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行ってみてきた中国、編集部から(月刊ASCII 1987年12月号11) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

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前号に続きTBNには中国の記事があった。35年前の中国実に興味深い。スクラップする。

 9月8日から13日まで,北京において“テレコンプチャイナ'87"が開催されました.このページでは,ASCII取材チームが見てきた中国のパーソナルコンピュータの周辺状況を先月と今月の2回にわたって紹介しています.前回は北京の秋葉原こと“中関村路"のパソコンショップをレポートしましたが,今回は市内の繁華街の様子などを中心にお話ししましょう。

やっぱりでっかい万里の長城

 ショーの取材を一通りおえた我々は,無理を押して万里の長城,八達嶺へと足を伸ばしました.今回の旅程で,一番観光客らしかった行動です.北京市街から郊外へと向かう道路は広く真っすぐで信号も少なく,交通の要衝はロータリーになっています。片側2~3車線の車道を走る車はやはりトラックや人間を満載した二両連結の路線バスが目立ちます.
 車道の外側には,自転車やトラクターなどの軽車両用の車線が街路樹やパイロンによって分離されていて,馬車などがゆっくりとしたペースで走っています.
 郊外になるにつれて建物や,街では目立った看板も少なくなり,ガソリンスタンドさえも,かなり注意して見ていなければ見つかりません.
 目的地へは小1時間で到着.実際に目にする長城は,テレビや写真などの印象をはるかに越えて巨大で,ただただ驚嘆!全長数千kmにもおよぶというのですから……(ただ,近くでみると積まれたレンガは落書きだらけでした).
 観光客気分を満喫した我々は,もう一つの目的である視察(えらそう!)のため、市街へととんぼ返りしました.

王府井大街

 北京随一の繁華街である王府井大街は,東京でいえば銀座とアメ横を足して2で割ったような場所(ガイドブックによると,おのぼりさんの集まる所だとか).約1kmほどの通りの両側には,電器屋,レコード屋から衣料品,食料品,時計や貴金属,書店まで,およそありとあらゆる店が軒をつらねています.また,王府井大街と交差する東安門大街は,日暮には2車線の道路のおよそ半分を屋台と自転車が占有してしまいます。屋台で売られているのは,湯気の立つ碗に入ったおかゆや煮込みのようなもの,何だかわからない熱々の串焼など、それらを買い求めた人はてんでに道端に腰かけて食べたり、立ったまま食事をとるなど,この一帯はたいへんなにぎわいです.我々も大変に食欲をそそられたのですが,言葉と胃袋に不安をもつため,あきらめざるを得ませんでした.
 この一大繁華街を歩いてみたなかで,読者のみなさんが興味を持たれそうな店を,いくつか紹介しましょう.
 最初は,北京で一番大きいという新華書店.石づくりの4階建ての建物は,まるでどこかの大学の古い校舎のよう.1階は児童書や文学作品,社会科学などの一般図書,2階は自然科学,3階は芸術書や地図となっています.ただ,なぜか雑誌の類は見つかりませんでした(後で外に出てみると,近くの露店で映画雑誌や家庭雑誌などが売られていました).書籍の展示方法は日本とあまり変わらず,所狭しと並んだ本棚に,内容別に分類されて並べられています.ショーケースに入った高価な本以外は,直接手にとって選ぶこともできます.本の種類は日本に比べれば少なく,同じ本が数多く並べられています.
 ここでは読者プレゼント用に,UFOと恐龍が登場するSF短編集美原幼万燈己とAppleII微型計算机用戸指南(マニュアル?),山海灸校革,人工知能的故事(ソ連のA.恰基柯著作の翻訳)の4冊を購入(先月号の読者プレゼント)しました。
 新華書店の隣りは北京音像書店,オーディオテープやビデオテープ,楽譜などを扱っていました.オーディオテープ,ビデオテープとも,価格は日本でのものとほとんど変わらないようです.
 9月の北京はかなり暑く,夕方とはいえ外を歩いていると汗びっしょりになります.街頭では露店や自転車などでアイスクリームやシャーベットなどが売られていて,みんな食べながら歩いていました。我々も早速パンダ型のアイスクリームを買い求めて(結構苦労しました)一休みです.
 視察の再開は,並びにある電器屋から、人だかりをみつけて飛び込んでみると,その中心はショーケースの上のステレオラジカセでした.もちろんカラー,モノクロテレビなども展示されていますが,主力商品はラジカセやラジオなのかもしれません.商品の多くは,中国製(または香港製?)のようでした.
 カメラ屋と時計屋は数軒ずつありました.カメラ屋には中国製の一眼レフ,二眼レフにまじって日本製のコンパクトカメラなども並んでいて,マミヤUに約500元(1元=約40円)という値段がついていました.フィルムもフジやコダックなど,おなじみのものばかりです.
 時計屋では,SEIKOなどの日本製のものは,中国製のもののおよそ2倍の価格がついています.めずらしかったのは,腕時計の本体(?)のみでの販売が普通に行われていることでした(ものを大切にするというあらわれでしょうか?).
 通りのほぼ真中にある北京市百貨大楼は,いわゆるデパートです。1階から3階までは地元の人たちのための店で,日用品ならばおよそ何でも手に入りそうです。4階は,外人向けのみやげものなどを中心に扱っています.ところが,なぜか家電製品にまじって抵抗やコンデンサ,コネクタやターミナルなどの電一気,電子部品を扱う店までありました.また,家電製品を扱う売り場では,他ではみかけなかったカラーTVや日本製のVTRなどもならんでいました。ちなみにナショナルのVTRの価格は3500~4000元程度と,価格的には日本国内とそれほどかわらないようです.ただ前回も述べた中国の人の収入を考えると,決して安い値段ではありません.
 見て歩きの最後は,中国ならではということで漢方薬の専門店をのぞいてみました。薄暗い店内には想像もつかない強烈なにおいが立ち込め、奇怪な形をした人参の根や鹿の角,なんだかわからない粉薬や水薬などが数百種類も並んでいます.それらを眺めていると,まるで魔術の類の材料を見ているような気がしてきます.もちろん,りっぱに市民権を得たものなのでしょうが,我々にはその手の知識がまったくなく,早々に退散しました.
 全体としては骨董品や工芸品を扱う店や,一般用の衣料品,雑貨を扱う店が多いのですが,とりあえず今回のテーマにはあわないのでパス.ただ,ここでも取り壊し,建築中,改築中の建物はやたら目につきました.なかでもある靴屋などは,営業しながらカウンターの後ろから建物の解体の槌音が響いてくるのです.
 多くの店は,割合遅くまで営業していました.やはりこれも,2交替,3交替が普通に行われているという環境のためでしょうか,暗くなっても人通りはかなり多いようです.それに応じて,ほとんどの店は夜7時~8時,中には9時頃まで開いている所もあります.

