけないと思うんです。ところがデータベースを使いこなせる人は少ない.それはなぜかというと,やはりユーザーインターフェイスが10年古いんじゃないかと思うんですよ.
 そこで,普通の人が容易に使えるデータベースの問い合わせ手段を提唱したいんです.具体的には,リレーショナルデータベースInformixでの問い合わせで,日本語で「林晴比古さんの電話番号は」と入力すると,それで答えが出てくるというものです.そういうユーザーインターフェイスをデータベースに載せたいんです。実現しませんか.
自分は技術者から降りてきた立場だから,ある程度技術者の辛さとか悩みを知っています。言われるままにやると本当に便利なのか,アドバイスしなければならないこともある.データベースというのはリレーショナル理論だけでやるととても処理速度が遅くなるんです。だからデータベースがあって,それにアドインというか,そういう形でユーザーイン.ターフェイスというモジュールを作っていく形がいいように思いますね.
村瀬 僕が考えているのはそれなんです-が,Informixを核に,Mindをうまく処理したものをアドインする.InformixはSQLできますから,そのSQLに準じた問い合わせ形式で,表面的には日本語なんですけど、実はSQLに置き代わって問い合わせしているという方法でいけるんじゃないかと思うんですよ.
 というようなことで,パソコン界全体を見ていま一番思っていることは,32ビットパソコンより何より,データベースを一般の人が使えるようにしてほしい,ということなんです.
なるほど、私も32ビットパソコンがなければ,世の中何も起きないというのはおかしいと思っています.要は,我々は「よいパソコン」を求めているんであって,ある場面,ある人にとっては,たまたまそれが32ビットパソコンとOS/2であったと考えるべきだと思いますね.8ビットのパソコンでも十分だというようなことが,この世界にはまだまだたくさんあるのではないでしょうか.


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やはり、林晴比古氏と村瀬康治氏の対談は33年前のパソコン市場の状況とパソコンのあるべき姿を的確に捉えている。私たち一般ユーザと同じ考えだった。ASCIIは雑誌を売るために提灯記事というか、あおり記事を書いていたと当時も今も判断する。

そうだった。パソコンに詳しい人間は職場で小間使いをさせられた。酷くなると他の課からもお呼びがかかった。で、私たちのように8bit時代からプログラミングをしてきたようなマニアはその小間使いされることが楽しかった。しかし、それもWindows95以降は辛くなり、転勤を機にパソコンに詳しくないふりをして、「新しいソフトは分かりません。新人に聞いてみてください。」となった。事実新人らは私たちよりWindowsマシンとそのソフトについて詳しかった。段々彼らに教わるようになり、歳をとったものだと実感した。

OS/2の予測についても両氏は的確に立てている。それに比べパソコン雑誌ときたらもう全然ダメだった。ユーザが欲しいものを作らねば。メーカーが作りたいものを作ってもだめだ。

パソコン通信にしても両氏の意見が私たち一般ユーザの意見だった。大学の先生と中学生が議論するなんて匿名性がなければできなかった。まあ、議論が喧嘩のようになったときには「高い電話代をかけて喧嘩しているね。」と外から揶揄したこともあった。

33年たった今インターネットによりデータベースが皆の手にある時代になった。死ぬまでにこのような環境に存在できたこと嬉しく思う。

林晴比古氏と村瀬康治氏の対談は33年後でも十分読む価値のあるものだった。

新しいものは何もない。すでに33年前に求められていたものが使い物になるようになっただけだ。33年前の延長線上にあるだけだ。








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