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MZ-2861 TEST ROOM,X68000開発者インタビュー(月刊ASCII 1987年6月号12) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

TEST ROOMからMZ-2861の記事をスクラップする。
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シャープはなんでも合体するのが得意だった。ラジカセ、ラテカセ、ファミコンテレビ等々。MZ-2861のCPUはi80286とZ80という組み合わせで勝負した。でも大して売れなかった。残念マシンだった。以下写真をスクラップする。
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MZ-2861はi80286プラスZ80だ。8086とZ80じゃない。8086はZ80と比較してもたいしたCPUじゃなかったから同一筐体に納めても意味不明となる。森田オセロの故森田氏は確か「Z80のアセンブラで書いた方が8086のCコンパイラのオブジェクトより早いプログラムが書ける」とい言っていた(私の記憶では)。8086のBASICで書かれたプログラムが売られていた時代の感情を思い出す。なんで皆こんなプログラムに金を払うのだろうとムカムカしていた。兎に角遅かった。最低でもCで書けよと思っていた。私はZ80でゴリゴリ誰の役にも立たないプログラムを書いて、速いだろうと自画自賛していた。
以下評価部分をスクラップする。
MZシリーズ初(?)の16ビットマシン
 MZシリーズには、MS-DOSを搭載した16ビットマシンとして,MZ-5500シリーズやMZ-6500シリーズがあるが,それらはいずれもビジネスユースを強く意識したものであり,パーソナルユース指向という意味では,今回のMZ-2861が事実上MZシリーズ初の,MS-DOS搭載のパーソナル16ビットマシンといえる.
 マシンそのものは,後発の強みを生かしてかなり魅力的に仕上がっている.MS-DOS ver3.1を搭載し,プリンタやグラフィックなどがDOS上のデバイスドライバとして用意されている点,日本語入力FPや書院28ワードプロセッサのバンドルなど,パーソナルMS-DOSマシンに要求されるポイントを確実につかんでいる.価格的にも,現行のMS-DOSマシンとしては、かなり低価格であり,Cのラーニングシステムのための入門機種としては,うってつけの1台となるだろう.また,データベースやカルク,スプレッドシートなど、ビジネス用途として要求されるアプリケーションが揃えば,本格的なビジネスマシンとしても低価格なシステムが構築できる.
 ソフトウェア資産の点からいえば,MZ-2500シリーズ用のアプリケーションを継承している点も見逃せないし,2800モードで動作するPC-9801エミュレーションソフトがどの程度のものなのかについても興味が尽きない.今月は残念ながら,PC-9801用アプリケーションを動作させるためのエミュレーションソフトの到着が間に合わなかったため、レポートできなかったが,どうやらMS-DOS上の常駐形式プログラムとして起動するものらしい.このため,ブートオンでアプリケーションが起動するタイプのソフトについては,起動できないことが予想される.また,ディスク自体にプロテクトが施された5インチ2HDメディアの場合は、3.5インチへのコンバートも問題となる.エミュレーションモードでのアプリケーションの動作スピードは,PC-9801VM(V30 CPU:8MHz)比で,約1.5倍程度を実現しているらしい.
 来月号では,書院28ワードプロセッサやPC-9801エミュレーションソフトの詳細など,ソフトウェアについてのレポートを予定している.
発売当初はかなり魅力的なマシンだと思うけど、なぜ売れなかったのだろうか。何をやってもPC-9801シリーズの牙城は崩せなかったということだろうか。このとき新たに買うユーザ層はソフトのインストール、ハードの増設とか知り合いに頼まざるを得なかったのかもしれない。取り敢えずPC-9801を買っていれば知り合いからコピーソフトも入手しやすいのでPC-9801だったのかもしれない。

