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次世代ワープロ(月刊ASCII 1987年9月号10) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

今では考えらないだろうが34年前はワープロの特集ができた。

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本特集の流れ

 本特集では,我々にとって身近な「パ-ソナルコンピュータ用ワードプロセッサソフトウェア」,「普及型ワードプロセッサ」を中心に現状を把握することから始めたい.これは,一般に入手できる商品がどの程度の機能を持っているのか,といったことを明らかにするためである.そして,次に本誌読者がもっとも親しんでいるともいえる日本語入力FPに移る.ここではATOK6,VJE-3,NECRENなど,日本語入力FPのアプリケーションとの連動の可能性について考える.そして最後に,次世代の日本語ワードプロセッサについて考察する.
 日本語ワードプロセッサは,今後,単なる文字入力装置から,真の意味での日-本語処理装置となるべきものである.現在の日本語ワードプロセッサの現状を認識し,こうした方向性を多少でも感じとっていただければ,と考えている.
なんとも、時代を感じる記事だ。34年前はこんなに真剣にワープロについて考察していた。それは、ワープロが発展途上の製品だったからだ。
 操作性の問題で常々不思議に感じていることがある.マウスやキーボードの大きさである.日本の自衛隊は米国と共同行動をとるため,同じ鉄砲を使っている.それでも火薬の量は70%前後に押さえているという.日本人の体格に合せているわけだ。ところがキーボードやマウスについては,ぜんぜんこの種の配慮がなされていない.米国製品も日本製品もマウス自身の長さは約10cm.キーボードでいえば,QWERTYのQからYまでの長さはどちらも約18.5cm.手のひらのサイズが,たとえば平均で20%小さいのなら,20%小さい道具を試作してみたらどうか.おそらくわれわれにとってより使いやすい道具になるだろう.マウスは指先で利用してこそ細かい操作ができる.10cmのマウスでは,たなごころにつっかえてしまって動きが狭くなる.平均身長の日本人男性が,ホームポジションに指を置いて,キーボードの端から端まで指が届かないのである.ハードメーカーの技術者は何を考えているのか、なぜこんなところだけ互換性があるのか、理解に苦しむ.
キーボードとマウスの大きさでこれほど強い意見を書いているのが不思議だ。34年前はそんなに不満だったのか。メーカーは「理解に苦しむ」とまで言われていた。34年後の現在はキーボードもマウスも小さいのが販売されている。これは日本人に合わせてのことではないと思われる。ノートパソコンに接続して使うとか、パソコンが小型化して机を広く使うためではないだろうか。
 バグの問題だけではない.データを守るという姿勢自体が希薄だ予備用複製文書ファイルをだまっていても作成するという機能が一部のソフトにはある.ただしあくまでも少数派だ。特殊なケースだろうが,編集出版関係のように媒体におさめられたデータがそのまま商品であるという場合には,ファイル単位の複製と同時にフロッピー単位での複製まで自動で作成する機能がほしい.ワープロを終了する前につねに別フロッピーに複製をとらせる.販売管理や財務管理などのソフトでは,普通に見られるが,ワープロソフトでは皆無である.現在,5インチ2HDのフロッピーが,銘柄品でも300円前後で購入できるようになってきている.フロッピーはふんだんに利用できる.データを保護したいという慎重派も増えているはずだ.われらの気持も少しはおもんばかっていただきたい.
 ファイルを削除するなどの重要決定時の操作確認については,かなり多くの製品が考慮し始めた.ただしこれもただY/Nの関所をもうければいいというものではない。多少の工夫はほしい.たとえば,Multiplanでは呼び出したファイルが,なんの手も加わっていないものなら,破棄する際にもわざわざY/Nなどと聞いてこない.更新されている場合のみ確認がでる.ちょっとした工夫だが使いやすい.確認がわずらわしいので無意識にYを押してしまい,うっかり殺してしまった文書ファイルをしのんで男泣きする.よくある光景だが,Multiplanタイプならこの手の事故も少なくなるだろう.
これはワープロソフトの話だが、「5インチ2HDのフロッピーが,銘柄品でも300円前後で購入できる」という点に時代を感じる。バックアップくらい自分でしろよと思うのだけれど、バックアップがそんなにめんどうだったか?文書作成時にバージョン管理してなかったのか?「文書01」を作成後に追加、編集等して保存するときは「文書02」にしなかったのか?以前の文書の方が良かったとか、現在の文書では削除してした前の文書の記述をやっぱり使いたいとかなかったのか。この記事はとにかく文句を言いたいという姿勢で書かれた文書だという印象を持った。
価格

