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X68000、米国業界、日米係争(月刊ASCII 1987年1月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESS からパソコン業界関係の記事をスクラップする。

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2月上旬発売予定のX68000の価格が決まったという記事。これだけで記事になるほどX68000は期待された機械だった。価格は389,000円。

ASCII1987(01)b03IBMクローンに受難_W520.jpg
「IBMクローンに受難の時代到来か?」
との記事だが、歴史はIBMクローンがIBM社を駆逐した。なのに34年前はIBMクローンの先行きに不安があった。ここから先一体どうしてIBMが負けたのかスクラップしていくと原因とかターニングポイントが分かるだろう。楽しみだ。

ASCII1987(01)b03IBMニューPC_W520.jpg
「IBM PCの死、ニューPCの誕生」
これも本当にこんなことがあったのかとこの記事がなければ信用できないことだった。New PCのメインCPUが8086だって?バカにするなと。何を考えているのかと34年後の今でも思う。

ASCII1987(01)b03Apple新製品_W520.jpg
「1987年Apple社新製品予想」
まあ競馬の予想のようなものだ。オープンMac、スーパーMacなんて記憶にない。

ASCII1987(01)b04日電インテル係争_W520.jpg
34年前は日米で著作権問題で争っていた。日本が中国のような立場だった。

ASCII1987(01)b05ダンピング_W520.jpg
日米貿易不均衡問題は日本が不正なダンピング輸出をしていると抗議されていた。

ASCII1987(01)b06日立スパイ_W520.jpg
日本はスパイもしていた。和解後、和解契約の見直し作業を続け、合意にこぎつけた。
34年後中国は酷い国だと非難しているが、昔は日本もそうだった。





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パソコン広告(月刊ASCII 1987年1月号1) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

もう一度読み返し、スクラップする。

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裏表紙は前号に引き続き、FM77AV40ひょうーげん族だった。

1月号の広告から、まず表紙見返し。
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PC-98LTはPC-9801シリーズとの互換性が不完全なので人気がいまいちだった。だってそうだろう。PC-9801シリーズのソフトが動かなければこれを買う必要がない。別の会社の機械でいいのだから。

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PC-8801シリーズ(PC-8801MH、PC-8801FH)に久々のアイドル起用広告が登場。斉藤由貴だった。

ASCII1987(01)a02スーパーMZV2_W520.jpg
シャープのスーパーMZ V2 は前号の使いまわし。

ASCII1987(01)a03X68000_W520.jpg
シャープらしいマシンのX68000の広告が登場。発売予定が2月の先行広告だった。持っているだけで楽しくなる機械だと思った。私は、直前にPC-9801VX2という残念マシンを買ってしまったのでX68000は買えなかった。

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シャープのX1turoZの広告。X1turboIIIの上位機種なのだろうがこの機種の意義が良く分からなかった。

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IBMは機械より、利用方法の広告を続けていた。

ASCII1987(01)a06M77AV40_W520.jpg
FM77AV40は前号の使いまわし。

ASCII1987(01)a07FM16β_W520.jpg
FM16βはこの号も前号の使いまわし。

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左頁はソニーのパーソナルワークステーション NEWS の広告。見開き広告でないところにこのパソコンに対するソニーの冷淡な態度が想像できる。

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左頁が服部セイコーのワープロ SX-200G パソコンが無くてもここまでできますよという製品の広告。

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一太郎は毎月見開き広告を掲載している。仕事で使うのは一太郎一択だった。一太郎とリンクして使えるソフトがこんなにありますよという広告。ほとんどプラットフォーム化したソフトだと感じさせる広告だった。

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右頁が東芝のJ-3100用の一太郎の広告。PC-9801用の一太郎と辞書、文書ファイルの互換が売り。

ASCII1987(01)a11サスケ_W520.jpg
右頁がPC-98LT専用のサスケというワープロ。一太郎Ver.2と互換性がある。これ一つをみてもPC-98LTというマシンはPC-9801シリーズとは互換性がない別マシンということが分かる。34年前互換性があると勘違いして買って泣いたユーザはどの位いたのだろうか。

ASCII1987(01)a20裏サバティーニFJJI_W260.jpg
裏表紙裏の広告はこの号もサバティーニもといFUJI FILMのフロッピーディスクの広告で前号の使いまわし。

ASCII1987(01)a50ログイン通信_W520.jpg
ASCII1987(01)a50べーしっ君_W360.jpg
ログインの広告とべーしっ君。
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表紙・裏表紙・見返し広告一覧(月刊ASCII 1987年) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

1987年の広告は、前年に引き続き裏表紙を富士通が、表紙見返しをNECが独占した。パソコン市場の趨勢が固まったのが広告から分かる。

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裏表紙は前号に引き続き、FM77AV40ひょうーげん族だった。
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裏表紙は前号に引き続き、FM77AV40ひょうーげん族だった。
ASCII1987(03)表裏_W520.jpg
裏表紙は デルフィーヌ 麻衣子 シアンビ が起用され、FMRシリーズに変わった。
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裏表紙は デルフィーヌ 麻衣子 シアンビ が引き続き登場し、機械はFMR-30だけになった。
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裏表紙は前号の使いまわし。
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裏表紙は前号の使いまわし。
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裏表紙から デルフィーヌ 麻衣子 シアンビ が消えた。機械はFMRシリーズだが、FMR-30を推している。
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裏表紙は 荻野目慶子 に変わった。機械はFMRシリーズだが、FMR-30を推している。
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裏表紙は 引き続き 荻野目慶子 で機械はFMRシリーズだが、FMR-30を推している。
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裏表紙の 荻野目慶子 が小さくなった。機械はFMRシリーズで新たにトランスポータブルのFMR-30BXと32ビット機のRMR-70HDが登場した。
ASCII1987(11)表裏_W520.jpg
裏表紙はほぼ前号の使いまわし。
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裏表紙に 南野陽子 が登場した。機械の写真はFM77AV40EXだった。