やりのこしたことなどなどなど…

 というわけで、3泊4日の北京見て歩きは終了です。当然ながらこのわずかな期間では,広大な中国のごく一部の北京の,そのまた概要さえも?むことはできませんでした.北京駅も,動物園も,故宮も,たくさんある博物館も,まったく見学できませんでしたし,天安門の広場さえ,車で前を通っただけです.
 また,日程の都合とはいえ移動にはほとんどがタクシーを利用し,立ち寄った場所も観光地やそれに類するところばかりだったため,ほとんど中国の一般の人々の生活を知ることはできませんでした.さらに,事前に社会の仕組みの違いなどを調べておかなかったために,その場では見過ごしてしまったようなことが,日本に帰ってきてから次々と疑問として浮かんでくるのです.たとえば屋台のおじさんは、果たして公務員なのか,表通りから一歩裏道に入ったらどうなっているのか,普通の人はどんな家に住んで,どんな仕事をしているのか,普段は何を食べているのか.わざわざ中国まで行ったのに,そういったことは何もわからないままです.
 でも,実際に中国の空気を吸ったことで,言葉にできない雰囲気は感じとれたのではないかと思います。やはり広大な大地と膨大な人口は,潜在的に強大なパワーを持っているようです.今はまだ,中国は先進国ということはできないかもしれませんが,スポーツの分野と同様に経済や科学技術の分野でもトップクラスの力を持つようになる可能性は十二分にありそうです.
 心残りはまだあります.やたらと目につく理髪店にいけなかったこと,京劇が見られなかったこと.そしてやはり一番大きかったのは,事前に中国について勉強していかなかったことと,中国の人とまともに会話できなかったことです.特に言葉の問題は重要で,コミュニケーションがとれないためにあらゆる行動が制限されてしまいました。もし誰とでも自由に話すことができたら,まったく違った旅行になったかもしれません.
 また,今回はスチルカメラの他にビデオカメラを持っていったのですが,結局どちらも思うように使いこなせませんでした.そのため,(特に今号の分では王府井大街を訪れたのが夕刻だったこともあって)肝心な写真はほとんどとれませんでした.
 街中にある赤ペンキで書かれた各種のスローガンや,内外の企業の大きな看板(トヨタやコニカなど,日本企業のものが目立ちます),人であふれた自由市場なども,写真があれば,ぜひとも紹介したかったところです.
 というわけで,中国はまたいつかゆっくりと(言葉を勉強して)行かなくてはならない国の一つになってしまいました。とりあえずは,編集長の目を盗んで“音楽畑”のLDをみながら“上海”にはげむ毎日です.
(吉田)

