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マイクロソフト古川氏インタビュー(月刊ASCII 1987年2月号5)87年のOS環境を占う [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

この号の特集は「87年のOS環境を占う」だった。
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扉の縦書きあおりを引用する。
各メーカーが主力機種に80286を採用した昨年の動きのあと、今年はどのような変化がパーソナルコンピュータ界に訪れるのだろうか。MS-WINDOWSは新しい世代のソフトウェアを感じさせ、噂の新しいDOSは高度なOS環境を予感させる。基本ソフトウェアの動きはアプリケーションに多大な影響を与え、そうした影響はパーソナルコンピュータ全般に及ぶのである。こうしてソフトウェアの動きを中心に'87年のパーソナルコンピュータ界の動きを考える。
Windowsが盛り上がりを見せたのはWindows95のときだから、そのはるか8年前。一般ユーザは歯牙にもかけていなかった。ゲームもワープロも表計算も使い物になるソフトが無い状態でなぜユーザがWindowsを買うのだろうか。普通の一般ユーザは買わなかった。

次頁はマイクロソフト古川氏のインタビューだった。
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煙草を手にし格好いいではないか。
 PC-9801版MS-WINDOWSなど,OS上の環境を充実させるソフトウェアの登場によって,ようやく操作環境充実の時代がやってきたといえるでしょう.しかし,これは単なるユーザーインターフェイス-だけではなく、ソフトウェア開発の方向や今後のハードウェア,ソフトウェアについて大きな影響を与えるでしょう.ここではMS-DOS,MS-WINDOWSの開発元であるマイクロソフト株の古川社長にOS環境,今後の発展などについて聞いてみることにします.
――最初にMS-WINDOWSについてお話をいただきたいのですが.
 まず最初に言いたいのは、画面を分割してウィンドウを表示するのがMS-WINDOWSではないということです.Macintoshについても同じなんですが,その内側にある思想みたいなものが一番重要なわけです.そしてその思想に従い,規約にのっとってアプリケーションを作れば,ユーザーもソフトウェアを作る側も「楽」ができるのです.
 アプリケーションを作る側からいえば,ユーザーインターフェイスをどうするか,オーバーレイ構造をどうするか,とかマーウスドライバーを作ったり,いくつものプリンタをサポートするドライバを作るなど、アプリケーション本来の機能の部分以外にパワーを割いているという現状があります.本来,アプリケーションの本質的な部分,たとえば計算や言語処理などの部分に十分なパワーをかけるべきなのです.非本質的な部分をやらずにすむということは,単に楽になるだけでなく,たとえば新しい周辺機器が出てきてもドライバを組み込むことで従来のソフトウェアでも対応ができるわけです.
 日本のパーソナルコンピュータの場合には,過去の仕様が現在のマシンの足枷になっているという見方もできます.それは互換性の重視ということでもあるのですが,それゆえにもっとよい環境が提供可能であるのに,それができないのです.そういうことを打ち払うのがMS-WINDOWSの目指すところなのです.
 MS-WINDOWSにこだわるわけではないのですが,これからさきにCPUが変わったときに,すべてのアプリケーションの書き換えが必要になる,あるいはOSが変わったときにも書き換えるといったことを続けていてはだめだと思うのです.操作環境,書き換えなしにプログラムを動かせる動作環境,データの共有といったことをたえず考える必要があります.そういった方法が新しいハードウエアを100%活かす方法だと思うのです.ハードウェアの進歩はこの先も続いていくものです。仮想記憶の場合には、I/Oもアクセスできなければ,VRAMを操作することもできません。つまり,今は次の世代に通用しないような方法でソフトウェアを作っているわけです.
 操作環境の統一性については,これが実現されると1つのアプリケーションで覚えた知識で他のアプリケーションを使うことができるようになるわけです.それに対して,商品としてのアプリケーシヨンが差別化できない,といった反論がありますが,本来プログラムの思想というかユーザーに訴えるポイントがあるとすればそれは本来のプログラムの機能であって,画面の配置やコマンドの構造ではないはずです.こういった表面的な部分でしか個性を主張できないとすれば,エンドユーザーにとって混乱の元ではないでしょうか。
 過去にも,データの互換性をサポートしているソフトウェアはいくつかありました.しかし,プログラム自体は互換性がありません.しかしMS-WINDOWS上のプログラムは,プログラム自体の互換性も保証します.