表紙見返しの広告はこの年もNECが独占した。
もうPC-9801VMで市場をほぼ独占したので、それ以外の機種を前面にだしている。ということはこれらの機械はPC-98シリーズの中でも残念な機種ということになる。
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PC-98LTはPC-9801シリーズとの互換性が不完全なので人気がいまいちだった。だってそうだろう。PC-9801シリーズのソフトが動かなければこれを買う必要がない。別の会社の機械でいいのだから。
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PC-98XLもPC-9801シリーズとの互換性が不完全でしかも価格が高い。ハイレゾモードもそのモードでなければならない必然性がないというか、ハイレゾモードでなければ使い物にならないソフトが少ないので買ってもらえない。
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この号は1月号のほぼ使いまわしのPC-98LTの広告。
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3.5インチFDDを前面にだしていたが、この当時は普及数がまだ5インチに負けていた。
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ひと月置きにPC-98LTの広告をしている。
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この号もPC-98LTだ。
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PC-9801UV2の広告。この当時私の周りには3.5インチFDDのマシンを選ぶ人がいなかった。
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PC-9801VX21が出た。PC-9801VX2が出てから1年も経たずに新機種が出た。PC-9801VX2を買ってしまった私は大変落胆した。こんなに早く新製品が出るとはまったく思っていなかった。
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この号は3.5インチFDD搭載マシンのPC-9801UV21とPC-98LTの広告。
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前号のほぼ使いまわし。
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PC-98XL2は80386を積んだハイレゾマシンにPC-9801との互換性をとるためにV30を積んだ1台で2台分使える機械だった。お値段も2台分というわけでもないだろうが、988,000円もした。こんな無駄なマシンをPC-9801を持っている人は決して買わないだろうと思っていた。
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PC-9801UX21とPC-98LTの広告。3.5インチFDD搭載機推しがうざい。

ASCII裏表紙、表紙見返し掲載メーカー・機種

裏表紙表紙見返し
年月会社機種会社機種
1980年1月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1980年2月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1980年3月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1980年9月号NECPC-8001EPSONTP-80E
1981年1月号NECPC-8001EPSONMP-80
1981年8月号NECPC-8001AppleAppleII
1981年9月号NECPC-8001AppleAppleII
1981年10月号NECPC-8001AppleAppleII
1981年11月号NECPC-8801AppleAppleII
1982年1月号NECPC-8801AppleAppleII
1982年2月号富士通MICRO8AppleAppleII
1982年3月号NECPC-8801AppleAppleII
1982年4月号富士通MICRO8AppleAppleII
1982年5月号if800AppleAppleII
1982年6月号富士通MICRO8AppleAppleII
1982年7月号if800AppleAppleII
1982年8月号富士通MICRO8NECN5200
1982年9月号if800NECN5200
1982年10月号富士通MICRO8NECN5200
1982年11月号if800AppleAppleII
1982年12月号富士通FM-7AppleAppleII
1983年1月号if800AppleAppleII
1983年2月号富士通FM-7NECN5200
1983年3月号if800NECPC-8001mkII
1983年4月号富士通FM-7NECPC-8001mkII
1983年5月号if800NECPC-8001mkII
1983年6月号富士通FM-7NECN5200
1983年7月号if800NECN5200
1983年8月号富士通FM-7NECPC-8000mkII
1983年9月号if800NECPC-8200
1983年10月号富士通FM-7NECPC-8801
1983年11月号富士通FM-11NECPC-8001mkII
1983年12月号富士通FM-7NECPC-9801F
1984年1月号富士通FM-XNECPC-8001mkII
1984年2月号富士通FM-XNECN5200
1984年3月号富士通FM-11NECPC-8001mkII
1984年4月号富士通FM-11NECN5200
1984年5月号富士通FM-11NECPC-9801E
1984年6月号富士通FM-77NECPC-9801F
1984年7月号富士通FM-77NECPC-9801F
1984年8月号富士通FM-77NECPC-8801mkII
1984年9月号富士通FM-77NECPC-8801mkII
1984年10月号富士通FM-77NECPC-PR201
1984年11月号富士通FM-77NECPC-9801F3
1984年12月号富士通FM-77NECPC-9801F3
1985年1月号富士通FM-77NECPC-9801M2
1985年2月号富士通FM-77NECPC-9801M2
1985年3月号富士通FM-11AD2+NECPC-9801M2
1985年4月号富士通FM-11AD2+NECPC-9801M2
1985年5月号富士通FM-11AD2+NECPC-9801M3
1985年6月号富士通FM-NEW7NECPC-9801M3
1985年7月号富士通FM-NEW7NECPC-98XA
1985年8月号富士通FM-NEW7NECPC-98XA
1985年9月号富士通FM-NEW7NECPC-9801VM2
1985年10月号富士通FM-NEW7NECPC-9801VM2
1985年11月号富士通FM-NEW7NECPC-9801VM2
1985年12月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年1月号富士通FM16πNECPC-9801U2
1986年2月号富士通FM16πNECPC-9801U2
1986年3月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年4月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年5月号富士通FM16πNECPC-9801VM2
1986年6月号富士通FM77AVNECPC-9801VM2
1986年7月号富士通FM77AVNECPC-9801UV2
1986年8月号富士通FM77AVNECPC-98シリーズ
1986年9月号富士通FM77AVNECPC-98シリーズ
1986年10月号富士通FM77AVNECPC-9801UV2
1986年11月号富士通FM77AVNECPC-9801UV2
1986年12月号富士通FM77AV40NECPC-98シリーズ
1987年1月号富士通FM77AV40NECPC-LT
1987年2月号富士通FM77AV40NECPC-98XL
1987年3月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年4月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年5月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年6月号富士通FMR-30NECPC-98LT
1987年7月号富士通FMR-30NECPC-9801UV21
1987年8月号富士通FMR-30NECPC-9801VX21
1987年9月号富士通FMR-30BXNECPC-9801UV21
1987年10月号富士通FMR-30BXNECPC-98LT
1987年11月号富士通FM77AV40ENECPC-98XL2
1987年12月号富士通FM77AV40NECPC-9801UX21
機種が複数掲載されているときは、1写真付き、2写真の大きさ、3写真の配置が上位と思われるものを代表機種として記載した。