TEST ROOMのX68000の記事はアセンブラ関連の記事だったのでスクラップはしない。
しかし、TBNにX68000の開発者へのインタビュー記事があった。貴重だと思うのでこれをスクラップする。
●DMA特別企画
X68000訪問記
 昨年の12月号でX68000を紹介して以来,数々のお便りが編集部へ届いています.今回は,そんな読者からの熱い声を携えて,栃木県矢板市にあるシャープのテレビ事業部を訪ね,開発者のお話をうかがってきました.インタビューに応じてくださったのは,X68000開発総責任者の鳥居勉さん,技術部門責任者の金井邦之さん,そしてソフトウェア開発担当の小林冬記さんです.
――やっと製品が出荷開始されましたね.
鳥居 そうですね.昨年10月のエレクトロニクスショウで参考出品したところ,かなりの反響がありました。出荷は予定より1カ月遅れてしまいましたが,早く皆さんにお見せした結果,ユーザーやソフトハウスの方からの御要望も聞けて,多少なりともよくなったんではないかと思います.
金井 ユーザーの方から直接,ファンレターも来たりしました.作る側としては,早く出したい気持ちと,もう少し頑張っていいものにしたいという気持ちの板ばさみで,大変複雑でした.
鳥居 名前について,初めはApple社の「Lisa」みたいなものも考えたし,「TwinX」は僕自身も考えた名前です.結局は,CPUに68000を使っていて,X1のグループが作ったマシンだということを一番シンプルに言い表している名前になりました。あとは,ユーザーの方が適当な愛称で呼んでくださればいいと思っています.まあ,非常に言いにくいということなんですが,そのほうが,一度覚えたら忘れないでしょう?
――それにしても,デザインは独特ですね.
鳥居 まず,これまでのコンピュータのイメージとは違ったものにしたかったということがあります新しいCPUを使って,新しい発想で,というのが基本にあったので,今までの形を打ち破るのが,最初からのねらいでした.
――結局はどなたのデザインなんですか?
鳥居 考えたのは技術スタッフです.
金井 机の上に立ててあるファイルを見て,こんな感じでコンピュータになったらいいなと思ったのが最初でした.それで技術者たちが,ボール紙でファイルを2冊並べた形を作ってみたんです.
鳥居 最初は取っ手もついていませんでした。でも,せっかく間があいているんだから,ここにつけよう,それならプッシュタイプのハンドルにして.......という具合で,これはメカ屋さんのアイデアです.チームワークの賜物ですね.
――OSをオリジナルにしたのはなぜですか?
鳥居 68000用のOSとしては,UNIXやCP/M68Kなどがありますが,そのどれもが開発者向けで、誰でも使えるというものではありません.そこで,まったく初めての人でも,感覚でオペレーションできるような新しいOSを考えたのです.
――V-Shellのできた背景は?
小林 パソコンを使う人は,アプリケーションを活用していこうという人と,開発用に使おうという人の2つの方向に分かれると思います。そのような状況の中で,たとえば,パソコンのコマンドなんて知らない人でも,起動時から終わりまで,マウスと画面さえあれば十分に使ってもらえる,そんな考えに立って作りました.
――機能がありすぎてマシン自体が欲張りすぎているように思うのですが
鳥居 現状では,オーバースペックと言われるかもしれませんが,ユーザーのためを思えば,ある程度先のことを考えて強力なハードにしておく必要があります.他のマシンと比較して,どの面からみても平均以上の機能があって,そして,値段が同じだったら,必要としない機能は,とりあえず使わなくてもいいわけです。やはり3年先,5年先にも通用するようなマシンじゃないといけないと思います.
――ソフトを作る時に苦労したことは何ですか?
小林 それはやっぱり時間が足りなかったことでしょうか(笑い).ハードウェアがまったく新しいものなので,まずOSを考えて,次にBASICなどのアプリケーションを考えてというように,やることがたくさんあって大変でした.
――X-BASICはちょっと変わってますね.
小林 そうですね.今のBASICでは機能をアップさせるのにも限界がありますし,アプリケーションも作りにくいだろうと思うのです.それと,Cなどの高級言語を使いたいという世の中の要望もあります.Cを使いたいんだけれどもBASICしか使えない,そんな人のために,このX-BASICを考えたのです.つまり,コマンドなんかにBASICのインタープリタの機能を残して,なおかつ構造化のプログラミングができるように,いろんな命令を追加しました。
――X68000を使ってプログラムを組む人へのアドバイスは,ありますか?
小林 使われる方にもいろいろなレベルがあると思うのですが、ハードをいろいろといじりたいという人であれば,スプライトとかグラフィックの機能を十分に使ってもらえれば,最高の幸せですね.また,DOSレベルでいろんなアプリケーションをどんどん作ってほしいと思います.68000というCPUは,OS管理がきちっとできるチップ構成になっています。だから,アプリケーションをOS上で作れば,ハードのコンパチビリティですとか,全体的な互換性とかもとれるようになるのではないでしょうか。
――現在のDOSとかV-Shellに満足していますか.また,今後バージョンアップの可能性はありますか?
小林 まあ,正直言ってまだまだというところはありますが......でもソフトっていうのは,これで完全だというものはないと思うんですよね,生物ですから.だから,たとえばMS-DOSにしても,V2.1とかV3.1とか繰り返しバージョンアップしています.これは一種の成長です。世の中の流れにそって必要にせまられれば,やっぱりそれなりに考えていかなくちゃいけないと思っています.
――CPUが68010,68020に移行することはありますか?
鳥居 少なくとも4~5年は,ハードはそのままで,と思っています.よほどのことがない限り,辛抱しなくてはと,もし,何年か先に,変えた方がいいというようなことになれば,それはそれで,また違った形で作るということです.
――X68000が,5年前のX1発売の頃から計画されていたとうかがったのですが,そうすると,今から,5年後のX68020を計画中とか.
鳥居 さあ,もしかしたらすでにスタートしているのかもしれませんよ。でも新しいマシンを出すというのはタイミングなんです.そういうタイミングのあう時が,必ずあるはずだと思っています.
――最後に,読者に何か一言お願いします.
小林 そうですね,技術屋っていうのは誰でもそうだと思いますけど、できあがった商品は,やっぱり自分の産んだ子供みたいに可愛いです。難産でしたけど(笑い)。これから学校へも上げて,塾にも通わせなければね。あと,いじめられるかもしれないし,くれないようにもしなくちゃ.......X1みたいに成長してくれたらいいなと楽しみにしています。われわれの子供をどうぞよろしく,というところでしょうか.
――――――――――――――――――
 今さらのように思うのですが,ひとつの商品には必ずその開発者がいて,それぞれに大変な思い入れを持っています.私としては,今回,そういった人たちの生の声を初めて聞いて,素直に感動してしまいました.ただ,ハード開発担当の石持さんにお話をうかがえなかったのが残念でしたが(!?).開発者の皆さん,X68000をこれからも大切に育てていってくださいね.
(nao)