5万8000円から下がっていくか

 利用者から見れば,当然だが価格は低いほうがいい、作る側だってそれで数がはけるなら安くても差し支えはない.ただし,間に入る商売の事情があって,一太郎の5万8000円はある限界を示しているようにも思われる.かつて16ビット用で9800円というワープロがあった.機能も十分に2~3万円クラスに匹敵するものだと思われたが残念ながら売れない.ショップに売れなかった理由を聞くと,「9800円はパソコンを買ったオマケの値段で,単品として売れる価格ではない.6本売って一太郎1本分にしかならないのなら,一太郎を売りますよ」という返事だった.もっともな話である. 最近登場したもののなかには2~3万円という製品も結構ある.しかし,例えば2万円の商品を15%分引きで売ったとして1万7000円.定価の30%引きで仕入れている店の儲けはわずかに3000円.これで電話での問いあわせなどに応じていたら完全に損がでてしまう.利用者の質問はソフトハウスに向かうよりもショップに対するもののほうがずっと多い.よほど大量に売れるような要因がないかぎり,安い商品の浸透はむずかしいだろう.利用者側から見れば,このような価格破壊は大歓迎なのだが,店頭でボチボチとしかソフトが売れない現状では,これより下がるとしてもそのテンポはそうはやいものではないだろう.ちなみに米国のベストセラーMicrosoft Wordが実売価格で230ドル前後,150円で換算して3万4500円だ.一太郎Ver.3の実売価格が約4万3000円といったところか.もうそう大きくは下がらないだろうという予測が立つ
価格については高いなと思っていたが、販売店の事情については考えが及ばなかった。ソフトはパソコンを買ったときに同時に購入することが多いはずでソフトはおまけのようなもので安いソフトでも良かったのではないかと思ったが、安いソフトはユーザが少ないので使い方を人に教えてもらうことができず、解説本もなくやはり「一太郎の方がいいですよ」になったのか。
最後に

利用者参加のソフト開発を

 現在のワープロは、さんざんの悪口にもかかわらず,ほとんどの製品が一応実用に耐える性能を持っている.特に,作成する文書サイズが小さいものに対しては十分使い物になる.
 ただしそれも専用機のまねにすぎない.紙の文書を作成し,印字するというごくごく限られた世界で,先達にようやく追いつきかけたというだけである.オリジナリティについて,ここで蒸し返すつもりはないが,専用機のマネだけしていればいいというものではあるまい.
 楽しみなのは,32ビットの時代がもうすぐそこまでやってきていることである.今までは,機械の制約があってできなかったことが,かなり多く実現可能になっていくだろう.ソフトハウスの本当の力が試されるときでもある。技術力もそうだがワープロはどうあるべきかという考えかたそのものが問われる.
 利用者もどしどし意見を提供すべきである.ソフトハウスの技術者は,作る人であって,使う人ではない.われわれ利用者がさまざまなグチをこぼすことによってかれらはヒントを得るだろう.今までの機械側の制約がなくなれば,仕様の決定ひとつとっても容易ではないどんな人のためにどんな機能をどういった形で装備すればいいのか.彼らは手探りで進むしかないのである.
 利用者はソフトハウスに対して好き勝手に言いたい放題をいうべきである.ソフトハウスからは感謝され,自分たちは便利になり,しかもストレスが解消する.なんだかいいことずくめのようである.われわれ利用者はせいぜい声を大にして青年の主張をすべきだ.
この辺もちょっと記憶と違う。一太郎(Ver.3 別名三太郎)の時代だけどそんなに使いにくかったか?ワープロごときに32bit機が必要だったか?違うと思う。34年前ワープロソフトがそんなに使えないソフトではなったはずだ。