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ワークステーション時代に向けて(月刊ASCII 1986年12月号10) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

「高性能なプロフェッショナル用の計算機環境とは」
の記事から
ASCII1986(12)d01_ワークステーション扉_W520.jpg
「ワークステーションの歴史を作った計算機」
の部分をスクラップする。

ASCII1986(12)d02_写真1_Alto.jpg
Alto
 現在ワークステーションと呼ばれる計算機に多かれ少なかれ影響を与えているのが,1973年Xeroxのパロ・アルト研究所(PARC)で開発されたAltoである.このAltoは,もともと文書や絵(図)などを作成・管理できる能力を持つ個人用計算機として開発された.15inch縦長のビットマップ・ディスプレイとマウスと呼ばれる画面を指示する道具(ポインティング・デバイス)を持ち,ネットワーク機能(Ethernet)を備えた現在のワークステーションの姿をその当時すでに実現していたことは非常な驚きである.
有名な話としてアップルの技術者達がパロ・アルトj研究所に行ってこれを見て感銘を受け、これを参考にLisaを作ったのだが、Altoの機能が全てソフトウェアで実現していると勘違いしてLisaを作ったというものがある。ソフトウェアで作れると思ったアップルが凄いという話だと私は思っていたが、知人は逆にハードウェアのことを知らないとは技術者として情けないと言っていた。

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XeroxStar
 実際には,Altoは市販されなかったが,PARC内だけでなく,MIT,CMU,スタンフォード大などに数多く設置され利用されたため,その後の計算機科学に大きな影響を与えている.
 Altoの生みの親であるXeroxは,1981年Altoの改良版であるStarを発表した.これは,Alto開発の目的である文書処理を中心としたオフィスでの仕事の効率化を狙ったものである.Starは,翌年1982年に日本語化されJ-Starとして登場しているが,目指すところは同じである.Starが提供する“What you see is what you get(今あなたが見ているものがそのまま得られる)"という概念は,オフィス・オートメーション(OA)を目指すシステムは計算機を専門としない利用者にとって抵抗なく利用できなければならない,ということを正確に表現していると言えよう.
 Starは,Altoの思想をほとんどそのまま継承しており,プロセッサはマイクロ・プログラム制御でマウスとA4判の原稿を2枚ならべて表示できる大型のビットマップ・ディスプレイを持っている。特筆すべき点は,XINS(Xerox Information Network System)に基づいた通信機能を備えていることである.例えば,ファイル・サーバと呼ばれるものは,大容量のディスク装置を管理し,各ワークステーションのローカル・ディスクの容量を補っている.また,データベースなど複数の利用者で共有するファイルの管理もこのファイル・サーバで行われる.プリンタ・サーバは、レーザ・プリンタなど高機能で高価な出力装置を共有するため,それらのプリンタの管理を行う.この他,電子郵便における電話帳の役目をはたすネームサービス(XINSではクリアリングハウスサービスと呼ばれる)などネットワークの機能は非常に充実している.
“What you see is what you get"日本で素人にもこの考えが降りてくるにはまだまだ年月が必要だった。それにLANもなかなか利用できなかった。ASCIIの記事は早すぎてこれらの概念が素人に降りてくるまでには記事があったことをすっかり忘れてしまっていた。

