MZ-2681発表,PC-9801が100万台(月刊ASCII 1987年5月号4) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESS からパソコン、ソフト関係及び国内業界の記事をスクラップする。
34年前互換性を維持するため過去の機械を同一の筐体に収めた製品が次々と登場した。8bit機で各々ブランドを築いた製品の16bit化だった。NECはPC-88VAで16bit化したがユーザが望んでいたのはPC-8801のゲームが新機種でも動くことだったのでそれにフューチャーした製品だった。このMZ-2681はMZシリーズで使ってきた仕事用のソフト(市販、自作)でデータがあるのでなかなか新機種に移行できないユーザのための機械だった。シャープの凄いところはパソコンユーザだけではなく、ワープロ「書院」シリーズを使っていたユーザを取り込もうとしたところだ。パソコンは必要ない、ワープロで十分だと思いつつも、世の中はパソコンくらい使えなければ遅れていると評価されるサラリーマンにとっては1台で2度美味しい機械だっただろう。
目の付け所がシャープでしょ。そんなキャッチフレーズもあった。技術もNEC,富士通に並んでパソコン御三家だったのに。台湾企業・鴻海(ホンハイ)精密工業に買収されるなんて、このスクラップをしていても「どうしてこうなった」だ。
日本電気のPC-9800シリーズが100万台達成
本体価格50万円以下の16bitパーソナルコンピュータで90%のシェアを持っている。
確かに34年前PC-9801以外の16bitパソコンを購入した知人はいなかった。
一般ユーザではもっとシェアが高かったと思う。業務用とか会社でPC-9801以外のパソコンが入っていてそれを使っているという知人はいた。そういえばNECのN5200を買って自宅でも使っているという奇特な知人もいた。彼曰く「PC-9801の上の機械を使っている」。
三井物産,IBM PC/ATコンパチの80386マシンを発表
三井物産はこれをどこから見つけてきたのか。34年前はとにかくパソコンを売らなければならない病が流行していたのか。
松下,BTRON仕様のオペレーティングシステムと実験機を開発
とうとう触ることができなかったBTRON。パソコン界の歴史は私にとって非情だ。
MSXを使った,英語スピーチ練習システム
「松下電器産業(株)技術本部無線研究所」ここまで細かく組織を紹介してくれるとは会社組織の一部を垣間見れることも楽しい。MSXはしぶとく生き延びているのだった。
パソ協がマイクロソフトなどに要望書を提出
これは、つまりソフトハウスの製品にMS-DOSをバンドリングしてすぐ起動できるようにさせてほしいというもの。これがなければ、MS-DOSのフロッピーディスクを入れてパソコンを起動し、次にソフトのフロッピーディスクと取り換えてソフトを起動しなければならない。ハードディスクはまだ普及していなかった。ハードディスクに複数のソフトを入れて使う一般家庭のユーザはごく少数だった。大体、ハードディスクにインストールすること自体、一人でできない人たちがいた。
富士通,日商岩井がパソコン通信サービス開始
NIFTY-Serveの始まりだった。会員は3000人。インターネットなんてない時代はネットワークに繋げるだけでも手間暇金がかかった。技術も金もないネットワークのスキルがない人間は参加できなく、ふざけるだけの質の悪い人間にはハードルが高すぎて初期のネットワークにバカはいなかった。ネットで激論が過熱して罵倒状態になったときは「電話代をかけて喧嘩している」と笑われていた。
EYE-NETがアクセスポイント26カ所開設
34年前は市外通話料金というものが存在して、市外通話は料金が高かった。特に遠距離だと馬鹿みたいに高額だった。だから、こうして市内もしくは近くにアクセスポイントがあれば経済的に助かった。
東電など23社が電子図書館の開発研究所を設立
「テレマティーク国際研究所」で技術開発に19億5000万円かけるそうだ。
紙ベースの出版物のデジタル化だ。34年後の現在では当たり前の風景になっている。
野村証券が衛星でバックアップ実験に成功
使ったのは「通信衛星さくら2号(CS-2)」で国内初の実験だった。