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かなり良い機械だと思った。
しかしながら、何台もパソコンを買えるだけの経済状態ではなかったのでX68000を我慢した。私のパソコン遍歴ではPC-9801VX2を買ってしまったのが最大の間違いだった。8086憎しが最大の間違いだった。
インタビュー記事に戻るが発表から発売までかなり期間が開いたのは別の機械を買わないで待っててねという販売戦略だったのだろう。X68000を欲しがるのはオジサンではなく、若い大人青少年だったろうから経済的にかなり難しかったのではないか。当然ローンで買うのだろうからそんなに簡単にCPUを変えられたら悲しい。だから68000のまま4,5年頑張るという答えになったのだろう。CPUを68020か68030に変えてほしいというユーザーが出てきたころに発表するという戦略だと思われる。X68030が登場したのが1993年3月だからこのときのインタビュー記事から約6年ということはちょっと遅かったか。

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Personal System/2の全貌(月刊ASCII 1987年6月号11) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集は「クローン駆逐に乗り出したIBM Personal System/2の全貌」だった。
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取り敢えず写真をスクラップする。
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このマシン(PS/2)では互換機対策でMicro Channelを導入したが、これは失敗だった。ユーザに受け入れられなかった。カスタムLSIを大幅に取り入れたがこれもいまいちだった。
コラムをスクラップする。
半年以内に互換BIOSを設計して見せると豪語したPhoenix社の自信と不安
 IBMPCの互換BIOSの製造で有名な米国Phoenix Technologies社は,PS/2の内部を分析したうえで、今後の同社の展開について早々と発表した。
 それによると,Micro Channelの導入や力スタムLSIの搭載によって,BIOSが複雑になっていることを認めたうえで、近いうちに,提携企業から分析チームを募って共同作業で対応していく方針を打ち出した.分析結果を商品として発表する時期は未定だが,できれば半年以内に何らかの答えを出したい考え. 同時に,新OS「OS/2」については,IBM社が独自に付加した機能やコマンドがあるという前提に立って,Microsoft社製とIBM社製をまったく別の製品と考えて個別に対応策を練る方針.
 「どんなBIOSでも3カ月で互換性を実現する」というのが同社の宣伝文句だが、さて今回はどうなるか.クローンメーカーも固唾を飲んで見守っている.
クローンができたという歴史を知っていると面白く読める。だが、切り札のMicro Channelが市場で支持されなかったので失敗に終わった。なかなか、うまくいかないものだ。どうすれば良かったのか。多分、最初に互換機を許したところが失敗だったのだろう。Apple社のようにすればIBMパソコンは消えなかったのかもしれない。日本でNECのPC-98シリーズが勝ったように時間がかかってもIBMのパソコンが勝てたかもしれない。とにかく互換機を許したところで消える運命だったということが歴史を知った者は言うことができる。

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失敗しないハードディスク選び(月刊ASCII 1987年6月号10) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集「失敗しないハードディスク選び」
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この頃やっと一般ユーザー(趣味人、素人、アマチュア)もHDDを買うようになってきた。
それまではFDを挿入して特定のソフトウェアを起動してと今では想像できないほど使い勝手が悪かった。
HDDにソフトウェアをインストールできて、辞書を共通にして、データを保存してということができるようになったときは感動ものだった。
しかし、価格は高かった。一番安いもので(株)アイテムの3020が20MBで168,000円。今では何十テラどころか100TBまでストレージを用意できそうだ。
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図、表、写真をスクラップする。
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懐かしい。HDDを購入する前こういう写真、図を見て早く買いたいものだと小遣いを貯めるのを頑張った。