35年前は、まだまだ発展途上国の雰囲気だった中国。今では経済、技術でも超大国になってしまった。「経済や科学技術の分野でもトップクラスの力を持つようになる可能性は十二分にありそうです」が当たってしまった。35年前凡夫たる私は中国は全く眼中になかった。私は、未来の予測をできるほどの人間ではなかったということだ。
おまけクイズ

 日本でおなじみのコンピュータ関連用語も,中国語の表記ではまったく違ったものになります.以下の実際に目にした10個の単語に相当する日本語を,官製ハガキに記入して,おまけクイズ係までお送りください.得点の高い順に3名様に,おみやげをプレゼントします.どの単語も本誌読者に関係ありそうなものばかりです.どうか,頭を働かせてみてください.正解の発表は3月号のDMAで.ご応募お待ちしています.

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この号の編集室からのコラムをスクラップする。
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情報の価格を決めるものは

 先日,ソフトウェアのプロテクトに関する取材を受けたときに,「ソフトの値段が高いからコピーされるということも考えられますか」という質問を受けた.取材側はラジオ局,いわゆる一般マスコミであるから,いろいろと取材している間にそうした指摘を受けたのだろう.たしかに,コピーユーザーが多い原因の一つに価格の問題がないとは言えない.
 現実の問題として,友人や会社の同僚から「そのソフトを使ってみたいからコピーしてくれないか」と頼まれたとき,きちんと断るには,それなりの勇気が必要だろう.簡単な作業で済むことで友人関係を悪くしたくないと考える人も多いにちがいない。とはいえ,ソフトウェアの価格が十分リーズナブルであればそうしたことが起こらないのかといえば,これは疑問である.その一方で,ソフトウェアには最低限,開発経費がかかるし、ユーザーサポートの経費も馬鹿にならないという.いくら安くなっても,メディア代と若干の手数料程度にまで下げることはむずかしいのだ。
 では,ソフトウェアの適性価格とは,どのような基準で決められるべきなのか?どこまで参考になるかは分からないが,情報を商品とする他の例を見てみることにしよう.
 書籍では,情報の内容によって本の価格が大きく違うことは少ない。どちらかといえば,その本の判型やページ数,紙質などから,自ずと常識的な価格が決まってくるのである.有益な情報が入っている書籍でも,小さな本で高額な例は少なく,逆に大きい判型で良質の紙を使った厚い本は高額である.レコードでは,同じ大きさなら同じ価格という状況が続いていた.LP盤なら○○円,シングル盤なら××円といった具合である.最近のビデオテープは内容によって価格差がかなりあるようではあるが,それでも一桁違う例は少ないのではないか.これに対して,パソコンソフトの価格は内容によって一桁も二桁も違うのが普通である.ゲームソフトなら数千円,高額ビジネスソフトでは十数万円以上となる.こうして見ると,ソフトウェアとは,随分と画期的な商品なのではないだろうか.
 十数万円程度のワープロ専用機が月々何万台と出荷されている一方で,ワープロソフトの代表格である「一太郎」の累積販売本数がおおよそ十万本程度であるという.この差をそのままコピーユーザーのためと断言する気もないが,パソコンソフトの特殊性が感じられるのは間違いないのである.(土田米一)
このころコピーソフトは巷にあふれていた。いや、8bit機のころからゲームソフトやCP/Mで動くソフトまでコピーはあふれていた。コピーさせてくれと頼むまでなく、コピーさせてやるという押し売りもどきの状態だった。
>「そのソフトを使ってみたいからコピーしてくれないか」と頼まれたとき,きちんと断るには,それなりの勇気が必要だろう.
の逆で「そのソフトをコピーさせてやる」をきちんと断れないような状態だった。だから、フロッピー代がバカにならなかった。プロテクトを破り動くことを確認して満足だった。ゲームをやりこむことなどなかった。
金を払って買ったソフトはもう使い込んだ。好きだから金を払い、好きだから使い込む。
高いからコピーする。安ければコピーしないと私は主張していたが、知人から否定された。「コピーしたい奴は値段にかかわらずコピーする。」私はそれに反対だったが、現実は彼のいうとおりだった。いいソフトだから買うという行動をしない人たちが多かった。
最後に一太郎。一太郎はプロテクトフリーだったのでパソコンのスキルがない人たちの間でもコピー品が広がり、ワープロソフト市場の勝者となった。
大体、35年前の書籍をみるとわかるではないか。ソフトの解説本が沢山あったのはコピーユーザのためだった。
いいソフトなら金を払うということがなかなか定着しなかったのに、現在はYouTubeで投げ銭とかがある。なんだよお前ら金の使い方どうなってんだという気持ちになる。
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