34年前互換性を維持するため過去の機械を同一の筐体に収めた製品が次々と登場した。8bit機で各々ブランドを築いた製品の16bit化だった。NECはPC-88VAで16bit化したがユーザが望んでいたのはPC-8801のゲームが新機種でも動くことだったのでそれにフューチャーした製品だった。このMZ-2681はMZシリーズで使ってきた仕事用のソフト(市販、自作)でデータがあるのでなかなか新機種に移行できないユーザのための機械だった。シャープの凄いところはパソコンユーザだけではなく、ワープロ「書院」シリーズを使っていたユーザを取り込もうとしたところだ。パソコンは必要ない、ワープロで十分だと思いつつも、世の中はパソコンくらい使えなければ遅れていると評価されるサラリーマンにとっては1台で2度美味しい機械だっただろう。
目の付け所がシャープでしょ。そんなキャッチフレーズもあった。技術もNEC,富士通に並んでパソコン御三家だったのに。台湾企業・鴻海(ホンハイ)精密工業に買収されるなんて、このスクラップをしていても「どうしてこうなった」だ。
日本電気のPC-9800シリーズが100万台達成
本体価格50万円以下の16bitパーソナルコンピュータで90%のシェアを持っている。
確かに34年前PC-9801以外の16bitパソコンを購入した知人はいなかった。
一般ユーザではもっとシェアが高かったと思う。業務用とか会社でPC-9801以外のパソコンが入っていてそれを使っているという知人はいた。そういえばNECのN5200を買って自宅でも使っているという奇特な知人もいた。彼曰く「PC-9801の上の機械を使っている」。
三井物産,IBM PC/ATコンパチの80386マシンを発表
三井物産はこれをどこから見つけてきたのか。34年前はとにかくパソコンを売らなければならない病が流行していたのか。
松下,BTRON仕様のオペレーティングシステムと実験機を開発
とうとう触ることができなかったBTRON。パソコン界の歴史は私にとって非情だ。
MSXを使った,英語スピーチ練習システム
「松下電器産業(株)技術本部無線研究所」ここまで細かく組織を紹介してくれるとは会社組織の一部を垣間見れることも楽しい。MSXはしぶとく生き延びているのだった。
パソ協がマイクロソフトなどに要望書を提出
これは、つまりソフトハウスの製品にMS-DOSをバンドリングしてすぐ起動できるようにさせてほしいというもの。これがなければ、MS-DOSのフロッピーディスクを入れてパソコンを起動し、次にソフトのフロッピーディスクと取り換えてソフトを起動しなければならない。ハードディスクはまだ普及していなかった。ハードディスクに複数のソフトを入れて使う一般家庭のユーザはごく少数だった。大体、ハードディスクにインストールすること自体、一人でできない人たちがいた。
富士通,日商岩井がパソコン通信サービス開始
NIFTY-Serveの始まりだった。会員は3000人。インターネットなんてない時代はネットワークに繋げるだけでも手間暇金がかかった。技術も金もないネットワークのスキルがない人間は参加できなく、ふざけるだけの質の悪い人間にはハードルが高すぎて初期のネットワークにバカはいなかった。ネットで激論が過熱して罵倒状態になったときは「電話代をかけて喧嘩している」と笑われていた。
EYE-NETがアクセスポイント26カ所開設
34年前は市外通話料金というものが存在して、市外通話は料金が高かった。特に遠距離だと馬鹿みたいに高額だった。だから、こうして市内もしくは近くにアクセスポイントがあれば経済的に助かった。
東電など23社が電子図書館の開発研究所を設立
「テレマティーク国際研究所」で技術開発に19億5000万円かけるそうだ。
紙ベースの出版物のデジタル化だ。34年後の現在では当たり前の風景になっている。
野村証券が衛星でバックアップ実験に成功
使ったのは「通信衛星さくら2号(CS-2)」で国内初の実験だった。
IBM PC新製品と米国ハイテク産業の動向Neural Net(月刊ASCII 1987年5月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
IBM PCの新製品と米国ハイテク産業の動向(Neural Net関係)の記事をスクラップする。
CPUを8086、80286、80386と揃えた。OSがPC DOS 3.3 と OS/2 だった。PC DOS 3.3 はMS-DOS 3.3 と同じだが、どんな特徴のDOSだったか思出せない。かなり長い期間使用していたけど思い出がない。OSが目立ってもしょうがないのでこれは良いことだったのだろう。