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PERQ
 Starの発表と前後して,米国ピッツバーグにあったThree Rivers Computer社(その後,PERQ Systems社と名前を変える)が1979年に発表したPERQは,商用機としては最初のワークステーションとなった.PERQはStarとは異なり,OAだけを目的としたワークステーションではなく、汎用のワークステーションとして開発された.ハードウェア構成はAltoに非常に類似している.
 このPERQで特筆すべきことは,上記のCMUのSpiceプロジェクトとの関係である.Spiceプロジェクトとは,CMUの計算機科学科のスタッフ全員(このスタッフには教員・研究員だけでなく学生も含まれている)に1人1台のワークステーションを与え,計算機科学の研究のための環境を整備することを目標としている.このプロジェクトは,最終的には独自のハードウェアを含むシステム全てを開発することを目指しているが,初期のソフトウェア開発用の計算機としてこのPERQが選ばれたのである.その結果,一時はCMU内に何台のPERQがあるのか正確にはわからないというぐらい多くのPERQが設置された.CommonLispの原型となったSpiceLispやAccentと呼ばれるオペレーティング・システムなどは,このSpiceプロジェクトの成果の一部である.
 Accentはネットワークを考慮した新しい概念を持ったオペレーティング・システムである.例えば,ネットワーク上にある計算機Aでの負荷が非常に高く処理能力の限界にあるときに,他の計算機に処理の一部を依頼することができる.このような機能は負荷分散と呼ばれるが,特におもしろいのはすでに計算機で実行中の処理をそのまま他の計算機に移動させることができることである.
 残念ながら,PERQ Systems社は倒産し,Spiceプロジェクトは同じハードウェアを異なる目的に利用することは困難であるという結論に至ってしまったが,その概念とそこから生み出されたソフトウェアはワークステーションだけでなく,その後の計算機科学に大きな影響を与えるだろう.


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SUN
 Altoの登場以後,たくさんのワークステーション・メーカー(そのほとんどがベンチャー・ビジネスであった)が現れては消えていった.1986年の現時点において生き残っているのは,ApolloやSUNをはじめとするごくわずかである.特にSUN Microsystems社は1981年の後半たった5人のベンチャー・ビジネスとして始まったが,今では2000人もの社員を抱える立派な大企業である.ではその成功の秘密はどこにあるのだろうか?
 SUNのパンフレットには,次のような言葉が書かれている.
Yes,We're Open.
Open Systems for Open Minds.
 これらの言葉は,SUNの提唱する開放型ネットワーク・アーキテクチャを意味している.例えば,SUNが提案するNFSと呼ばれるネットワーク・ファイルシステムでは,そこに接続される計算機を特定していない.そこ接続される計算機がIBMのメインフレームあっても,DECのスーパー・ミニコンピュータであっても,さらにはPC-ATのようなパーソナル・コンピュータであってもかまわないのである.つまり,すでに設置されている計算機を捨てることなくSUNを導入できるのである.このアーキテクチャは,今後他社のワークステーションでも採用されていくことになるだろう。

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IBM RT-PC
 1986年の1月に発表されたIBM初のワークステーションRT-PCは,そのプロセッサにRISCを採用したということで注目を集めた.RISC型アーキテクチャの目的は,命令の種類を少なくすることにより,ハードウェアを簡略化し1つ1つの命令の速度を向上させ全体の実行速度を上げることにある.実際には,RISC型のプロセッサでの高速実行は,少ない命令と比較的多数(RT-PCでは16個)のレジスタを効果的に利用するための最適化がうまくできるか否かにかかっている.RT-PCでは,この最適化を効果的にするためにVRM(Virtual Resource Manager)と呼ばれるものを導入している.
 このVRMとは,直接ハードウェアを管理するソフトウェアで,オペレーティング・システムやアプリケーションプログラムなどはこのVRMを経由してハードウェア資源にアクセスすることになる.このようにすることにより、VRMに関して最適化を行うだけで他のソフトウェアの実行速度も向上することになる.
 このようにRISC型のプロセッサは,「コンパイラにおける最適化技術」という問題を抱えているが,多種の命令を持つCISC型プロセッサの速度向上が限界に到達しつつあるため,今後のワークステーションの多くがRISC型プロセッサを採用することになるだろう.


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高級言語マシン
 以上で紹介してきたワークステーションとは異なり,特定の言語を効率的に実行しその言語のプログラミング環境の整備を目的として発展してきたワークステーションがある.Xeroxの開発したDolphin(1981年),Dorado(1982年)という一連のワークステーションは、Interlisp-Dと呼ばれるLispを高速に実行し、Lispプログラムの開発を効率良く行える環境を提供している.またこれらのワークステーションはオブジェクト指向型言語Smalltalkを実行できるものとしても注目を集めた.
 このXeroxの流れとは別に,CONS,CADRなどのLispマシンを生んだMITのLispマシン・プロジェクトから生まれたワークステーションがある.このプロジェクトのメンバーは、分かれてSymbolics社とLMI社の2つの会社を設立した.そしてそれぞれ,プロジェクトの成果を改良し製品にしあげたのである(最初のマシンの発表はLMI社が1980年,Symbolics社が1981年である).これらLispマシン開発の目的は,第1にLispの高速な実行であった.しかし,それだけを目標としていたのであれば,現在のようなワークステーション型のLispマシンは誕生しなか「っただろう.Lispマシンがワークステーションとして開発された大きな理由は,Lispという言語がプログラムの開発に大きな計算機の援助を必要としていたことにある.例えば,Lispの構文1つにしても括弧が多くその対応を目で追うことは困難である.そこで,括弧の対応を自動的にチェックする機能がシステム側に要求されるのである.
 このように,高級言語マシンのように高速な実行を目指したワークステーションでも,ただの計算を行う機械ではなく,開発環境を含めたプログラミングのための道具なのであ

35年前のワークステーションを遥かに凌駕するマシンが何に使われているかというとゲームだ。当時からは全く想像できない未来に生きていることは幸せだと思う。予想通りの未来なら既知であり、未知ではない。未知を体験できて繰り返すが幸せだ。

