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CPU、ハードウェア他(月刊ASCII 1989年4月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

ASCII EXPRESSの記事をスクラップする。

インテルが100万トランジスタを集積した64bitMPUを発売
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このCPUについてはあったのかどうかすら忘れるほどの可哀そうなCPUだった。
以下の記事を思い出した。
ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第116回
忘れ去られたCPU黒歴史 渾身のRISC CPUが駄作 i860

 Parallelism in the i860 microprocessor is not transparent; rather, programmers have complete control over parallelism and therefore can archive maximum performance for a variety of computational problems.
「i860マイクロプロセッサーでは、自動での並列処理は一切してくれない。そのためプログラマーは処理にあわせて最大の性能を引き出すためには、完璧に並列処理できるように制御する必要がある」

 つまり、「制御方法は用意するから、後は勝手にやってね」という発想だ。RISCの思想はまさにこれであり、その思想を忠実に体現したアーキテクチャーとも言える。
 だが、物事には何事も程度というものがある。RISCプロセッサーも最初はシンプルな命令体系だったのが、次第に命令が複雑化していって、いろいろな性能改善のメカニズムを内蔵していった。これは「何でもかんでもソフトウェア任せにすればいい、というものではない」ことを、RISCプロセッサーベンダー各社が身をもって体験した結果でもある。

 またi860は、コンテキストスイッチが極めて遅いという欠点もあった。Windowsでも何でもマルチタスクのOSは、複数のプログラムをきわめて短い時間で切り替えながら処理を進めていく。こうした処理の切り替えがコンテキストスイッチだが、切り替えが入ると当然パイプラインの中身は全部破棄されて、新しいプログラムをロードする必要がある。こうした処理はそもそも性能の最適化が難しいため(最適化を主とするなら、やってはいけないような処理の塊)、i860では極端に性能低下が起きることになった。
ASCII EXPRESSの記事を見てもこんなことは想像もできない。スクラップしていくと当時ASCIIを読んでi860の性能について間違えていることを知識として蓄えていったかがわかる。おそらく私は知人らにこのような間違えた知識を偉そうに話していたに違いない。

日電がVシリーズの最上位,V80の出荷を開始
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このVシリーズを積んだパソコンがいずれは出荷されると思っていたが、残念ながらそのようなパソコンを触ることはおろか目にすることもなかった。

東芝がアクセス時間150ナノ秒を実現した4MbitEPROMを出荷開始
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33年前日本の半導体技術は世界初とか世界最高とかだった。この製品は業界最高速だった。これは、研究機関などで研究開発段階ではもっと速いものがあったということかもしれない。

東芝がBiCMOS技術を用いた1MbitSRAMを開発
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これは世界初。こういったものに米国は危機感を感じていたと思う。

東芝,三菱,日電が16MbitDRAMを開発
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半導体技術のトップランナーであることを示す記事。

日立が世界最高速の32bitマイクロプロセッサを開発
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次から次へと世界最高速が飛び出す。

三菱電機,超高速SRAMを開発
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これも業界最高速だ。こうした技術が日本製品が優れていると評価されることになった。映画Back to The futureにあった「何言ってんのドク? いいものはみんな日本製だよ」のセリフは1985年から過去に来たマーティのセリフだ。

日電,デジタル信号処理LSIを開発
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三菱がガラス窓付きのセラミックパッケージを採用した1MbitCMOS EPROMを出荷開始
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東芝,ゲートアレーの新シリーズを投入
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英Inmos社が高速・高解像度のカラービデオコントローラを発売
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ランド,3.5インチ外付けFDDを発売
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LDS-3Wの価格は9万2000円。高い、HDD並みだ。33年前の5インチ3.5インチのメディアコンバートは5インチFDDのパソコンに3.5インチのFDDを付けるのが主流だった。3.5インチFDDマシンは少なかったし、買ってすぐに更なる出費をするくらいなら5インチマシンを買った方がお得だった。どれか1台に3.5インチFDDを付けてメディアコンバートさせてもらうのが主流だった。

東芝,3.5インチ4MbytesFDシステムを発表
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5インチFDはペラペラのジャケットにメディアが収められていて位置決めに難があった。3.5インチなら固いプラスチックにメディアが収められておりトラックの位置決めとかが精度よくできるため高密度の製品が登場した。