それにつけてもOS/2。Microsoftの離反というか裏切りにあってWindowsに駆逐されてしまったが、IBMはMicrosoftを憎んでなかったのだろうか。MicrosoftなんてIBMが目をかけてIBM PCに採用してやらなければ言語でしか生きながらえなかったはずなのに歴史というのは面白いものだ。
製品写真とスペックをスクラップして終わり。
ゼロックスがパソコン販売を中止
市場がIBM PC互換機で固まってきているなか、Apple社以外は生き残れなかったということだ。
この号の米国ハイテク産業の動向はNeural Netは実現するのか?ということでAI関係のインタビュー記事だった。34年後のAIとどのようにつながっているのか分からないが、この記事をスクラップしておく。スクラップ作業終了後に何か分かることを期待する。
開発者のFederico Faggin氏のご尊顔と会社(Synaptics社)のこじんまりとしたビル。
CPUを8086、80286、80386と揃えた。OSがPC DOS 3.3 と OS/2 だった。PC DOS 3.3 はMS-DOS 3.3 と同じだが、どんな特徴のDOSだったか思出せない。かなり長い期間使用していたけど思い出がない。OSが目立ってもしょうがないのでこれは良いことだったのだろう。
それにつけてもOS/2。Microsoftの離反というか裏切りにあってWindowsに駆逐されてしまったが、IBMはMicrosoftを憎んでなかったのだろうか。MicrosoftなんてIBMが目をかけてIBM PCに採用してやらなければ言語でしか生きながらえなかったはずなのに歴史というのは面白いものだ。
製品写真とスペックをスクラップして終わり。
ゼロックスがパソコン販売を中止
市場がIBM PC互換機で固まってきているなか、Apple社以外は生き残れなかったということだ。
この号の米国ハイテク産業の動向はNeural Netは実現するのか?ということでAI関係のインタビュー記事だった。34年後のAIとどのようにつながっているのか分からないが、この記事をスクラップしておく。スクラップ作業終了後に何か分かることを期待する。
Neural Netは実現するのか?よく分からなかった。最後の「Neural Netに基づいたシステムや市場は,将来的には,現在のコンピュータに基づいた市場と同じくらいの規模になると思います.しかし,30~40年先を見極めるのは非常にむずかしい.」その34年後になったわけだが、現在隆盛を極めているAIがこのNeural Netに基づいたシステムなのかどうかも私には分からないが、Deep Learningがそうであればなんだか嬉しい。
―――FedericoFagginインタビュー―――
Synaptics社は,Irvine大学のニューロバイオロジストであるGary Lynchが1986年に設立したNeural Netプロダクツの製造を目的とするベンチャー企業である(概要は先月号参照).同社の開発担当副社長,Federico Faggin氏に,Neural Netの今後の展望などを聞いてみた。同氏は,Intel社が開発した最初のマイクロプロセッサ4004をデザインした技術者であり,その後,Zilog社の設立にも参加したシリコンバレーの伝説的な人物である。
――NeuralNetと普通のプロセッサの違いを簡単に説明してください。
実際には,Neural Netという言葉さえ一般にはまだ受け入れられていませんが,私達は,神経回路網と同じ処理系を実現するシステムをNeural Netと呼んでいます.
――脳の中でやっている処理をチップでやるということですか?
そうです。解決しようとしているのは,非常に膨大な量のリアルタイムのデータ処理です.一般にNeural Netという時には,脳のニューロンのマトリクスを意味しています.マトリクスは,生物学的には神経細胞間の結合の強さを変化させる物質,ないしは系統を指します.私達は,そうした生物学に近い方法論にのっとって研究しています.Neural Netを研究している他の人々は,数学的な方程式を書き,プログラムし,そしてそれを動かしてみる.その結果,何か面白そうなことを見つけると,それが瑣末なことであっても追跡していく、というようなコンピュータサイエンスの手法を堅持しているようですが……
――そうすると,現在開発中のものはパラレルプロセッサとも随分違うということですね.