HDDを買った後は、このノストラダムスのお世話になった。
 最近登場してきた面白いソフトウェアにノストラダムスというものがあります。このソフトウェアは何をするものかといえば,ファイルの削除,更新を繰り返して不連続セクタがいっぱいのディスクをフォーマットしたてのような,きれいなディスクに再配置するためのソフトウェアです。必要なハードウェアは一切なく,ディスクを備えたシステムであればもれなく利用できます。もちろん,ハードディスクにも対応しており,削除,記憶を繰り返し利用したものを整理するのには最適なツールとなっています.本ソフトウェアが登場するまでは,ディスク内容を整理しようとすればいちいちCOPYコマンドなどで1つ1つファイルを転送しなければなりませんでした。そんな作業から解放されるだけでも十分,価値はあります。
 原理は,削除されたファイルをトレースし,独立して空いてしまったセクタを見つけ,それらを詰めていくというものです(図参照).その場合,1つのファイルは連続して入るようにも再配置されますので、大きなファイルの読み書き時には強力に作用します。小さなファイルを使っている分にはそれほどの魅力を感じませんが,ハードディスクを使って,大きなファイルを管理する場合などには絶大な力を発揮します。

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これは効果があった。HDDは使いこむとマジに遅くなった。今みたいにキャッシュが128Mとかはあり得ない時代だった。第一にキャッシュすらなかった。

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一太郎Ver.3(月刊ASCII 1987年6月号9) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

一太郎Ver.3の特集があった。
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発売前の特集とは珍しい。製品版がないのに評価するとはどうなんだ。
私が一番長く使ったのが一太郎Ver.3だった。仲間内では三太郎と呼んでいた。
この三太郎はやっと使い物になるワープロソフトと言えるものだった。

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このESCキーで出てくるメニューが固定されているのが良かった。知人から電話で使い方についての質問が来たとき「ESCキーを押して、下カーソルを2回押してリターンキーを押して…」と説明することができた。

三太郎は発売されていない時点での記事の一部をスクラップする。
●期待したいスピードアップ
 今回のバージョンアップの目玉は,スピードアップとのことである.これは当然の措置だ.Ver.2で欠点と感じられた要素の80%はスピードがらみである.ごく一部とはいえ,習熟度や使用頻度の高いユーザーが,MIFES,FINALなどのエディタとフロントプロセッサの組み合わせ,あるいはTheWORDなどへと乗り換えていったのは,Ver.2のスピードが彼らの使用状況では我慢の限界を越えていたことによる.
 現在,スピードの遅さやカーソル移動のぎこちなさについては,あまり苦情が出ていないとも聞く。この理由は,Ver.2以外は利用したことがないというユーザ-が多いためと思われる.作成する文書量がどんなに小さくても,あるいは作成する機会がどんなに少なくても,スピードは速いほうがいい.動きにキレのあるほうがいい.他の条件が同じなら,誰でも速い方を選ぶだろう.時間がたつにつれ,一太郎(Ver.2)離れが広がる可能性がある.この危険を未然に防ぐべく、メーカーは最大限に力を注いだのだろう.
 残念ながら,今回借用してきたバージョンは、まだチューンアップがはかられていないものだった。どの程度の速度になったか,報告できないのは残念である.せめて,最初の一太郎(Ver.1)程度のスピードは実現していただきたい.Ver.2の5割増しのスピードとカーソル移動時のなめらかさが得られれば,十分なのである.
確かに一太郎は遅かった。三太郎の前の新一太郎とか太郎とかは松に比べると遅くて使えないと評価されてもしょうがなかった。しかし、三太郎はそこそこ使えるスピードだった。私が一太郎が使えなくなったのはWindows95のときだった。流石にこれは遅すぎた。止む無くWORDに乗り換えたのだが、日本語の文化である枡目に1文字づつ入れていくというものが、WORDのカーニング処理によりそれができないというか、行頭の空白とかをインデントを使ってとか技が必要だった。
日本語と英語では見栄えの良い文書というのが違うのだが、私たちジジが子供のころから日本語はこうだと慣れ親しんだものが、マイクロソフトにより否定されたような感じになり、WORDに転向したときはマイクロソフト憎しになった。その点一太郎は旧来の日本語文書を作るのには最適だった。
WORDで作ると「○○君の作る文書は文字がうねうねして読みにくいね。なんとかならないのか。」と言われ、メモ帳を経由してプレーンテキストにしてから一太郎にコピペして印刷しなおすことがあった。
最後に
これでやっと一人前?
 一太郎は機能が豊富なだけに,Ver.2ではまだまだ荒削りな部分が目立った.各ユーザーがそれぞれ工夫をして乗り越えていた障害なわけだが,このあたりまで改良が及んでいるかどうか.ウィンドウを開いたらつぎは閉じるしかないのだから,2回目にウィンドウのコマンドにいった際にはC:クローズにカーソルをおいておけばいいのに...といった声もよく聞かれた.このへんがクリアされていることを期待したい.
 こういった微妙な改良点が積み重なれば,松86が一部ユーザーに奇妙なまでに評価されている「吸いつくような手へのなじみ」が生まれてくる可能性がある.もちろんその大前提として,スピードとカーソル,処理の展開のなめらかさが要求される(今回試用したテストバージョンでは,この辺が確認できないのが残念だ).ワープロソフトの値打は,半分以上は,この細かい点への配慮で決まる.
 Ver.1からVer.2への改良は,腕力が増したという印象があった.図形データ(ビットマップイメージ)の取り込みが可能になったこと,ATOK5に自動変換機能を採用したことなど、かなり激しい変化が見られた.いわば少年期から青年期への変化といえるかもしれない.今回は,そのような変化は見られない、広告の印象どおり,どちらかといえば地味なバージョンアップである.だが,実際の使い勝手の向上は今回のほうが数段上だと思われる.ロック機能,インデント,範囲の先指定,ウィンドウその他,自動変換やイメージカッタなどに比べればはるかに実用性が高い。
 その意味で,今回のバージョンアップは,青年期から成年期への成熟に似ている.こまかい気配りをする余裕がでて,激しさだけでなく、人に対する優しさも徐々に出てきた.これが最終的にどの程度なのかが,非常に気になる.今回見たような大きな単位での変化も大切だが,ほんとうに必要なのは,ちょっとした気配りである.ぜひとも「一太郎さんはできた人だ,如才ない人だ」と思われるような変化をとげていてほしい.
 8万の正規ユーザーをもつ一太郎は,ワープロソフトとしてだけでなく、パソコン上の応用ソフトの代表選手である.一太郎を見ることでパソコンとはこんなものか...という感想をもつのが,一般の方である.一太郎を見てパソコン+ワープロソフトとはこの程度かと専用機を買う人もいるだろう.一太郎に魅力を感じて,パソコンの世界の住人になる人もいる.それだけに責任も重い.こまかい要求,過大な期待をする次第である.
最後に笑ってしまうのが「8万の正規ユーザをもつ一太郎」だ。一太郎はプロテクトがかかっていなかったのでコピーが蔓延っていた。職場では正規購入したが、自宅ではコピーを使っていた人がかなりいた。でもそれが成功して一太郎の隆盛があったのだが。WindowsパソコンでWORDとExcelをバンドルして販売していたから一太郎が負けてしまったのが残念。本当にマイクロソフトの野郎はとWindows95の頃は憤りを感じていた。