以下ワープロ専用機の写真をスクラップする。
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価格198,000円

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価格158,000円

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価格188,000円

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価格118,000円

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価格100,000円

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価格248,000円

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価格198,000円

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価格198,000円

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価格158,000円

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価格198,000円

パソコン(PC-9801シリーズ)より安いではないか。34年前はパソコンを買うよりワープロ専用機とファミコンを買った方がよっぽどコスパが良かった。パソコンでゲームとかやことも多かったけどファミコンのゲームの方がよっぽど楽しめたはずだ。
ワープロ専用機のまとめをスクラップする。
おわりに

 個人向けのワープロということで,独特の特徴を持ったマシンが多い.そしてメーカーの独自性が前面に出るあまり,操作方法,各種機能キーの配置などがあまりにも違う.特に,変換キーの位置,各機能の呼び出し方は使い勝手や個人の好みによる所が大きく,実際に触って相性のよいものを選んだ方がよいだろう.とはいえ,カナ入力キーについてはJIS,50音が主流であり,特殊な方式を採用しているのはOASYSのみであった.かつては,さまざまな方式が議論されていたろう.通信機能が充実したワープロ専用機であれば,現在のパーソナルコンピュータがカバーしている領域の一部を確実に代用することができる.逆に,そうした用途には専用機を使いながら、パーソナルコンピュータと併用するといった使い方もあるだろう.
ワープロ専用機とパソコンを使うのは二重投資ではなかろうか。パソコン買ったのにワープロ専用機を買う人はまずいなかったと思う。ワープロ専用機を買った人がパソコンを買うというのはあった。記事を読むとたかがワープロにそこまで熱くなるのかという感じだ。されどワープロとはいかない。どれだけワープロで凝った文書を作りたいのかという感じだ。34年前の幹部にはワープロで印刷した文書を嫌がる人がいた。手書きで早くしろということがその理由だ。それは、その幹部がワープロに疎く、自分では使えないからワープロを否定していたのだと思う。ワープロとかパソコンを使って仕事をしていると、遊んでいると思われていた。34年前はそんな時代だ。1-2-3で簡単に仕事をすると、電卓で検算しろと言われていた時代だった。

記事の最後の部分をスクラップする。
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ソフトウェア面からみた変化

 日本語ワードプロセッサの現在の評価は,「日本語の入力においては,欧米のタイプライタと同程度」といったところだろうか.これは,入力装置(機構)としては,十分な実用レベルに達したということである.
 さて,今後考えられる変化の方向としては,真の意味での「日本語の処理」である.編集機能のところで多少触れたが,日本語の言語構造に基づいた処理を行うことが,これからの日本語ワープロの使命であろう.
 こうした方向性にそって開発されたのが,シャープの発表した文書校正システムの試作機である.このシステムは,カナ漢字混じりの文字列を受け付け,単語の係り受け関係をチェックし,用語統一を行うものである.現在のカナ漢字変換では,文節と文節の関係はある程度考慮されるものの,その常識的な正当性のチェックまでは行われない.
 ワープロで作成した文書には「変換ミス」と呼ばれるワープロ特有のミスが多く見受けられるが,こうしたミスをなくそうというのが,この試作機のねらいだ.現在のワープロは単にキー操作で同音異義語を簡単に次から次へと選択できるがゆえに,1つキーを押しすぎただけで,手書きの場合には起こらなかったようなミスが出る可能性が高い。あるいは,送りがなの2種ある単語では,文章中にその2種が混在してしまう場合もある(例えば,「行う」と「行なう」など).同試作機は,こうしたミスの指摘,訂正を目的としたもので,日本語の文法的処理の具体的応用例である.
 このような,文書作成中に起こりうるミスをチェックし,少なくとも,「文法的」には正しい文章の作成を支援することは,日本語ワープロに今後ぜひとも必要な機能と言えるだろう.
ワープロはコンピュータの必須機能