 さらに,メニューやアイコンなどは,プログラム自体とは別になっているので,たとえば日本以外の国で作られたアプリケーションもリソースファイルを書き換えてリンクしなおすことで日本語のメニューを持ったプログラムにすることが可能です.このことは単に多国語対応ということだけでなく,メニューやその項目名の作成をコーディングと別にできるという利点をもっています.つまりプログラマがやるのではなく,プログラム全体を管理する人やマニュアルを作る人たちがメニューを作ることができ,責任の切りわけを行うこともできるのです.
 こういったところがMS-WINDOWSの大きな利点といえるでしょう.
――MS-WINDOWSを使うことで新しいハードウェアにも対応が可能だといいますが,今後登場する新しい周辺装置についてはどうお考えなのですか。
 あるメーカーがプリンタを作ったとすると,ソフトウェアハウスにお願いしてアプリケーションに対応してもらうとか,あるいは純正品のプリンタとコンパチブルにするしかないわけです.逆にソフトハウスから見れば,アプリケーションの対応できるプリンタは開発時点で利用できるものに限られるわけで,そのソフトの発売以後に発表されたプリンタにはソフトウェアのバージョンアップでしか対応しようがないわけです.
 逆にサードパーティがオプションのハードウェアを作る場合でも,そのハードウェア用のすべてのソフトウェアを用意する必要はなく,単にWINDOWS用のドライバを用意することで,システムに組み込めます.さっきのプリンタでもプリンタケーブルのようにドライバを添付することで,従来のアプリケーションに対応できるようになるわけです.つまり,特定のソフトウェア,マシンの組合せに依存しないハードウェアをすぐに利用できる形で供給できるようになるのです.
――MS-WINDOWSという今後のアプリケーションのありかたを変えるようなシステムが登場したという前提で,今後のパーソナルコンピュータ界の方向性についてお話しいただきたいのですが。
 来年再来年という話でいえば、デスクトップパブリッシングや286,386という話になるのでしょうが,その実態という観点から考えれば,ネットワークスのありかたが実用のレベルに達し,また8086,80286のアーキテクチャが認められて広まっている時代だと思います.
 それからキャラクタベースのアプリケーション――たとえばワードプロセッサやスプレッドシートですが――からグラフィックスベースのソフトウェアへの転換の始まる年だと思います.完全に移行するには,まだまだ時間がかかるでしょうが,今年はそのきっかけをつかむ年になるのではないでしょうか.
 現在の日本の状況を見ているとハードウェアではたしかにアメリカに追いつき,追い越したかなと思いますが,どういう環境でパーソナルコンピュータが使われているかを見てみると,アメリカでCP/M-80の上でWordstarが使われた時代,つまりディスクBASICを使うのではなく,OSの環境上でアプリケーションを動かすのが本来の目的だったと気付いてパーソナルコンピュータが広まり始めた頃に相当するのではないでしょうか.ここで日本の事情を考えてみると,ハードウェアに関しては先に進んでしまったのですが,今になってどういう環境でパーソナルコンピュータが使われるべきかということに気付くレベルにようやく到達したのじゃないでしょうか.
 デスクトップパブリッシングや新しいCPUといった,2歩先,3歩先のことは議論としては面白いのですが,その手前にある,たとえばネットワークスがはやってきたときに,それはどうやって使われるのか,その上で動くアプリケーションといった問題に関して実際に対応するといった時期なのではないでしょうか.
 そういった身近な問題といえば,80286を採用するマシンが当たり前となった今,過去に書かれたアプリケーションがちゃんと動くのでしょうか.80286と8086の細かな違い,たとえばゼロ除算エラーの場合などですが,その対策をあらかじめ組み込んであるかないかで,今になって大きく事情が変わってきます。もし何万本も市場に出回っているとしたら,どうすればいいのでしょうか.このように次の世代に対する備えをもっと幅広くやっておかないと,今後の対応がどんどん難しくなるのです.
 MS-DOSの新しいバージョンといった話は先々の話であって,そういう動向を踏まえながら,現在のものをどうするかということを考える必要がある,今はそういった時期ではないでしょうか.

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古川氏は5年先10年先の話をしているかのようだった。34年前の一般ユーザには共感を得られなかったはずだ。当時は8086,80286という腐れCPUを使っていた。使い物になるプログラムを作るにはアセンブラが必須でクロック数を数えてブラッシュアップしていた。カーソールがオーバーランするような言語道断な市販プログラムもあったほどだ。
IOポートをガンガン叩き、物理アドレスでメモリにアクセスしていた時代古川氏の言っているようなコードを書いたプログラムが実用レベルには到底達していなかった。ユーザは5秒経ったらリセットボタンに指が伸び、10秒待たされたらリセットボタンを押していた時代だった。8bitから使っていたユーザからは16bitのくせになんでこんなクズプログラムがあるんだと怒っていた(多分私の周辺の少数ユーザだけだろうが)






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