全然違います.プロセッサを並列構造で結合する方法には限界があります.その限界は,プロセッサの個数の問題とは別の次元にあります。神経回路網における情報の表現法は,コンピュータのそれとはまったく異なっているからです.我々がやろうとしているのは,その神経回路網の情報表現です.
――多くの人は,非常に単純な疑問を持っていると思います.つまり,「それが本当にうまくいくのか?」とか「現在ある問題を解決する実際的な解決法といえるのか?」ということです.
私はできると信じています。3~5年以内には多くの問題が解決されると思います.
――Synaptics社が開発しているのはシリコンチップですか?
チップそのものです.
――完成するのはいつ頃ですか?価格は?
3年後くらいでしょう。価格は,そんなに高くならないと思いますよ。
――チップに対して,ユーザーはどうやってアプリケーションを開発するのですか.アプリケーションプログラムを作る必要があるのですか?
Neural Netに,アプリケーションのようなソフトウェアは存在しません.システム自身が学習するわけですから.
――しかし,ユーザーはシステムに対して何かしなければならないでしょう?
それは開発システムに対して行うことになります.その方法論は開発中ですので,お話しできません.
――もしシステムが,期待されない結果を出力した場合,つまりある種のバグがあった場合ですが,どうやってそれを発見し,修正するのですか?
それは、考え方をちょっと変える必要があります。既存のコンピュータと同じような考え方は適用できません.既存のプロセッサができないことをやるわけですから、たとえば,(コーヒーカップを手に取って)これはカップです。ところがグラスに非常に近い.エラーとは,これをグラスと認識することです。エラーは,これがグラスに似ているために発生するのですが,これをある別のグラスと認識して,後でそれをカップと呼べばエラーにはならない.このように,Neural Netの方法論を,既存のコンピュータ環境と単純に比較することはできません.
――潜在的な市場は十分にあると考えていますか?
あると思います.そうでなければ,企業化が早すぎたということになります.ただ,製品の展開は遅いでしょうが……
――1990年代以降の展望を聞かせてください。
Neural Netに基づいたシステムや市場は,将来的には,現在のコンピュータに基づいた市場と同じくらいの規模になると思います.しかし,30~40年先を見極めるのは非常にむずかしい.今後10年間は,両方が存在するでしょう.その期間は,Neural Netが既存のコンピュータの目や耳や触覚といったペリフェラル環境として位置付けられると思います.
(本稿は株ザイロン代表脇山弘敏氏の寄稿による)
開発者のFederico Faggin氏のご尊顔と会社(Synaptics社)のこじんまりとしたビル。
AppleWorld87(月刊ASCII 1987年5月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESS からAppleWorld87の記事をスクラップする。
ASCII EXPRESS の扉にはApple会長のジョン・スカリーの写真があった。このころはスティーブ・ジョブズはAppleから追い出されていたころでMacIIも普通のパソコンのようなデザインだった。
記事を読み返してみる。
MacIIの評判は良かったがMacSEはスペックがいまいちで評判は芳しくなかったとのことだった。
34年前のApple首脳陣、デル・ヨーカム、ジョン・スカリー、ルイ・ガゼー。いつか何かを調べるときに使うかもしれないので一応メモっておく。
昔からApple社は新製品発表のときは盛大にショーを開催していた。これはもう文化だ。
ジョン・スカリーだけどいつどのように追い出されたか今後のスクラップが楽しみだ。
34年前Macで発展したソフト日本ではというか私はWindows3.1のころにやっと使うことができた。PageMakerが使っていて楽しかった。よく落ちたけど。だから1ページ作成するごとにセーブしていた。席を離れるときは起動しているソフトを終了していた。Windows3.1は本当に気軽に落ちるOSだった。Macはそんなことないだろうと知人に聞いたらMacでも落ちる。だから無理はさせないと言っていた。34年前のソフトのできはこんなものだった。
ASCII EXPRESS の扉にはApple会長のジョン・スカリーの写真があった。このころはスティーブ・ジョブズはAppleから追い出されていたころでMacIIも普通のパソコンのようなデザインだった。
記事を読み返してみる。
MacII/SE用の周辺機器,ソフトが一挙公開
米国Apple社は、3月2日から2日間にわたってロサンゼルスで開催した「AppleWorld'87」において,全世界から招待した約5000人のプレス関係者とディーラーにMacIIとMacSEを発表するとともに,周辺機器/ソフトウェアメーカーの関連製品を公開した。
現地でのMacIIの評判は上々で,今後の展開に期待する声が多かったが,MacSEは,当初の予想よりスペックダウンしていたために,「MacPlusとどこが違うのか」といった批判的な見方が大勢を占めた.しかしその一方で,SEに装備されたCPUバスに期待する関係者も多く,同時に発表されたAST Research社の8086ボードやLevco社の68020ボード,各社の大型CRT用ボードなどがMacSEの弱点をカバーして,中堅機種としての位置付けを明確にしてくれるのでは,とする見方もあり,発表当初からMacSEに対する評価は真っ二つに分かれた格好だ.