さて連載の「新世代への鍵」 砂原 秀樹 は、この号は私には興味がないためスクラップしない。
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パソコン新機種緊急レポート その他(月刊ASCII 1986年12月号9) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

パソコン新機種緊急レポートの最後はその他のマシンとして変わり種を2機種。

ASCII1986(12)c10テレコムステーション_W520.jpg
タブレットマシン 三洋のPCT-100。iPadは、これを一体化したものです(嘘)。
電話もついた三菱の MT-TS100。これは35年後のスマホとなりましたと言ってもいいだろう(大嘘)。

賑やかになってきたパソコン・ハードの世界
 秋のショーを終えて、新製品が出そろった。ここでは今年後半に発表されたハードウェアを振り返りつつ、今後の動向を探ってみたい。
■8086から80286への移行
 今回のPC-9801VXおよびPC-98XLの登場で,国内の主な8086系のマシンの80286への移行が完了した。これにより,日本でも本格的な80286CPUの時代を迎えたことになる.
 この80286には,マルチタスク処理を考慮し,仮想記憶が可能なプロテクトモードがある.しかし,現在のMS-DOSは、マルチタスク機能をサポートしていない.このため80286は,8086と互換性を保ったリアルモードで動作させるケースが多い。つまり,現時点の80286は、大概の場合,V30などと同様に「高速な8086」として利用されている.
 最近のソフトウェアの動向のひとつに、日本語GEMやMS-WINDOWSなど,ユーザーインターフェイスを追求したウィンドウ環境がある.これらをスムーズに動作させるには,強力なCPUパワーが必要なことは明らかである.また,身近なところでは,ATOK5,VJE-Bなどの日本語入力FPも複雑なアルゴリズムを採用し、快適な日本語入力のためには,マシンパワーの向上が望まれている.こうした側面から見て、「高速な8086」は,ユーザーにとっては有意義な存在であると言えるだろう。
 しかし,国内においても「しのぶれど」などのように単独でマルチタスク(多少の制限はあるが)をサポートするアプリケーショがいくつか発売されており,今後,ユーザの利用方法が高度化するにつれて,マルチスク機能へのニーズは高まっていくことが予想される.そういった意味では,80286マシンの普及により,マルチタスクOSへの期待は膨らむ.噂されているMS-DOSのマルチタスクバージョンの登場も,来年あたりにはありえるのではないだろうか.

■ラップトップマシンの登場
 データショウで初めて一般に公開された日電のPC-98LTと東芝のJ-3100は、ラップトップマシンという目新しさで、入場者の関心を大きく買っていた.
 この2機種は, ① フロッピー(またはハード)ディスクドライブを内蔵, ② OSにはMS-DOSを採用, ③ 640×400のディスプレイを装備, ④ 文節変換レベルで日本語入力が可能――といった共通の特徴を持っている.これらの特徴から,カラーイメージに関する処理を除けば,従来のデスクトップ(机上設置)型マシンとほとんど見劣りしないことがわかる.以前からあるハンドヘルド・コンピュータとは一線を画しているのである.
 しかし,ここまでの機能を装備したラップトップをどのように利用するのか、ある意味で、ユーザー自身も問われているのである.

 ソニーのNEWSの登場により,パーソナルレベルのコンピュータもいよいよ強力になってきている.その一方で8bitマシンもビジュアル機能と日本語処理機能を充実させ,ホームコンピュータとしての定着を狙っている.
 国産の68000パソコンというバリエーションも増え,ハードウェアの世界は賑やかになってきた.各マシンのソフトウェアと周辺機器が,より充実していくことに期待したい.

 80286マシンが登場してから、マルチタスク マルチタスクとうるさかったが80286マシンにそんな時代は来なかった。PC-9801VX2を買って泣いていた私からみるとこいつはなんと腐れたCPUだろうと呪っていた。なまじパイプラインを持っているからI/Oを叩くときはジャンプ命令を使ってパイプラインを切断してWait調整をしなければならなかった。パイプラインが無ければクロックを計算してプログラムをかけたのに。8086の方がましだと思ってた。まあ、高速な8086だと思ってもI/Oアクセスのときの手間やセグメントレジスタを操作すると遅くなるのを知ればありがたみが全くない。8MHzの80286より10MHzのV30の方がよっぽどましだと思ってた。
 だいたい80286ごときでマルチタスクだと!ちゃんちゃらおかしいわ。386のWindows3.1になってもマルチタスク以前に複数のアプリを立ち上げ使用しているとフリーズしてた。PageMakerを使っているときは一作業終えるごとにファイルを保存していた。ちょっと重たい処理をするときは、ディスプレイに向かってお祈りをしていた。
 何十万も払った機械、ソフトなのに、よくもあんな環境で仕事をしていたものだ。

 ラップトップはPC-98LTのPC-9801シリーズとの互換性のなさにうんざりして、なにが悲しくて日電のラップトップを買わなければならないのかと無視を決め込んでいた。この頃の機械は作ってみました。わが社の実力を見てください的なものだったと思う。

 NEWSやX68000が登場したが、ソフトが少ないのが残念だった。この時代まだまだPC-9801の天下が続く、98アンチにとっては苦々しく思う時代だった。
 あ、1つ自虐を思い出した。他人のマシンの悪口をいうと喧嘩になったりするので、自分が買ったマシンの悪口を言って、自分で金を出して買ったのだから文句を言ってもいいだろう。その文句は買った自分に跳ね返ってくるのだから。「買ったあんたがバカだったんだね」と言われて「そうです、こんな糞ったれマシンを買った私はバカです」と開き直るのだ。