 ワープロ専用機が,表計算やグラフ機能などパーソナルコンピュータ的な機能を取り込んでいくというのが,現在の1つの方向だが,逆にパーソナルコンピュ-タもワープロ専用機の機能を取り込むといった方向もある.たとえば,MZ-286(MZ書院)やFMRシリーズのFM-OASYS,東芝のJ-3100シリーズのRUPOなどがそうである.
 情報を処理するすべての機械を考えるとき,「日本語ワードプロセッサ」機能――つまり,日本語の入力,編集を行う機能――は,必須のものになりつつあるといえるだろう.安価でポケットに入るような電子手帳などにも,日本語ワープロ的機能が採用されているように,情報機器の1構成部品にさえ日本語ワープロはなりつつある.
 次世代の日本語ワードプロセッサの姿とは,このような情報処理機器の一部に組み込まれた「日本語ワードプロセッサ」機能と,機器本来の機能との結合により実現された,「日本語処理」機構といえるのではないだろうか.
パソコンのワープロソフトは断じて欧文のタイプライタなんてレベルではない。最大の利点は過去の文書を再利用できるということだった。仕事は大体毎年繰り返しの仕事となる。そのとき、去年作成した文書を再利用できるということがどれほど役に立ったことか。1回苦労すると次回から楽できるのがパソコンで仕事をする理由だった。

コラム記事の富士通、神田氏へのインタビュー記事をスクラップする。


特別インタビュー

「富士通、神田氏に聞く」

 ここでは,独自のキー配列を採用し,実績をあげている富士通のOASYSの開発者,神田泰典氏に,開発の経緯や日本語ワードプロセッサのありかたについて聞いてみることにする.