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TRONシンポジウム(月刊ASCII 1987年6月号8) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

第2回TRONプロジェクト・シンポジウムの記事をスクラップする。

第2回TRONプロジェクト・シンポジウム
 「第1回目のシンポジウムの時の失敗にこりて,受付要員を10倍に増やした。にもかかわらず,たくさんの方々にお集まりいただき,今日も受付に長蛇の列ができてしまったことをお詫びします」
 予定開始時刻の午前9時30分を過ぎてなお受け付け待ちの列が続いているため,開会を遅らせる旨を告げる坂村健氏の声音には,どこか誇らしげな響きが混じっていたように思う.1987年3月31日,国会議事堂からほどないキャピトル東急ホテルに用意された第2回TRONプロジェクト・シンポジウムの会場には、予想を越える500名以上の参加者が集まった。日本電子工業振興協会に設けられたTRON協議会を舞台に,東京大学の坂村氏を中心とするグループと、ここに参加を表明した企業とによって産学共同で進められるこのプロジェクトの進行状況と成果は,シンポジウムを舞台に公開される.
 1986年11月4日,第1回のTRONシンポジウム開催.発表の2本の柱は、機器制御用でプロジェクト全体の中でももっとも先行しているITRONとワークステーション関連の技術体系であるBTRONだった.そして,第2回のテーマには,TRONプロジェクトの中核となるTRONチップとBTRONが据えられた.
■TRONチップ
 冒頭に立った坂村氏により,TRONチップの概要が初めて公開の場で明らかにされた.
 坂村氏によれば,TRONプロジェクトがなぜVLSI-CPUの開発という大きな課題を抱え込んだのか,言い換えれば既存の(あるいはこれから出てくるであろう)プロセッサを利用することを前提としなかったかの理由は3つ.
 第1に,既存の32ビットのマイクロプロセニッサが16ビットの技術を基礎としてその延長上に生まれたために,技術的な歪みを備えていること.
 第2に,フォン・ノイマン型の現在のコンピュータ技術はさらに磨きをかける余地を残しており,VLSI技術によってそのメリットを徹底的に活かしたものが90年代のコンピュータ技術の中核となると,坂村氏が考えていること
 そして第3に,異なった半導体メーカーが共通して対等な立場で使用できる,マイクロプロセッサの標準的な命令セットが,現在は存在しないこと、プロジェクトを通じてオープンな標準的命令セットが確立されれば,メーカーはその土俵に上がり,使用する命令セットを選び、独自の技術によってVLSI化することが可能となる.これによって,異なったチップ間でのソフトの移植はきわめて容易となりながら,チップ化の際の技術的優劣による競争の余地を残しうる.
 この3つの理由から,TRONプロジェクトにおいて90年代のVLSI技術を基礎とするコンピュータ体系を構想するとき,今までのCPUとの互換性のくびきから逃れた新たなるチップを開発することが不可欠である,とした.
 こうした基本認識に立って開発されるTRONチップの特徴は,坂村氏によれば以下の通り、
 第1に,ITRONとBTRON両OSの存在を前提とし,これをもっとも効率よく実行しうるものであること.
 第2に,アドレス・バス,データ・バス共に64ビット構成とするものを基礎にデザインし,実現するにあたってまず32ビットに落として開発する,という基本姿勢に立っていること.そのため,将来の48ビット,さらに64ビットへの拡張は容易に行われる.
 第3に,東大坂村研究室の開発した命令セットを複数の半導体メーカーが採用すること.これにより,TRONの謳い文句の1つであるオープンアーキテクチャが実現し,データ互換に加えてプログラム互換においても大きく前進しうる。
 さらに,従来技術との互換性を打ち切って新たにデザインすることで,スマートなアーキテクチャを実現し,命令の高速化,性能向上が可能となる、とした.
 続いて坂村氏による概説において,TRONチップの5段階のクラス分けも明らかにされた。
 TRONチップに要求される最低限の仕様を満たしたL0.32ビットTRONチップの標準タイプとなるL1.L1とほとんど同等ながら仮想記憶をサポートするためのMMU部分のみを除いたL1R.インデックス命令などの将来的な機能を盛り込んだL2.42ビット,64ビット型のLX.LOからLXまでのすべての仕様を満-たしうるLA.
 坂村氏によるTRONチップの概説を受けて発表を行ったのは,松下電器産業,三菱電機,東芝と,共同開発を進める日立製作所・富士通グループ.