ロジテックが容量2.95Mbytesの3.5インチFDDを発売
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LFD-302Rの価格は12万8000円。

磁気研究所が98/286用の40MbytesHDDを発売
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ML-40mkIIの価格は12万5000円

緑電子がPC-9800用の80/40MbytesHDDを開発
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Little A80が24万8000円

I・Oデータ機器がEMS対応のRAMボードを発売
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PIO-PC34E-2Mの価格は7万5000円。一太郎やLotus1-2-3で仕事をするにはEMSメモリが必要だった。

日本テクサ,PC-286L用増設RAMボードを開発
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RD-286-15が7万9800円。日本テクサもRAMボードを売っていたとは記憶になかった。33年前パソコンをゲームマシンにするのではなく

コア,J-3100用の内蔵モデムを発売
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MultiModem224TLの価格は8万3000円。パソコン通信をするにも金がかかった。

日本エレクトロニクス,マウス3種を投入
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MS-44Jが1万2800円。周辺装置の高いこと。私たちはよくこんなものに金をつぎ込んだものだ。

リコー,日本語ワードプロセッサを発売
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リポートi7100シリーズの価格は111万8000円から。目を疑ってしまった。おそらく業務用と思わるがワープロがこんなに高いとは。

ソニーが多機能日本語ワープロを発売
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プロデュースPJ-1000の価格は17万8000円。一般ユーザが使うとするとこの価格帯だ。

リコーが60×60ドット印字の日本語ワープロを発売
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リポート2300が22万8000円。

キヤノンが手書き入力の電子手帳を発売
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Ai Note IN-3000の価格は6万5000円。小さい端末の入力装置としてはペンが適当だった。その後携帯電話やスマホでペン無しで指で文字入力する時代が来るとは思わなかった。そんな入力方法は広まらないと思った。

システムポート,文書データ変換ソフトを発売
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SWCONVの価格は3万3000円。ワープロとパソコンとのデータやり取りはこのようなソフトが必要だった。

ロータスがLotus1-2-3をバージョンアップ
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Lotus1-2-3R2.1Jという型番懐かしい。昭和から平成に年号が変わったためそれに対応したものだった。

ジャストシステムが一太郎Ver.4を発表
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Ver.4の記憶があまりない。三太郎が良くできていてそれを工夫して使い込んでいたせいだろう。使い込んだがために逆にVer.4は使いにくかったのではなかったか。

Next社は大企業にならない?
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スティーブ・ジョブズの会社だから成功すると思っていた。失敗はしなかったのではないか?スクラップしていくと分かるだろう。
OS/2の予測「大多数が1992年までにIBM PCが市場を支配するとみている。逆に,OS/2が標準にはならないと見る経営者は18%と少なかった」まあなんというか。専門家の予測はこんなにも当てにならないとは。
「全体の80%はマイクロチャネルに対抗するEISA規格が成功すると考えている」なぜだろう。IBM PCが市場を支配するのにもかかわらず、IBMのマイクロチャネルが負けるとは、一体予想者はIBMがどんなパソコンを出すと想定していたのだろうか。
マイクロチャネルとEISA規格は共倒れしたと記憶しているが、スクラップしていくと記憶が正しいかどうか判明する。

日本電気,米MIPS社と提携
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RISCは成功したとは記憶していない。RISCとCISCの境界がぼやけて両者を区別する意味が失われたと記憶している。

富士通,ルーカスとHABITATを契約
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セカンドライフの前にHABITATがあった。パソコンの高度化に伴いHABITATの焼き直しソフトが出てきた。今のメタバースが画期的だという論を読むと嘲笑してしまう。仮想現実がなぜ成功しなかったのかは環境がチープだからだけではないはずだ。メタバースをあおっている人間たちはこれで一儲けしようとたくらんでいる連中だと考える。

日電,MPU訴訟でIntelに勝訴
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8086と互換性があるV30のマイクロコードがIntelの著作権を侵害しているという主張が認められなかった。

中国,ソフト保護法を立法化へ
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笑ってしまう。中国はコピー天国の国だった。知的所有権を認めるなんて口先だけだと思っていた。

パソコンネットに天皇風刺文
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昔はなんと敏感だったことか。これも企業が経営するネット空間でのことだから企業が敏感になるのも仕方がない。インターネット時代になると発言の自由を得ただけではなく、誹謗中傷とかデマゴーグが感嘆に流せる時代になった。

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