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パソコン新機種緊急レポート ソニーNEWSインタビュー(月刊ASCII 1986年12月号8) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ソニーのNEWS開発者に対するインタビューの記事があったのでスクラップする。35年前の空気はこのような開発者の発言からでしか分からないものもある。

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●ワークステーション
ソニーNEWSの開発者に聞く

エンジニアが、自分達の欲しいマシンを作った

 ソニーが開発した「NEWS」は、オペレーティングシステムに日本語UNIX4.2BSDを採用したワークステーションである.スタンドアロン・システムの最小構成で215万円という低価格を実現しており、個人用ワークステーション市場を活性化するマシンとして注目を集めている。
 ここでは,その開発に当たったスーパーマイクロ事業開発室の土井利忠部長にインタビューし,開発の背景と経緯、そして今後の動向などについて語ってもらった.

■開発目的は,自分達が欲しいマシンを作ること
――「NEWS」の開発の経緯は?
土井 昨年の8月に組織を作り、9月にエンジニア11人のグループで32bitのワークステーションを作ろうというプロジェクトが発足しました。当初の開発の方向は,オフィスのセンターになるようなものから,CAD/CAMを含めたソフトウェアの開発まで,すべての「核」となるようなマシンを計画していました.いわゆる,いろいろなアプリケーションに展開できる「核マシン」を安く作ろうと考えていたわけです。
 ところが,エンジニア達が何を始めたかというと,「自分達が欲しいマシン」を作り始めたのです.それは、一人で専有できる,かなりハイパフォーマンスでバークレー版のUNIXが走るマシンだったのです.私のほうも,「まあ、それもいいだろう」ということで,彼らを自由にさせていました.

――バークレイ版のUNIXを選んだ,その理由は何ですか。
土井  ソニーの内部が,ほとんどバークレイ版を使っているというのが一番の理由でしょう.バークレイ版に慣れきっていて,その他は使えないんですね. そこで,Sunワークステーション以上のパフォーマンスのものを、より安く、より小さく,という大雑把な目標を出したわけです.これも上からの指示ではなく、エンジニアの意向でした.そして当初の目標だった「核マシンの開発」は、「自分達の欲しいマシンの開発」へと変わっていったのです.
■短期間に良いものを作り、安く提供するには?
――今回のプロジェクトは,従来の事業部体制ではなく,「社内ベンチャー」だということですが,その意味はどういうことなのでしょうか。
土井  マシンのターゲットを考えたときに,オフィス市場ではなく、ノン・オフィス市場だということになりました.ところが,ソニーにはノン・オフィスの事業部はないんですね.そこでどうしようかと悩んでいるうちに,突如,社長から「社内ベンチャーでやるように」という話がきました。そして今年5月1日付けで社内ベンチャーとして発足したわけです.
――社内ベンチャーでやってきて、よかったことは何でしょう。
土井  ワークステーションの分野は,進歩がとても激しくてトップは指導のしようがない,そしてデシジョンをできるだけ早くしなくてはならないので、いちいちトップに話を上げていたのでは間に合わないんですね.基本的には,「トップは金は出すけど口は出さない」というのが1番目.
 そして、ソニーも大きな会社になってしまっていて、原価計算体系みたいなものがガッチリと決まっているんです.いわゆるオーバーヘッドの大きい組織になってしまっているわ|けですね。「ハイパフォーマンスのマシンを小さく,安く」というのが目的でしたから,小さな組織でコストを押さえようというのが2番目の理由ですね.

――NEWSの基本的なコンセプトは?
土井  基本的な路線は分散処理です。内部での開発も考えましたが,実力が伴わなくて取り組める状況ではない.また独自のものを打ち出しても,それを普及させていく力はない.そこで,すでに世の中で広まっている環境のなかに,すぐに入っていけることが重要だと考えました.
 そうして,バークレイ版のUNIXとEthernet,NFSの組合せを考えたのです.Xwindowも初めから着眼していました.分散処理を追求していくと,ウィンドウ・システムはXwindowみたいなものが必要になってくるんですね。
 次に考えたことは、「パーソナルコンピュータとの共存」でした.現在,何百万台というパーソナルコンピュータがあるのは事実です。それと共存できないようなマシンでは,ユーザーのメリットにならない.パーソナルコンピュータ上のアプリケーションをそのまま継承できるように考えました。つまり,我々の分散処理環境は,パーソナルコンピュータを含んだものなのです.そのためには,NFSのPC-9801バージョンが必要です.すでに米国ではIBM PCバージョンが発表されているので,PC-9801バージョンが早く出てくるように待っているところです.
 また,漢字コードにシフトJISコードを「採用したのも,パーソナルコンピュータとの共存を考えてのことです.
 値段もパーソナルコンピュータとの共存を考えて,できるだけ安くしようとしました.|すべてその背後には,1人1台専有したいという,開発エンジニアのエゴが,そのまま反映しているのです.そして、うちのエンジニ|アが欲しがるものは,他のエンジニアも欲しがってくれるにちがいないと思っています.