 松下からは、32ビットTRONチップの設計コンセプトと開発に先立つ各種のシミュレーション結果,三菱からは,L1R仕様のTRONチップが,汎用,低価格を狙ってM32と名付けられて開発中であること、東芝からは,L1仕様のチップがTX3と名付けられ,1989年のサンプル出荷を目指して開発中であること.日立・富士通グループからは,L1を実現するチップがHF32の名称で開発されており,これ-を中心にDMAコントローラ,浮動小数点演算コ・プロセッサ,TAG-RAMチップ,割り込みコントローラなどの周辺LSIがHF32ファミーリーとの位置づけにおいて開発されていることが明らかにされ,今年末の商品化が噂されるHF32の開発の足取りの速さを印象づけた.
■BTRON
 午後のプログラムのテーマは,BTRON.その実現に向けて進められているマンマシンインターフェイス(MMI)統一プロジェクトに関する報告が進められた.
 リアルタイム性を重視し,ビットマップディスプレイ上でマルチウィンドウ形式によって実身/仮身モデルを実現するという次世代OSとしての目的のほか,BTRONでは理想的なマンマシンインターフェイスを異なった機種において統一的に実現するという課題も目指される.この日の午後の報告の統一テーマ,MMI統一プロジェクトとは,後者の実現を目指して進められている.
 MMI統一プロジェクトの原点は,坂村氏によってトップダウン方式で示された理想的なマンマシンインターフェイスのイメージである、氏はこのイメージを「TRON作法」と呼びさらにこれを,大本となる思想レベル,それに基づいて定められる設計方針レベル,そしてさらに細部に言及した仕様レベルにクラス分けして示す。
 こうして示されたTRON作法がBTRON・OSを乗せたTRONチップ・マシンで実現されれば理想,ただし,その最終目標に向けた第一歩として,MMI統一プロジェクトでは,既存のハードウェアを用いてMMIの統一にチャレンジし,この過程を通じて検証・実験を行いながら,仕様を確定する作業が進められている.
 90年代のピュアBTRON登場の一歩手前で,今年の暮れにも商品化が予想されるμBTRONは,MMI統一プロジェクトがユーザーに向けて送り出す最初の成果となる.μBTRON,それに続いて現存するチップを用いたBTRONを送り出すことになるこのプロジェクトでは,現在,ハードウェア,ソフトウェア双方からBTRONの統一化が推し進められている.
 ハードウェアの統一の対象とされるのは,以下の4つ.第1に,接続のためのコネクタ.第2に,装置などの接続のための電気的,物理的,およびプロトコルを含めた論理的インターフェイス.第3に,TRONキーボード.第4に,操作表示,取り扱い法,用語.
 ソフトウェア面では,プロジェクトを通じ,操作法,文書データ,コード体系などの形式が規定される.
 BTRONにおけるデータの互換性を目指した構造は,TAD(TRON Application Data Bus)と名付けられている.TADは文章と図形をデータ交換の基盤とし,これを解釈表示するための基本機能はOS自体に持たされている.そのため,文章と図形のデータはすべてのアプリケーションから使用できる。つまり,文章と図形は,BTRONの目指すデータ互換の最低保証となる.その他の付加的な情報,例えばワードプロセッサでいえば書式,書体,文字サイズなどは,「付箋」と名付けられたセグメントにまとめられる.
 TRONで使用する文字コードの体系についても,シンポジウムで初めて公開されたが,坂村氏が席上特に強調したのは,TRONには「外字」という概念は存在しないこと、究極的には,人類が歴史上獲得したすべての文字に対してコードを割り当てる,という壮大な課題をTRONは目指すことが指摘された.
 操作法に関する統一化作業に関しては,入力操作と基本エディタに関する報告が行われた。この報告により,BTRONではファンクションキーは原則的に使用せず,それに代わりTRONキーボードの[命令]キーと[操作を表す語句]の入力が用いられること.また,操作を表す語句を,連想文字に代える(例えば、挿入を「そう」にする)ことも可能であることが示された.BTRONにおける入力方式は,原則的に仮名.ただし,「ローマ字入力は推奨していないが,どうしても利用したいユーザのために規定をする」とされている.
 以上のMMI統一プロジェクトに関する報告は,坂村氏のほか,TRON協議会に設けられたBTRON技術委員会の幹事会社,沖電気工業,松下電器産業,東芝の3社のスタッフによって行われた.この日,別室に設けられた実演会場に,松下は実身/仮身モデルをサポートしたBTRONのデモ・プログラムを載せた80286マシンを展示.初めて公開されたBTRON試作機は、参加者の注目を集めた.一方沖電気も,個々のキーの形状を微妙に変化させた完成度のきわめて高いTRONキーボードを展示,すでにハンドヘルド型の斬新なデザインのモックアップを発表済みの東芝と合わせ,BTRON技術委員会の幹事会社3社が,商品化に向けて開発の先頭に立っていることを,強く印象づけた。
 プロジェクト全体の中核的存在であるTRONチップの実態と開発状況が明らかにされ,プロジェクトの顔となるBTRON開発の進行状況が示されたことで,TRONに対する期待は,今後いっそう増すと思われる.
(富田倫生)

