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TRONコラム(月刊ASCII 1987年6月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

TRONのインタービュー記事にコラムがあったのでそれをスクラップする。

次世代コンピュータ「TRON」への期待
 これまで私にとってTRONとは,宙にぼんやりと浮かぶお化けだった.そのTRONの足が,今,目覚ましい勢いで伸びている.
 東京大学理学部情報学科講師,坂村健氏を中心に進められてきたTRONプロジェクトに関する情報が,計画のスタート当初、聞こえてこなかったわけではない.2,3年前からその名は耳にし始めた記憶があり,パソコンの機種間,メーカー間のデータ互換性を確保し,マンマシンインターフェイスを統一する共通規格構想と,ぼんやりと受けとめてきた.
 機種間,メーカー間でばらばらのデータに関して互換性が欲しい.そうした思いは,もっぱら原稿作成だけにパーソナルコンピュータを使う私にもあった.一度ライターがキー・ボードを叩いてデジタル化した原稿をプリントアウトし,もう一度写植オペレータが入力し直すなど,今なら内需拡大の一助との評価は受けるとしても,何ともはや文化的ではない.だが,TRONの名を初めて耳にした時点で,TRONとは私にとって、美しくはあっても,足のないお化けだった.
■思想とその歩み
 坂村氏の近著,「TRONからの発想」(岩波書店)をもとに,TRONという名のお化けの歩みをたどる.
 1980年初頭から,坂村氏は日本電子工業振興協会(電子協)のマイクロコンピュータ応用専門委員会の委員長を務める.委員会のメンバーは主に,マイクロコンピュータのユーザー,つまり集積回路化されたマイクロコンピュータを利用してパーソナルコンピュータなどのシステムを組む側.この委員会で,1980年から3年間にわたって続けられたマイクロコンピュータの利用に関するさまざまな問題の調査に基づいて,1983年「我が国における新しいマイクロコンピュータ開発のビジョン」に関して報告書がまとめられる.その結論は,「爆発する応用側の要求に対し現在のマイクロコンピュータが十分にこたえていない、そこで90年代の技術にマッチするような新しいマイクロコンピュータを新たに設計しなければならない」こと、さらに報告書は,新たに開発されるべきマイクロコンピュータに求められる4つの要素を示した.
 第1は,従来技術との互換性のもたらす弊害を絶ち切ること.ソフトウェア資産の継承という意味では大きな意味を持つ互換性の保証は,一面で,大胆な技術的な飛躍を許さないという性格を持つ互換性がそうした二面性を持つことは本質的に避けがたいが,4ビットから8ビット,16ビットへと急速に進歩したマイクロコンピュータにおいては,この時点でむしろ技術的飛躍を阻むというマイナス面が肥大化しつつある.そこで,次の次に来る世代までを見越し,新たな体系に基づいたマイクロコンピュータを一から作り直す.
 第2に,8ビットのコード体系で処理できるアルファベットの使用を前提としたマイクロコンピュータ技術に対し,漢字処理のために16ビットのコード体系が必要となる日本語の処理を最初から前提とした技術体系を組む.
 第3にオペレーティングシステムに,リアルタイム性,つまり,打てば即座に響く性格を持たせる.
 そして第4に,データ互換,プログラム互換を実現するために,公共の見地に立った標準を,公平な競争を阻害しない形で設ける.
 委員会でこうした要求仕様をまとめ終えた後,坂村氏はこの答申にこたえる形で,次世代マイクロコンピュータの開発プロジェクトがいくつか誕生するのではないかと期待していたという.だが,現実にはそうした動きは1つとして表面化せず,坂村氏自身が投げ掛けたボールを,再び坂村氏が受けとめることになる.
■着々と進められるTRONプロジェクト
 1984年6月,TRONプロジェクト,スタート、公共性を持った標準の設定を狙うという性格にそって、プロジェクトの主体は坂村氏が籍を置く東京大学とされた.そのプロジェクトが,私にはお化けに見え た。
 既存の技術の延長上に明日を描くのではなく,まず望ましい未来を想定し,そこに向かって技術の橋を架けようとするトップダウン型のアプローチ.ただしそうした理想主義的な試みは、思想としては美しくはあっても,現実に商品としてのパーソナルコンピュータを提供するメーカーを巻き込まないかぎり幻に終わるのではないかすでにトップ・シェアを握ったメーカーが,市場を流動化させる動きに積極的に乗るはずはない.乗り遅れたメーカーが,巻き返しの戦略を求めるにしても,果たして理念先行で私の目から見れば足元のおぼつかない,リスキーなTRONを選ぶだろうか.
 だが,1986年夏,TRONは確実に足を伸ばし始めた。
 6月,電子協に,富士通,日本電気,日立製作所,NTTなど8社が集まって,坂村氏を中心にTRON協議会設立.その後協議会メンバーは続々と増え続け,シャープ,ソニー,キヤノン,日本楽器など40を越えるメーカーが参加.10月,日立と富士通は、32ビットの次世代マイクロコンピュータをTRONのアーキテクチャに基づいて共同開発することを発表.
 プロジェクトの進行につれて幅広い性格を備えるにいたったTRONは,4つのサブプロ「ジェクトからなる.
 機械に組み込まれて制御にあたるITRON.ワークステーション,あるいはパーソナルコンピュータのイメージに相当する,BTRON.ITRONやBTRONの形成するネットワークにおいて,中核的な役割を演じる大型コンピュータ用に用いられるCTRON.そして,ネットワーク全体の調整をとるMTRON.
 合わせて,ICBM.
 このうち,昨年11月4日に開かれた第1回のTRONプロジェクト・シンポジウムにおいては,先行するITRONと,人間に向かい合う,その意味ではTRONの顔となるBTRONを中心に,成果の発表が行われている。
■TRONへの期待
 こうしたTRONプロジェクト急浮上の背景に,IBM産業スパイ事件を第1歩とするアメリカの知的所有権保護攻勢の存在を指摘することもできる.大型機におけるIBM互換路線の破綻は,アメリカ市場における日本製パソコン売り込み戦略においても繰り返されつつある.MS-DOS,あるいはUNIXを基礎に,今後日本のパーソナルコンピュータが進むとして,こうした路線が知的所有権保護を旗頭としたアメリカの攻勢から無縁でいられるとも思えない、とすれば「日の丸OS」としてのTRON――
 だがそうした日米ハイテック戦争といった論議に踏み込む前に,1人のパーソナルコンピュータのユーザーとして,今,私はTRONその物に興味を持つ.人間にとって望ましいコンピュータの姿を想定し,その夢と現実の間に技術の橋を架けるために動きだしたプロジェクトに強く惹かれる。
 こうした新しい試みが日本で誕生したことを,偶然日本人として生まれた私も少しだけ喜ぶにしても,TRONに抱く希望は、Macintoshに抱いた憧れと同質である。
(富田倫生)

コラムを読んでみて分かった。別にTRONでなくても「データに関して互換性が欲しい.」は解決したし、互換性という足かせがあっても技術的飛躍はあったし、UTF-16とかで多言語に対応したし、UNIXだってLinuxにより米国政府の縛り付けとかもないし、スマホになってパソコンからの呪縛(Windows,Intel)から解放されたし34年前の自分が、むきになって「互換性打破!よりよいCPU,OSを使わせろ!」なんて言わなくても歴史がそれを解決するのだと34年前の自分に言って聞かせたい。まあ、互換性打破主義に洗脳されていた当時の自分の洗脳を解くことはできなかったろうが。
ASCII1987(06)d06坂村健、富田倫生_W338.jpg


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