開発担当重役のルイ・ガゼーは,「われわれの懸案だった拡張性を,やっとMacに与えることができた」と語り,AppleII以来の同社の開発思想を,10年目にしてやっとMacファミリーでも踏襲できた喜びを強調した。また彼は,当初のリリースでは明らかにされていなかった細部の性能についても説明を加えた.その中で特に注目されたのは,MacIIに搭載されたサウンドチップのサンプリング周波数とバージョンアップされたOSの機能だ.
サウンドチップのサンプリング周波数は44.1KHzで,CDと同じレートになっている.High SierraフォーマットのCD-ROMドライブが今年後半にも発表される予定になっており,そのドライブを接続すれば,CDからのデジタルコピーも可能になる.既存のパーソナルコンピュータでは,せいぜい22KHzどまりだから,これは飛び抜けた数値である.
また,OS(Ver4.0)とFinder(Ver5.4)に付加されたのは,仮想マルチFinder機能.MacIIが装備している6個のNuBusに,それぞれビデオボードを装着して6台のCRTを接続すると,それらを1つのFinderとして使用できるようになる.動作するアプリケーションは1本だが,各CRTをテキスト専用,グラフィック専用,クリップボード専用というようにユーザーが定義をして,データごとに分割使用することが可能になる.この機能は,デスクトップ・パブリッシング(DTP)用のソフトと大型CRTを併用するケースを前提にして付加されたものだ。同社が2年前に打ち出したDTP路線も,ここにきてやっと本格的な展開を始めたと受け取っていいだろう.
■目玉は大型CAT,拡張ボード,DTPソフト
同社のDTP路線に応えるかのように,周辺機器/ソフトウェアメーカーもMacII用のDTP関連製品を一斉にリリースした.
大型CRTは,SuperMac Technology社やE-Machines社,MicroGraphic Images社,Radius社,Sigma Designs社,Layered社などが17~19インチのものを発表したが,本命はSuperMac Technology社の「SuperView」(MacSE用モノクロ),「Grafix」(MacII用モノクロ),「Spectrum」(MacII用カラー)の3製品,SuperViewは,MacSEのCPUバスに接続するビデオボードと15/19インチCRTの機器構成(68881コ・プロセッサはオプション)で,表示能力は1365×1024ドットという高解像度を実現している.GrafixとSpectrumもビデオボードと15/19インチのCRTという構成.表示能力は,ともに1024×768ドットである.価格は,Spectrumが2500ドル前後になる予定.
拡張ボードは,Levco社やPeak Systems社,General Computer社などがMacSE用の68020ボードを発表した。中でもPeak Systems社の「Orion」は32bitの内部拡張バスを持つボードで,68881コ・プロセッサや68851MMU,2Mbytes,のRAMなどを装備しており,MacSEに付加すると5倍の処理スピードを実現する.価格は未定。
ディスクドライブは,Peak Systems社が20/30/45/65/80MbytesのHDDや20/40/60Mbytesのテープバックアップシステムを発表したほか,Dayna Communications社がIBMPC用FDのデータをMacで直接リード/ライトできる5.25インチFDDを出品した.価格は595ドル.