――なぜ,日本語ワードプロセッサを開発しようと思われたのですか?
 我々が日本語ワードプロセッサの商品化を考え始めたのは,ちょうど10年前の昭和52年のことです.まず考えたのが,英語圏における,英文タイプライタの位置づけです.タイプライタは発明されてから,たかだか100年ほどしかたっていない道具ですが,欧米の事務現場のいたるところにタイプライタは入り込み,文書作成の効率化,標準化などに功を奏している.だれもが見たことがあり,多くの人が使っている.そして,コンピュータ付きのタイプライタとしてワードプロセッサがあり,コンピュータとの会話の道具として,キーボードという形になった.
 ところが,日本を見ると,これに相当するものがないので,文書処理がいきづまるだけでなく,日本人とコンピュータの接点も生まれません.これではダメだということで,それまでに蓄積してきた大型機での日本語処理技術などを応用し,日本語文書を作成する卓上型の機械を設計したのです.最初に考えたデザインは,いまのFROM・9などにたいへんよく似ていました.
──ということは,最初は日本語のタイプライタを目指したということですか?
   英語圏においてキーボードが果たした役割を考えて,我々としても日本語タイプライタを開発する狙いとして,当然2つの意味を考えていました.事務機器としての便利さを実現すること,そして日本語を介してコンピュータと会話する手段を得ることです.
 特に後者はより大きく深刻な問題を含んでいました.ちょうどそのころは,コンピュータの開発において,ハードウェアの工数をソフトウェアの工数が追い越そうという時期でした.ソフトウェア危機という言葉が一般紙や雑誌にまで見られましてね.日本語というハンディを背負って,国産のコンピュータメーカーはソフトウェアを開発しなければならない.いま日本語の問題に積極的に取り組んでいかなければ,将来に禍根を残すだろうという切迫した気持もありました.
 余談ですが,この感覚自体は形を変えながらずっと続いています.まだまだ日本語で自然にコンピュータに話しかけられるようにはなっていない.それだけに,非常に興味あるテーマですね.
──10年前に考えていた2つの意味は今でも変わっていませんか?
 ええ,変わりません.よくいわれるように,コンピュータは素材にすぎません.大きな潜在能力を持ってはいますが,その力を引き出してやるのはソフトウェア技術者や利用者などの人間側です。対話をよりスムースにし,コンピュータという知的なエンジンを上手に運用するために,日本語入力は大きな存在意味を持っていると思います.
 しかし,実際の市場ではさまざまな変化が起きています.当初,パーソナルコンピュータが安くなれば,家庭に浸透し,それが「キーボードとの遭遇」の役を果たすはずでした.ところが,BASICを習った人の10人中9人がギブアップするという現実がわかってきたし,家庭ではフ*ァミコンというゲーム専用機にその位置を奪われました.そこで,家庭でのキーボード普及の立て役者として、ワープロ専用機が売れはじめたのです.
 パーソナルワープロは単能機ですから,初めてキーボードに接する人にも抵抗が少ない.日本語の文書を作るというのは,日常的な作業ですから.
 汎用機なら1台でいろいろな目的に使えて、場所もとらないという声もありますが,あれは違います.必要なものなら,自分の寝る場所がなくても買う人は買う.例えば,1つのモーターを使って,扇風機にもなり,髭そりにも使え,掃除機にもなる機械があっても,みんなもっと便利な専用機をたくさん揃えるでしょう.うさぎ小屋と呼ばれる日本の家の中は電化製品で一杯の上,弾きもしないピアノがかざってある.本当に必要なら,寝る場所がなくなっても買う人はいるのです.
――それは,オフィスでも同じでしょうか?
   パーソナルコンピュータは,オフィスでも汎用機という存在ではなくなっていくでしょう.「なんでもできる」というのは一種の幻想で,バケの皮がはがれてきたとみるべきかもしれません.あれにもこれにもと活用されているケースは非常に少ない.パソコンを導入したが,伝票発行機とか顧客管理機,あるいはワープロ専用機としてだけ働いている場合が多い.これからは,それぞれの仕事に専用機を使うことが多くなるでしょう.
――当誌としては,ちょっと耳の痛い話になってしまいましたが,最後に,将来のワープロ専用機の姿はどうなるとお考えでしょうか.
 現在のワープロは,「日本語タイプライタ」として,すでにかなり高い完成度を持っています.日本語へ変換する能率もほとんど不自由がない水準まできている.編集その他の機能も充実がいちじるしい.日本語の辞書は,そのままスペルチェッカーとして機能していますし,手前味噌のようですが,実用性のきわめて高い機械です。だから,基本はあまり変らないとみています。10年前の自動車も今の自動車も,車輪が4つあって前に走るのは同じだが,運転のしやすさは格段に良くなりました.それと同じで,基本はもう固まっていますから,よりソフィスティケートされていくと思います.
 もちろん,今後も商品としての魅力を付けるため,さまざまな機能が追加されていくことでしょう.デスクトップパブリッシングやCD-ROMなど,現在すでにその片鱗が見られ,発展が期待されるこの種の未来像の多くは,やがて実現されるでしょう。
 ただ,入力がらみで話題に上る,音声入力に関しては疑問があります.音声を発するのは指先を利用するよりはるかに疲れますし,だいいちはた迷惑でうるさい話者の知識の範囲やバックボーンまで考慮して,思考の脈絡まで汲み取って正確な日本語に直すことができれば,タイプライタのライバルになるかもしれません.しかし,単に発する声をカナに変換するだけでは,使い物にならないし,補助として必ずキーボードは必要でしょう.
 欧米でのタイプライタの歴史はほんの100年です.このままいけば,パーソナルワープロは,日本語タイプライタとしてずっとはやく生活のなかに溶け込んでいくと確信しています.

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こうして読んでみるとこのインタビューはそんなに面白いものでもなかった。多分入力を改善するとすべてが良くなるというのは幻想だったのだろう。今現在スマホでフリック入力する若者をみるとよくわかる。彼らはパソコンを使っているサラリーマンよりよっぽど速く文書を作成できるのではないか。記者会見で記者がノートパソコンをパコパコしている絵を見るが、若者がスマホで入力しても同様のことができるのではないか。ワープロソフトはたかが1つのアプリであって、他のアプリと比べそれほど重要なものではなく、同程度の重要度だと思う。
 このASCIIの記事は、違和感ばかり残った記事だった。34年前でもこれには同意はできなかったはずだ。

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