■ソニーの使命は、よりハイパフォーマンスのものを小さく,そして安く提供すること
――今後の開発予定は?
土井  ソニーはコンピュータメーカーではないので,コンピュータメーカーと同じことをしていては勝てないし,社会的使命も果たせないと思っています.業界のなかでのソニーの使命は、ものすごくハイパフォーマンスのものを小さく,そして安く供給していくことでしょう.
 来年にはMC68030も出てきますし,RISCのチップもいろいろなところから発表されていますので,これらを使った相当ハイパフォーマンスのマシンも登場してくるでしょう.我々も新しいことに関して十分意欲を持っています。ロング・レンジで考えると,今のパーソナルコンピュータよりも安くて,平たく言えばVAX並みの性能を持ったものを追求していくということと,UNIXマシンが世の中で広く使われていくようになるための手伝いをするのが使命だと思っています.
 またソニーは,ビデオに関して優れた技術を持っていますので、グラフィック関係はそれなりにきちんとサポートしていきます。私自身もCD-ROMの規格作りに参加してきていますし,私がNEWSのプロジェクトの他に見ている開発研究室第1部は,CD-ROMグラフィックを担当しています.グラフィック分野でしなくてはならないことは,だいぶ見えてきました.
 今回発表したなかに3つのグラフィックオプションボードがあります。1つはモノクロで816×1024ドットのドキュメントの世界.これは,ソフトウェア開発とオフィスでの利用を設定しています。縦長の画面はインチ100本で,「What you see is what you get」を満足させるもの、しかも,長時間労働に耐えられるようにノン・グレア処理にCRTそのものよりも高いお金をかけています.
 2つめは768×512ドットの自然画が扱えるグラフィック,つまりRGB8bitずつ、合計24bitの色の深さを持ったものをサポートしています.そして,VTRやカメラとの接続も考えています.デジタルVTRとCD-ROMの規格は合わせてありますし,これがグラフィックのスタンダードになっていくだろうと思っています。来年くらいからソフトウェアを開発していくことになるでしょう.今は,開発に協力してくれる会社を募集しているところです。
 3つめは1280×1024のもので,CAD/CAMの分野を考えています.これは,Xwindowが速く走るように工夫したボードです.具体的にいうと,各プレーンごとにラスタオペレーションのLSIを積んでいます。そういう意味ではとても贅沢な設計ですが,それ以外のグラフィックエンジンは全く積んでいません.ですから,描画に関しては全部ソフトウェアでやらなくてはならない.これはどういうことかというと,グラフィックエンジンを持ったワークステーションと,PC-CADのちょうど中間にくるものを想定しているのです。将来はグラフィックエンジンを持ったものを導入していく計画ですが,現在は、このクラスのものが一番求められているのではないでしょうか.
 またオペレーティングシステムに関しては,EOSの採用も考えています.これからSystem Vのリリース3.0に関して十分調査し,EOSを魅力あるものにして提供したいですね.シフトJIS,JISの両方の漢字コードをサポートするために,JISコードの方にフィルタを積むことになって、少し高機能で値段も多少高くなるかもしれません.しかし,もう一方は、うんと安く小さくして提供していくつもりです.そして,両方とも同じ環境下で利用できるものにしていきたいと思っています。

「私は,メンバーをセレクトしてチームを構成したということと,チーム員の邪魔をしなかった,という多大な貢献をしました」という土井氏.エンジニアに,自分達が欲しいマシンを自由に開発させた,という度量は計りしれない大きさを感じた.その結果,エンジニアのエゴがそのままNEWSの魅力となっているのだろう.1人1台のワークステーション時代に向けて,今後の活躍に大いに期待したい.

Unixなので無知な私には分からないことだらけだが、もっと早くに一般(素人)まで降りてくれば良かったのにと思った。MS-DOSでも十分面白かったが、同じコマンドラインならUnixだったら良かったのにと思う。
インタビューを読むと、技術力があっても営業力がなければなあと思う。良い機械を売るのは並み以下の営業でもできる。可もなく不可もなくの機械を売るのはやはり優れた営業の力だと思う。
話は変わって、PC-9801は悪い機械ではなく、可もなく不可もなくの機械だと思っていた。私が悪く言うのは、私自身が間違えた方向に進んでいったからだと、逆恨みをしていたのだと今になって思う。悪いのは8086であって8086は許せないがこじれていった。


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パソコン新機種緊急レポート 8bitマシン(月刊ASCII 1986年12月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

基本的に記事を読んでも何も思い出せない。周りに持っている人がいなかった。
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FM77AV40は画像表現力が優れていたこと。26万色表示ができるということはより美しいゲームができるということ。しかし、それでも市場を制覇できるアドバンテージとはならなかった。
同時に発売された FM77AV20 はよくわからん。廉価版ということだったのか。
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PC-8801FH, PC-8801MH は日電得意のフロッピーディスクのタイプを変えた機械。高速になったというが、過去のアクションゲームはマシンスピードが速くなったら困るのでスイッチで低速化できるようになっていた。なんだかなぁ。

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X1turboZは記事を読んでも改良点が微妙でコメントできない。私の2台目のマシンX1の末路はこうだったのか。

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WAVY-77はパソコンというよりワープロの姿をしていた。35年前のワープロ需要は大きなものがあった。パソコンは使えないというか何十万円も出せないが、十数万円なら出せるというビジネスマンには需要があったと思われる。

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パソコン新機種緊急レポート LAPTOP(月刊ASCII 1986年12月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