私は、34年前きちんとこれを読んだのだろうか。きちんと読んだのならば、きっとTRONにかぶれていたはずだ。このとき私は、ただただ8086憎しと凝り固まっていた。互換性がそんなに大事かと思っていた。過去を捨て良いものを作り直すべきだと思っていた。
この記事を読んでみてはやり米国はTRONを警戒したのかもしれないと思った。結局パソコンは34年前からキーボードも必要に応じてキーを増やした位で変化はなく、ソフトウエアも良いものではなく、商業的に成功したものが標準となった。
互換性が大事だったことは歴史が証明した。私の思いが世間と違っていた。これが間違いというのなら私は間違えていた。
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TRONコラム(月刊ASCII 1987年6月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

TRONのインタービュー記事にコラムがあったのでそれをスクラップする。

次世代コンピュータ「TRON」への期待
 これまで私にとってTRONとは,宙にぼんやりと浮かぶお化けだった.そのTRONの足が,今,目覚ましい勢いで伸びている.
 東京大学理学部情報学科講師,坂村健氏を中心に進められてきたTRONプロジェクトに関する情報が,計画のスタート当初、聞こえてこなかったわけではない.2,3年前からその名は耳にし始めた記憶があり,パソコンの機種間,メーカー間のデータ互換性を確保し,マンマシンインターフェイスを統一する共通規格構想と,ぼんやりと受けとめてきた.
 機種間,メーカー間でばらばらのデータに関して互換性が欲しい.そうした思いは,もっぱら原稿作成だけにパーソナルコンピュータを使う私にもあった.一度ライターがキー・ボードを叩いてデジタル化した原稿をプリントアウトし,もう一度写植オペレータが入力し直すなど,今なら内需拡大の一助との評価は受けるとしても,何ともはや文化的ではない.だが,TRONの名を初めて耳にした時点で,TRONとは私にとって、美しくはあっても,足のないお化けだった.
■思想とその歩み
 坂村氏の近著,「TRONからの発想」(岩波書店)をもとに,TRONという名のお化けの歩みをたどる.
 1980年初頭から,坂村氏は日本電子工業振興協会(電子協)のマイクロコンピュータ応用専門委員会の委員長を務める.委員会のメンバーは主に,マイクロコンピュータのユーザー,つまり集積回路化されたマイクロコンピュータを利用してパーソナルコンピュータなどのシステムを組む側.この委員会で,1980年から3年間にわたって続けられたマイクロコンピュータの利用に関するさまざまな問題の調査に基づいて,1983年「我が国における新しいマイクロコンピュータ開発のビジョン」に関して報告書がまとめられる.その結論は,「爆発する応用側の要求に対し現在のマイクロコンピュータが十分にこたえていない、そこで90年代の技術にマッチするような新しいマイクロコンピュータを新たに設計しなければならない」こと、さらに報告書は,新たに開発されるべきマイクロコンピュータに求められる4つの要素を示した.
 第1は,従来技術との互換性のもたらす弊害を絶ち切ること.ソフトウェア資産の継承という意味では大きな意味を持つ互換性の保証は,一面で,大胆な技術的な飛躍を許さないという性格を持つ互換性がそうした二面性を持つことは本質的に避けがたいが,4ビットから8ビット,16ビットへと急速に進歩したマイクロコンピュータにおいては,この時点でむしろ技術的飛躍を阻むというマイナス面が肥大化しつつある.そこで,次の次に来る世代までを見越し,新たな体系に基づいたマイクロコンピュータを一から作り直す.
 第2に,8ビットのコード体系で処理できるアルファベットの使用を前提としたマイクロコンピュータ技術に対し,漢字処理のために16ビットのコード体系が必要となる日本語の処理を最初から前提とした技術体系を組む.
 第3にオペレーティングシステムに,リアルタイム性,つまり,打てば即座に響く性格を持たせる.
 そして第4に,データ互換,プログラム互換を実現するために,公共の見地に立った標準を,公平な競争を阻害しない形で設ける.