ソフトウェアでは,なんといってもDTPソフトのカラー版が注目の的.DTPは,この市場で出遅れたIBM陣営を尻目に、Apple社が社命を賭けて推進するプロジェクトだけあって,出品されたソフトウェアも予想以上に充実していた.Aldus社の「PageMaker2.O」やCricket Software社の「Cricket Draw」,Adobe Systems社の「Adobe Illustrator」,Lightspeed社の「Color Page Layout System」,Quark社の「XPress」などが,SuperMac Technology社のSpectrumを接続したMacII上ですでに動作していた.特に,Color Page Layout Systemは,解像度300dpiのカラーイメージスキャナに対応するページレイアウト用ソフトで,罫線や文字などのカラー指定も可能だ。しかし,このソフトが本当に威力を発揮するのは、カラーレーザービームプリンタが商品化されてからだろう(会場では,熱転写プリンタをMacIIに接続してハードコピーを作っていた).
この他には,Living Videotext社のアウトライン・プロセッサ「MORE」のカラーバージョン,Authorware社のオーサリングソフト「Course of Action」,Visual Information社の3Dソリッドモデリングソフト「Solid Dimensions」,Lotus Development社の統合ソフト「Galaxy」などのデモが行われていた.このうちMOREは,発表以来6カ月で3万本を販売した実績を持つソフトのカラー化とあって,ディーラーを中心に高い関心を集めていた.Solid Dimensionsは,256色表示のシェーディングやレイトレーシングが可能で,作成した3DモデルはPost Scriptに対応するPICTフォーマットでセーブできる価格は750ドル.また,「Jazz」の後継ソフトとしてLotus社が発表したGalaxyは、Jazzにはなかったマク口言語機能を持っており,EXCELの対抗馬として今後注目されそうだ。表示はもちろんカラーである.価格は未定.
これらの周辺機器/ソフトウェアは、早いものは4月から発売される見込みで,最終的にはMacIIが市場に出る6月が発売のピークになりそうだ.
■キャッチフレーズはThe power to be your best
“The power to be your best”.10年目を迎えたApple社の新しいCIコピーである.このコピーは、どこに行っても目についた.
会場のユニバーサル・アンフィシアターのスクリーンに映し出されたのは、IBM PC.そのキーボードを会社の重役とおぼしき人物が操作すると,“Syntax Error”の文字が画面に表示される.彼は怒り出し,机の下からチェーンソウをひっぱり出すと,それでCRTを真っ二つに切り裂いてしまう.Macを使えば,そんな無味乾燥な警告にイライラすることはない,ユーザーのパワーを最大限に引き出す武器こそMacなのだ,という強烈なメッセージが,コピーやビデオには込められていた.
Apple社は,あくまでIBM陣営を向こうにまわして勝算あり,と国内外のプレス関係者にアピールしたようなものだ。ステージに立ったジョン・スカリー会長は,スピーチの最後を次の言葉で締めくくった.「去年,人々は尋ねました.“Appleはいつになったら彼等と接続できるようになるんだ?”.そして来年,人々はこう尋ねるでしょう.“彼等はいつになったらAppleと接続できるようになるんだ?”と」.
“彼等”とは,もちろんIBM陣営のことだ今年はAppleが歩み寄ったのだから,来年はIBMが歩み寄らざるを得なくなるだろう,という大胆な挑戦状である.今年1月,MacPlusの小売り台数は,初めてIBM PC単体のそれを越えた.フォーチュン500に最短期間(6年)でランキングされたApple社の挑戦状を,IBMは受けて立つだろうか.