LAPTOPマシンが2台紹介されていた。

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PC-98LTは名前がPC-9801LTでないことで分かるようにPC-9801シリーズとの互換性がない。これではだめだ。互換性がとれない理由はテキストVRAMがないこととG-VRAMが1枚しかないことだった。PC-9801のソフトはハードウェアに依存したプログラムであり、というか、そうしないと速度的に使い物にならなかった。こうして思い出すと8086は本当にくずだと当時の思いがよみがえる。16ビットとは名ばかりで特別なV-RAM等を作り、ハードウェアを直接叩かなければならない。PC-9801シリーズも8ビット機と同様にハードの解説書を読んでマシン語でプログラムを作ってた。Basci+マシン語を使わなければ8ビット機にも劣るとバカにしていた。

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東芝のJ-3100は魅力的なマシンだった。何回か書いたが、知人はこれを使って仕事をしていた。パソピアとかつまらないマシンを作っていた東芝だったが、J-3100はこれこそがラップトップだと言える良い機械だった。東芝もやる気になればできるではないか。J-3100は客先でも良いデモンストレーションができただろう。

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パソコン新機種緊急レポート X68000(月刊ASCII 1986年12月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESS は新機種緊急レポートのスクラップ2番目はシャープのX68000
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ASCII1986(12)c08X6800_写真_W511.jpgX68000はシャープなら出しても不思議ではないマシンだった。
マシンのスタイルはマンハッタンシェイプと呼ばれる格好いいものだった。ビジネスマシン風の他社のマシンとは一線を画していた。

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CPUの68000はインテルの8086系CPUが嫌いな人たちには待望のマシンだった。

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細かいことだけど5インチFDDがオートローディング、オートイジェクトができるのも格好良かった。知人が持っていたが、それを見ているだけでワクワクした。

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裏の姿もこうして写真を見ているだけでも気分が良くなる。

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65,536色の表現力もトラックボールになるマウスも魅力的。持っているだけで楽しくなるマシンだった。

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価格だって369,000円とPC-9801VX2の433,000円より安い。これはいい勝負ができると思っていたが、お金を持っている大人たちはPC-9801を既に買っていたので趣味にさらにモニタを含め50万円位の金を出す余裕は無かったと思う。35年前パソコンを複数台持つことは普通ではなかった。PC-9801のハードには全く魅力を感じなかったが、豊富なソフトの魅力はかなりあった。ソフトを使いたくてPC-9801に転んでしまった。
X68000は、結局ゲームしか無かったような気がする。PageMakerやPhotoShopのようなグラフィックを使いこなせるソフトが出てくれば良かったのに。
Mac用の素晴らしいソフトウェアが移植されて出ていれば良かったのに。残念だった。

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パソコン新機種緊急レポートPC-9801VX2他(月刊ASCII 1986年12月号4) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

この号のASCII EXPRESS は新機種緊急レポートがあった。
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まずはPC-9801VX2
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これを買ってしまった。直ぐに新機種が出て泣いた。「くたばれBasic!」「8086は許せない」「98の漢字処理が速い?そんなのTEXT VRAMを使ているからだろう」「マシン語で作ればBasicの100倍速いプログラムが作れる。だから98はいらない」等々のやせ我慢をしてPC-9801VM2を買わずにいたためVMの次の機種が出たら買おうかと日和りかけていたがなかなか新機種が出ない。PC-9801VM2が大成功を収めたため新機種が見送られたに違いないと後から考えていた。
じらしにじらされ待たされたためPC-9801VX2という外れマシンを買ってしまった。
記事によれば「80286は8MHz固定だが、これと10MHzのV30を比べて、発表資料によると1.7倍程度高速になるとしている。」とあったが知人の作ったプログラムを実行してみて愕然とした。VM2より遅かった。
 そもそも8086には64Kのセグメントの壁があり、このセグメント境界に起因するバグでアセンブラを使ってプログラムを作っているプログラマ(アマチュア(趣味)であっても)悩まされた。そこでデータを16bytesとか32bytesとかにパックして使っていた。後にいう構造体のような感じ。当然データを圧縮するためビットスライスを常用した。データのアクセスにはセグメントレジスタを変化させ、オフセットを0に固定して使いセグメント境界に起因するバグを回避していた。
 はてさて、知人はソフトのオープニングでグラフィックを使った上下に動く格好いいアニメーションを作った。G-VRAMはR,G,B各48Kbytesでありこのオープニングアニメーションはセグメントレジスタを変化させて使った。
 このプログラムをPC-9801VX2で動かすと隣のPC-9801VM2より遅い!
 結局インテルの腐れCPUである80286はセグメントを扱う命令のクロックが増えていたのだ。
 ここで私の心はすっかりヤサグレモードとなり、陰湿なプログラムばかリ作っていた。すなわちCPUを判別しPC-9801VX2でなければ動かないプログラムで対外的には「EGCを使っているのでEGCの無い機械では動作しないのです。」と言っていた。
 知人のアニメーションに負けた悔しさのあまり、グラフィックがVM2より遅いのは悲しすぎるのでEGCの使い方を勉強してアニメーションを作り「どうだ速いだろう」と言っていた。
 長くなったがPC-9801に転向してロクなことがなかったパソコン遍歴であった。

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ハイリゾモード(1120×750)を持っている80286マシンだがPC-9801VX2より14万円も高い。一体どの位売れたのだろうか。

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旧機種のPC-9801VM2はPC-9801VM21となり本体価格が41万5000円から39万円と若干お安くなっていた。

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