 委員会でこうした要求仕様をまとめ終えた後,坂村氏はこの答申にこたえる形で,次世代マイクロコンピュータの開発プロジェクトがいくつか誕生するのではないかと期待していたという.だが,現実にはそうした動きは1つとして表面化せず,坂村氏自身が投げ掛けたボールを,再び坂村氏が受けとめることになる.
■着々と進められるTRONプロジェクト
 1984年6月,TRONプロジェクト,スタート、公共性を持った標準の設定を狙うという性格にそって、プロジェクトの主体は坂村氏が籍を置く東京大学とされた.そのプロジェクトが,私にはお化けに見え た。
 既存の技術の延長上に明日を描くのではなく,まず望ましい未来を想定し,そこに向かって技術の橋を架けようとするトップダウン型のアプローチ.ただしそうした理想主義的な試みは、思想としては美しくはあっても,現実に商品としてのパーソナルコンピュータを提供するメーカーを巻き込まないかぎり幻に終わるのではないかすでにトップ・シェアを握ったメーカーが,市場を流動化させる動きに積極的に乗るはずはない.乗り遅れたメーカーが,巻き返しの戦略を求めるにしても,果たして理念先行で私の目から見れば足元のおぼつかない,リスキーなTRONを選ぶだろうか.
 だが,1986年夏,TRONは確実に足を伸ばし始めた。
 6月,電子協に,富士通,日本電気,日立製作所,NTTなど8社が集まって,坂村氏を中心にTRON協議会設立.その後協議会メンバーは続々と増え続け,シャープ,ソニー,キヤノン,日本楽器など40を越えるメーカーが参加.10月,日立と富士通は、32ビットの次世代マイクロコンピュータをTRONのアーキテクチャに基づいて共同開発することを発表.
 プロジェクトの進行につれて幅広い性格を備えるにいたったTRONは,4つのサブプロ「ジェクトからなる.
 機械に組み込まれて制御にあたるITRON.ワークステーション,あるいはパーソナルコンピュータのイメージに相当する,BTRON.ITRONやBTRONの形成するネットワークにおいて,中核的な役割を演じる大型コンピュータ用に用いられるCTRON.そして,ネットワーク全体の調整をとるMTRON.
 合わせて,ICBM.
 このうち,昨年11月4日に開かれた第1回のTRONプロジェクト・シンポジウムにおいては,先行するITRONと,人間に向かい合う,その意味ではTRONの顔となるBTRONを中心に,成果の発表が行われている。
■TRONへの期待
 こうしたTRONプロジェクト急浮上の背景に,IBM産業スパイ事件を第1歩とするアメリカの知的所有権保護攻勢の存在を指摘することもできる.大型機におけるIBM互換路線の破綻は,アメリカ市場における日本製パソコン売り込み戦略においても繰り返されつつある.MS-DOS,あるいはUNIXを基礎に,今後日本のパーソナルコンピュータが進むとして,こうした路線が知的所有権保護を旗頭としたアメリカの攻勢から無縁でいられるとも思えない、とすれば「日の丸OS」としてのTRON――
 だがそうした日米ハイテック戦争といった論議に踏み込む前に,1人のパーソナルコンピュータのユーザーとして,今,私はTRONその物に興味を持つ.人間にとって望ましいコンピュータの姿を想定し,その夢と現実の間に技術の橋を架けるために動きだしたプロジェクトに強く惹かれる。
 こうした新しい試みが日本で誕生したことを,偶然日本人として生まれた私も少しだけ喜ぶにしても,TRONに抱く希望は、Macintoshに抱いた憧れと同質である。
(富田倫生)

コラムを読んでみて分かった。別にTRONでなくても「データに関して互換性が欲しい.」は解決したし、互換性という足かせがあっても技術的飛躍はあったし、UTF-16とかで多言語に対応したし、UNIXだってLinuxにより米国政府の縛り付けとかもないし、スマホになってパソコンからの呪縛(Windows,Intel)から解放されたし34年前の自分が、むきになって「互換性打破!よりよいCPU,OSを使わせろ!」なんて言わなくても歴史がそれを解決するのだと34年前の自分に言って聞かせたい。まあ、互換性打破主義に洗脳されていた当時の自分の洗脳を解くことはできなかったろうが。
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