MacIIの評判は良かったがMacSEはスペックがいまいちで評判は芳しくなかったとのことだった。
34年前のApple首脳陣、デル・ヨーカム、ジョン・スカリー、ルイ・ガゼー。いつか何かを調べるときに使うかもしれないので一応メモっておく。
昔からApple社は新製品発表のときは盛大にショーを開催していた。これはもう文化だ。
ジョン・スカリーだけどいつどのように追い出されたか今後のスクラップが楽しみだ。
34年前Macで発展したソフト日本ではというか私はWindows3.1のころにやっと使うことができた。PageMakerが使っていて楽しかった。よく落ちたけど。だから1ページ作成するごとにセーブしていた。席を離れるときは起動しているソフトを終了していた。Windows3.1は本当に気軽に落ちるOSだった。Macはそんなことないだろうと知人に聞いたらMacでも落ちる。だから無理はさせないと言っていた。34年前のソフトのできはこんなものだった。
パソコン広告(月刊ASCII 1987年5月号1) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
もう一度読み返し、スクラップする。
裏表紙は前号の使いまわし。
5月号の広告から、まず表紙見返し。
ひと月おきにPC-98LTの広告をしている。
16bitとなったPC-88VAは前号とレイアウトを変えてきた。
シャープのMZシリーズはMZ-2861でワープロの書院と合体した。書院を持っている人はPC-98ではなくこちらをどうぞということだったのだろう。
シャープのX68000は6ページにわたる広告を出した。
16ビットの理想を追求した個人のワークステーション。を打ち出していた。
全国の販売店を記載しているが果たしてこれはどれだけの効果があったのだろうか。
シャープのX1turoZはこの号も前号の使いまわし。
FM77AV40はレイアウトは前号同じものの内容は若干変わった。
富士通のFMRシリーズは前号からかなり変わった。
右頁は日立ソフトウェアエンジニアリング(株)のUNIXマシン 50UXで前号の使いまわし。
SONYのUNIXマシンNEWSは前号の使いまわし。
三洋電機のPC-ATコンパチマシンMBC-995DH20他は前号の使いまわし。
横河ヒューレットパッカードの8026のPC/ATマシンVerctra-Dはこの号も前号の使いまわし。
キヤノンが広告を出しているMacintosh Plus は前号の使いまわし。
エプソンがとうとうPC-9801の互換機PC-286を出した。MODEL 1からMODEL 4まで出したが、NECとの著作権侵害問題係争になりこれらは取り下げ、別ROM搭載のMODEL 0を出した。これに対しNECはMODEL 0は互換性が乏しいから互換機と呼ぶなと反論した。NECは著作権問題で争うより互換性問題で攻撃することになった。
一太郎と花子は合計8ページの広告だった。
画面画像も多く使い方を説明していた。以下前号とは異なる画像を主にスクラップする。
裏表紙裏のFUJI FILMのフロッピーディスクの広告は見開きから1ページに戻った。
ログインの広告とべーしっ君。
裏表紙は前号の使いまわし。
5月号の広告から、まず表紙見返し。
ひと月おきにPC-98LTの広告をしている。
16bitとなったPC-88VAは前号とレイアウトを変えてきた。
シャープのMZシリーズはMZ-2861でワープロの書院と合体した。書院を持っている人はPC-98ではなくこちらをどうぞということだったのだろう。
シャープのX68000は6ページにわたる広告を出した。
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全国の販売店を記載しているが果たしてこれはどれだけの効果があったのだろうか。
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FM77AV40はレイアウトは前号同じものの内容は若干変わった。
富士通のFMRシリーズは前号からかなり変わった。
右頁は日立ソフトウェアエンジニアリング(株)のUNIXマシン 50UXで前号の使いまわし。
SONYのUNIXマシンNEWSは前号の使いまわし。
三洋電機のPC-ATコンパチマシンMBC-995DH20他は前号の使いまわし。
横河ヒューレットパッカードの8026のPC/ATマシンVerctra-Dはこの号も前号の使いまわし。
キヤノンが広告を出しているMacintosh Plus は前号の使いまわし。
エプソンがとうとうPC-9801の互換機PC-286を出した。MODEL 1からMODEL 4まで出したが、NECとの著作権侵害問題係争になりこれらは取り下げ、別ROM搭載のMODEL 0を出した。これに対しNECはMODEL 0は互換性が乏しいから互換機と呼ぶなと反論した。NECは著作権問題で争うより互換性問題で攻撃することになった。
一太郎と花子は合計8ページの広告だった。
画面画像も多く使い方を説明していた。以下前号とは異なる画像を主にスクラップする。
裏表紙裏のFUJI FILMのフロッピーディスクの広告は見開きから1ページに戻った。
ログインの広告とべーしっ君。
TEST ROOM FMR X68000(月刊ASCII 1987年4月号8) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
今月のTEST ROOMもFMRとX68000だった。
24ドットフォントが画面に表示されるというものに憧れがあった。パソコンを触っている時間=画面の文字を見ている時間だったので綺麗な文字を見ていたいと望んでいた。私が24ドットを見るのは5年先のEPSON PC486-GRを買ってからだった。
X68000はMacのようなビジュアルシェルが良かった。Macは英語が苦手だと使いにくいがX68000なら日本語でOK。だた、PC-9801が主流の日本でX68000で何をするの?となると趣味用の機械でしかなく、ワープロや表計算をX68000でやるのは何か違うと思った。
Macの開発環境については内容がスクラップの目的(当時のコンピュータ環境をメモし、後から歴史を俯瞰するような形で感想を書く)とは離れてくるので以下省略する。
24ドットフォントが画面に表示されるというものに憧れがあった。パソコンを触っている時間=画面の文字を見ている時間だったので綺麗な文字を見ていたいと望んでいた。私が24ドットを見るのは5年先のEPSON PC486-GRを買ってからだった。
X68000はMacのようなビジュアルシェルが良かった。Macは英語が苦手だと使いにくいがX68000なら日本語でOK。だた、PC-9801が主流の日本でX68000で何をするの?となると趣味用の機械でしかなく、ワープロや表計算をX68000でやるのは何か違うと思った。
Macの開発環境については内容がスクラップの目的(当時のコンピュータ環境をメモし、後から歴史を俯瞰するような形で感想を書く)とは離れてくるので以下省略する。
特集花子(月刊ASCII 1987年4月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
特集記事で花子が取り上げられていた。
私自身は花子を使って資料を作れたことがなかった(いつも途中でストレスが溜まって断念した。)が知人はそれはもう素晴らしい資料を作っていた。良いソフトだったと思うのとソフトと人間には相性があるのだと思った。以下、写真をスクラップして花子のことを思い出す。
花子はマウスオペレーションで図形を完成させていくのだが、私はコマンド投入機能が欲しかった。つまり、例えば円を描くときはコマンドボックスに座標を投入していく
cx=100
cy=100
cr=50
cc=3
th=2
dt=1
とすると座標(100,100)を中心として半径50ドットの赤色で太さ2ドットの実線で円を描くというような感じ。もはやBASICだけど。実際私は花子をあきらめてBASICで図形を描いていた。三角形だって重心を決めて描くとか、頂点の一つを決めて描くとかをコマンドでできたら使えたかと思う。もしかすると花子にそのような機能があったのかもしれないが、私は発見できなかった。私の使用法は、出来上がりは印刷物ではなく、モニタでそれをスライドにするのがメインだったから、モニタを見ながらもう1ドット左とかもう1ドット半径を大きくとか、図形を並べるとき均等に並べるとかをしていたのでBASICを重用していた。くたばれBASICと言っていたが、図形を描くときにはものすごく便利だった。
BASICをなまじ使い込んでいた(図形を描く色んなサブルーチンを作っていた)ので花子と相性が悪かったのかもしれない。
私自身は花子を使って資料を作れたことがなかった(いつも途中でストレスが溜まって断念した。)が知人はそれはもう素晴らしい資料を作っていた。良いソフトだったと思うのとソフトと人間には相性があるのだと思った。以下、写真をスクラップして花子のことを思い出す。
花子はマウスオペレーションで図形を完成させていくのだが、私はコマンド投入機能が欲しかった。つまり、例えば円を描くときはコマンドボックスに座標を投入していく
cx=100
cy=100
cr=50
cc=3
th=2
dt=1
とすると座標(100,100)を中心として半径50ドットの赤色で太さ2ドットの実線で円を描くというような感じ。もはやBASICだけど。実際私は花子をあきらめてBASICで図形を描いていた。三角形だって重心を決めて描くとか、頂点の一つを決めて描くとかをコマンドでできたら使えたかと思う。もしかすると花子にそのような機能があったのかもしれないが、私は発見できなかった。私の使用法は、出来上がりは印刷物ではなく、モニタでそれをスライドにするのがメインだったから、モニタを見ながらもう1ドット左とかもう1ドット半径を大きくとか、図形を並べるとき均等に並べるとかをしていたのでBASICを重用していた。くたばれBASICと言っていたが、図形を描くときにはものすごく便利だった。
BASICをなまじ使い込んでいた(図形を描く色んなサブルーチンを作っていた)ので花子と相性が悪かったのかもしれない。